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2024年12月16日(月)更新

能登の事

現在、国家も石川県も能登に対して大きな力を注いでくれています。また、一般のボランティア方々も能登に対して格別の扱いを行ってくれています。更にテレビ、ラジオなども能登を扱う番組が多くあると感じています。実にありがたいことです。
多くの能登半島に住む人たちは、大きな支えを頂いていると感じている事でしょう。尤も被害の大きい人、年齢の高い人たちは様々なサポートを受けられていても心から安心するのにはさらに時間がかかることでしょう。
能登の伝統文化であり、伝統産業である輪島塗の被害は大変大きなものでした。出来上がった作品や商品、更に生産途中物の等、泥の中から探し出す場面を何度も見ましたが大変なご苦労だったに違いありません。更にそれらを磨き直し、都内へ売りに行く問屋のご夫妻には感銘を受けたものでした。

能登半島全体では170社近くの企業が廃業いたしました。インパックは好んで能登へ参りましたが、もう体も精神も能登の人間です。能登で採用した皆さんの中から役員も出ました。今回の災害を乗り切り前に進んで参ります。応援頂いた方々のためにも一層の努力を続けます。能登の皆さんには心から感謝いたします。

よろしくお願い申し上げます。
 

2024年12月09日(月)更新

切なる願い

能登には多くの人たちが訪ねてくれます。首相はじめ多くの大臣、更には天皇をはじめ皇室の方もお見えでした。現地の惨状を見て早い復旧、復興を思い、願いながら現地を見て頂きました。ある日の早朝、電話が掛かり約束した講演会に出られなくなった、と当日の朝連絡を頂いた方がいました。ジョージア大使でした。急遽能登行が決まり暗いうちから出発したそうです。各国の大使も出かけるとなると、現地での対応は大変だろうと想像がつきます。以上のような方々とお会いして少しでも心が晴れて呉れればいいとも考えています。

インパックの能登工場にも県知事をはじめおおくの県庁の方が来られました。復興庁の審議官の先生も来られました。お陰様でこのような時は報道関係の方も同行されますか、NHKに二度もインパックの工場が紹介されました。
知事からは大いに励まされ、工場の従業員の皆さんは大いに喜びました。被災後僅かの時でしたので知事の訪問はインパックと従業員にとって意義あるものでした。

また、県内各地には各県からの応援が沢山来られました。被害を受けた各役所には事務方の応援、水道局の皆さんが沢山来られました。応援体制は万全でした。市内の道路では札幌、三重都内、神奈川などのナンバーが見えました。恐らく私が見ただけですので日本中から応援の車が来ていたでしょう。そのほかにボランティアの皆さんです。また忘れてはいけないのは自衛隊の皆さんです。この様に災害に対する応援に対して感謝ばかりです。

しかしあまりに被災内容がひどく、広範囲の為、住民の方々は今までも大変でしたが、これからも大変です。9月の豪雨がもうないという保証もありません。
少なくとも能登と関わりある者として言えるのは、これ以上の地震や豪雨は来ないで欲しい、という切なる願いです。
 

