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2025年05月13日(火)更新

インパック能登事業所、復旧工事完成!

お陰をもちまして能登工場の改修が終了し、建物全体を覆っていたシートが外れました。漸く外壁が元の姿を現われました。実に有難く感謝に堪えません。
昨年の元旦から見ると16ヶ月丸々かかりました。現地からの初めの報告から翌日の1月2日には副社長と専務は現地に入り工場長と合流し、とりあえずの復旧計画を立て、行政の皆さん、外部の工事関係者の皆さんと協議を始めました。工場内も天井や壁が落ち、各部屋との仕切りに使われていたシャッターも被害を受け、信じられない状況から、社員の皆さんの努力で瓦礫の撤去、工事関係者の皆さんは重機を使用しコンクリやむき出しになった鋼材などを片付け、更に被害のなかった商品を外部倉庫に移し、工事に着手するまで数か月を要しました。お陰で工場などは次第に出来上がり、機械類も整備され、元の位置に戻すことが出来、生産が再開しました。
このような状況下で出荷、製造は3月までには震災前の状況に戻すことが出来ました。勿論壊れた隔壁の撤去などは同時進行で行われました。外壁は何カ所か崩れ落ち、せっかくのインパックの看板も落ちてしまいましたが、約半年かけ外壁の作り直しを行い、更に元の外壁の色(みどりと赤のライン)に塗りなおし、漸く工場が仕上がりました。

地震にあたって多くの方々からお見舞いを頂きました。まことに感謝に堪えません。この大事なお金は更に酷い被害を受けた志賀町の被害地などに使っていただくため、志賀町に市長を訪ね、お渡しいたしました。
今回外壁工事をもって震災からの復旧工事は終了いたしました。心より皆様に御礼申し上げます。これからは更に工場の拡大計画があります。一層力を入れ皆様のお役に立つべく、努力して参ります。今後ともよろしくお願い申し上げます。ありがとうございました。


2025年04月28日(月)更新

能登へ行く

現在能登へ出かける時、ほぼ新幹線行くことになります。私は東京駅から参りますが、会社の皆さんは大宮から出かけます。大宮からの方が1時間ほど時間短縮になりますから社員の皆さんの方が正しいのですが、大宮乗り換えが最近少々つらくなってきました。特に夕方に着きますと、そこから先がかなり混雑していますので、私の場合そのまま東京へ行き車で会社もしくは家に帰ります。

もっとも新幹線のないころはほぼ飛行機でした。羽田から1時間です。羽田までの半分で着いてしまいます。そこからレンタカーで志賀町へ移動しました。コロナ前また私が良く利用したのは「のと里山空港」でしたここには乗り合いのタクシーがあり、予約していると工場まで連れて行ってくれます。この方法は今でも生きています。

前知事も機会あるごとにこの空港を利用するよう勧めていました。また知事ご自身もこの路線の利用をしていたようです。新幹線がすっかり東京への足となり、のと里山空港が忘れられることになりました。しかしそのままではまずい事情が県にはありました。それはのと里山空港へ行く飛行機の搭乗率です。ANAとの約束で確か6割を下回るとその分県が負担し、それを上回ると県に戻しがありました。県の負担は極力避けたかったからです。
前知事は当然それを御存じで東京に行く人たちに兎に角、新幹線めどは立っているので乗車はそこそこにして、のと里山空港の利用を呼び掛けていました。不便なのはのと里山空港までの道のりが金沢駅より遠い事です。それでも県の負担を減らすために皆さんのと里山空港を利用しました。
この空港は東京能登間午前・午後1便です。能登へ来られる旅行者のために条件はありますが、各市町が補助金の制度を持っています。出かける時は利用するのがいいと思います。

5月の連休明けには工場の外装も終わり、一連の工事が終了します。その日に合わせ出かけるつもりです。今回迄は新幹線とします。
 

2025年04月21日(月)更新

能登地震のその後

今朝早くNHKの放送で能登の輪島塗の最終工程を担当する塗師の男性が出ていました。
仕事場と自宅を兼ねる建物が昨年の地震で家がつぶれてしまいました。幸いご家族は無事の様でしたが大事な作品は壊れてしまいました。この方は店舗も持ち自分で作った輪島塗を店舗で販売もしていました。今回の地震はそれらも一部を除きダメになってしまったと話されていました。お聞きすれば18年前の輪島の地震の時にも家が壊され、作品も壊れてしまい、今回の二度目の地震に合い、すっかりやる気をなくされ引退を考えるようになったようです。然