2024年10月21日(月)更新

能登事業所

暫く能登の件に触れていませんでした。また9月には稀にみる豪雨が同じ能登を襲いました。恐ろしい現実です。

さて、今年の元旦の4時過ぎの地震は輪島市、珠洲市、奥能登町、志賀町の四つの街に震度7が襲いました。震度7の怖さは今回私共の工場も直撃した関係で身に染みて感じています。幸い従業員の皆さんは元気であったことが不幸中の幸いでありました。
工場、倉庫共に大変な惨状でありましたが、出荷の方はひと月余り、工場の復旧は2ヶ月ほどで元に戻りました。出荷、生産共に最低限の応急処置を行い、復旧に繋げました。しかし、専門の方に調べていただきましたが、外壁の全て、工場の中を事務所、出荷場、生産現場と分けていた隔壁は全て取り除くとの判断で4ヶ月ほどかけ復旧工事ができる環境を整え、7月に漸く外壁、隔壁、各部屋(事務所・食堂・会議室など)の工事に取り掛かることが出来ました。作業を中断せずにこれらの工事は進められました。7月から3ヶ月ほどが過ぎましたが、外壁は1/3ほど、内壁はこれから、各部屋も進行中で現在も工事が進められています。この様に工事が進められていることは本当に幸せなことです。国家からの補助もきっと降りると思います。自己負担部分もメドが経ちました。
後は来年二月の完成を待つだけとなりました。多くの御取引様からお見舞いを頂きました。これらは全て志賀町の町長へお届けし大変喜ばれました。またお水や食料は従業員の皆さんにお持ちいただきました。
インパックは大変恵まれた環境の中で復旧作業を続けております。偏に多くの取引先様のご厚志の賜物です。更に初期の段階で多くの得意先様は商品を出荷出来るまでお待ちいただく決断をしていただきました。また、従業員の皆様もその日の内に工場に入った副社長や専務、更に現地の常務の強いリーダーシップの元、復旧作業に当たってくれました。大きなご迷惑をおかけしましたが、一ケ月後には出荷が可能になりました。
お陰様で来年2月の完成を待つところです。改めて皆様に御礼を申し上げます。

終わりに当たり、9月の豪雨災害に見舞われた皆様にお見舞い申し上げますと共に、お亡くなりになられた方々に心よりお悔やみを申し上げます。
 

2024年07月01日(月)更新

能登の事を書かせて頂きます。

能登の事を書かせて頂きます。

珠洲市、輪島市、能登町などは奥能登と言われています。インパックのある志賀町、穴水、七尾市辺りは中能登と呼ばれています。
ご承知の通り今回の被害は奥能登、中能登の志賀町に震度7が来ました。現在復興住宅などを盛んに立てています。7,000戸予定と言われていますが、現在70%ほど完成しているとのことでした。最近のニュースで気になるのは、どうやらその復興住宅に住む人たちの組織がなく日々の生活に支障をきたしているとのことでした。
年配の方が一人住宅で生活していると、おそらく身体の状態にもよりますが、自分では何も出来ない方もいるかもしれません。このような場合。周り近所での助け合いが必要になるでしょうが、ほぼ初めて見る方々ではよほどのことがない限り、声掛けが行われません。出来ればお隣からと言う事になりますが、それも難しいようです。
なんでも行政にというつもりはありませんが、自治会には行政が関わらないと言う事の様です。入り口のところは手を差し伸べて丁度よいと思います。近所同士ももう少し近づくことは必要でしょう。

インパックの事ですが、お陰様で仕事は確実に復旧いたしました。あとは壊れた内部の改修と壊れた隔壁の修理、外壁の取り換え作業などがあり、これらは後8か月ほどかかり、来年2月には完成する予定です。多くの方々の応援でここまで来ました。感謝申し上げます。
 

2024年06月03日(月)更新

まだ続いています。

今朝の緊急地震速報を聞きスマホを見ると富山湾での地震の報が入っていました。早速連絡が能登の工場長から入り、現状無事との方が入ってきました。まだ収まっていない、率直な印象です。
先週まで工場の再開や出荷の部門の再開は済んでいましたが、外壁や隔壁はすべてこれからであり、採集来年の二月過ぎまでかかる予定を確認していたところでした。それが今朝の緊急災害通報で一気に目が覚めました。

油断をしてはいけない!

との声が聞こえてくる気がします。今日までに2度、震度5の揺れが来ましたが、震度7との差は歴然です。今回も幸いも被害はなかったようです。それにしても今回の震源地の珠洲市沖、珠洲の皆さんの恐怖は続いています。勿論その恐怖は決して珠洲、輪島ばかりでなく、志賀町の皆さんも同じです。
インパックの工場は外から見る限り、外観は地震前に戻っています。中の方はこれからやることが山積していますが、時間をかけてやっていきます。

工場の皆さんの恐怖は痛いほどわかります、どうか安全に行動して欲しいの一心です。大きい括りで言えば必ず安定し、生活も元に戻りますが、それまでの間が問題です。冷静に行動してください。

週に一度は能登の事を申し上げていますが、今日は速報が入りましたので状況をお伝えし、ブログに代えさせて頂きます。
 

2024年05月20日(月)更新

能登事業所

先週金曜日は、インパックの能登事業所で今年度の経営計画の発表会を行ってきました。尤も行ってきたとはいっても、能登の皆さんが会場の確保や準備をしてくれたおかげで開催が可能となりました。一時は社内に瓦礫も残り、会議どころではない惨状でした。工場長の金剛さんはじめ皆さんのおかげで事務所も会議室も、食堂も大分柱や壁はやられてはいますが、発表会はできる環境になっていました。トイレも使用できるようになっていました。従業員の皆さんは元気で活躍されていました。大いに感謝です。

今回金沢市に前泊し、早朝事業所に向かいましたが、同行の役員が朝早く金沢城付近を走ってきたようです。健康に気を付けている人はさすがに違います。ロビーで待ち合わせした時は何か充実している気がしました。そこでジョギングの事を知りました。お城を回ってきたときの話ですが石垣が崩れているところが何カ所かあったようです。このお城は1周ほぼ5kmほどで江戸城とほぼ同じです。さすがに前田のお城です。庭の中には見どころもたくさんありました。被害の事はあまり出ていませんでしたが、細かく見ていくと石垣の崩れは見えるようです。

また、往復の道(能登里山海道)ですが、いまだに崩れ修復が行われていました。場所によっては丸々一車線分崩れていました。大きな地震の爪痕を残していました。あちこちで工事が行われていますが、もうしばらく続くでしょう。志賀町は次第に戻りつつありますが、能登、珠洲はこれからです。心が痛みます。1日も早い復旧をお祈り申し上げます。
 

2024年05月02日(木)更新

お陰様で!

能登半島の地震から4ヶ月が経ちました。
珠洲市、輪島市などの奥能登はまだこれからの状態が続いています。市をはじめ多くの行政の皆さんは緊張の続き日々を送っているようですが、尤もご苦労されているのは市民、町民の皆さんです。避難場所や仮設住宅での生活は誠にお気の毒です。輪島市ではまだ300戸ほどに水道が再開していません。私も工場に出かける度、水道のない生活の不便さの一端を僅かですが経験いたしました。まずはトイレが問題でありました。1日も早い復旧を望みます。

インパックの能登事業所は今まで発送業務、生産などは再開し、多くの瓦礫もすべて終了致しました。あとは建物全体の外壁、工場を二か所に分けている隔壁の工事が残りますが、今年12月までに完成予定となります。お陰様で一連の工事の関する県の了解を頂くことが出来ました。実にありがたく感謝しています。
中には震災を機会に事業から撤退する企業もあります。インパックにもそのよう企業からの退職者が入社されました。私たちは東大和に本社がありますが、石川、能登の企業として発展できるように一層努力してまいります。

以上のように現在のところ順調に推移しております。あらためて感謝申し上げます。
 

2024年04月08日(月)更新

能登の復旧状況

先週末は二つある会をキャンセルいたしました。のどの痛みと咳が止まりませんでした。金曜の昼過ぎからルゴール液でのうがいを続け二日にわたり、家で寝ていた関係ですっかり良く成りました。このまま悪くなると困ったことになりましたが、昨日の夜行われた孫娘のダンスの発表会には間に合いました。

能登の話です。輪島市、珠洲市の復旧は水道が完全に戻り、被害にあった方々はきっとお風呂にも入れるようになった事でしょう。それでもまだ家に帰れない人が数多くいます。これから多くの住宅を作り一旦そこで暮らされることになります。同じ能登半島でも地域により大きな差が出てしましました。先日昔の友人から能登の畜産業はほぼ壊滅状態の話をお聞きしました。確かに小規模の方も多く、今回の地震では大きな被害を受けてしまいました。伝統産業も未だ回復していません。様々な協力体制は取られ始めましたが、本当の復旧はこれからだと思います。アッという間に3か月が過ぎました。

インパックの工場は志賀町にありますが、ここでも多くの県外の市から町役場に多くの人が手伝いに入っています。水道局の人は岡山から入り、他にも静岡などからも来られています。志賀町も3月には水道が普及し、生活が元に戻り始めましたが、住宅の復旧はこれからです。暫くの間、今の生活が続きます。

インパックは漸くシャッターの修理が始まりました。外との関係性からも1日も早い復旧をお願いしていましたが、漸く始まりました。
 

2024年03月13日(水)更新

スリーブが変わる

ペーパースリーブがいよいよ佳境に入り始めました。

現在ペーパースリーブの生産は私共インパックだけが国内生産しています。今回の能登半島地震では工場は大きな被害を受けましたが、先月の内に生産のすべては再開いたしました。確かに天井も落ち、工場のまわりも被害を受けましたが、現在は全て直し再開をしています。出荷も100%戻りました。

機械も大きな地震で動きました。3トンも4トンもある重量ですから、機械同士がぶつかり合い、壊れてしまうのではないかと一番心配していましたが、機械の間隔もしっかりとってあり、さほどの動きもなく専門の技術者に入ってもらうことで先月14日にはすべて稼働のチェックを完了しました。

この生産工場はインパックの要であります。安心いたしました。先月15日には県知事の来訪もあり、前日終了した工場を見ていただき、「ここは大丈夫」の声も聴くことが出来本当に良かったと思っています。

 

2024年03月01日(金)更新

地震から自信へ

2月14日は元旦の地震から45日が経ち、インパックの物流、製造機能が戻った日でもありました。金剛さん、仲二見さん、副社長の3名が1月2日から様々なことを考え、方針を立て、3日の役員会で復旧の方向性を聞くことが出来ました。4日からは一部の従業員の皆さんも参加し始め、45日間でここまで来ました。素晴らしいことだと感じでいます。
2月14日は県知事、復興相の政務官もお越しになりました。工場の中を見ていただき、知事は「ここは大丈夫」と小声で言っていました。確かにその夜テレビの中で近くの工場が映し出されていましたが、工場の天井は全て落ち、まだ何も出来ない状態でした。勿論、単純比較はできませんが、その時インパックは既に製袋が始まっていました。
更に協力者も現れました。同業者もいれば近くの建設会社など、復旧のため様々な会社が入ってくれました。
まずは仕事の出来る環境にする、建物などの復旧はその次といった明快な方針が功を奏しました。インパックはいち早く復興の段階に入りました。

それまで情報はいくつもあったものの、工場がどんな状態にあるのかつかめずにいましたが、元旦の真夜中、所長からの何枚もの写真でインパックの工場の様子が分かりました。現状把握がその日の内に出来たのです。その数時間後には副社長と専務は能登に向かい走っていました。昼過ぎ、所長と合流し危険の中、工場内を見て、今後の復旧に対する考え方をまとめていきました。
翌3日には臨時役員会をZOOM開催し、現地の3人と東大和の役員との間で今後の方針の確認をいたしました。現在はその時立てた方針通り進めています。

今回の事で、私はあり得ない環境を経験しましたが、一連の動きを見てインパックの対応力は素晴らしいものがあると感じました。巨大地震ではありましたが、復旧に突き進みました。出荷・製造は45日間で元に戻せました。

その元は「インパックは必ず復活する」という信念だったと思います。未だ道半ばではありますが、この信念をインパック共通の支えにしてはどうでしょう。

この後時間をかけ建物を全て直します。
 
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会社概要

2018年インパック株式会社(事業会社)の代表取締役に守重へきろう就任 IPホールディングス株式会社(持株会社)設立 代表取締役に守重知量就任 2016年花の鮮度保持管理コンサルティング会社 フラワーウォッチジャパン株式会社設立(子会社) 2014年東京オフィス本社移転...

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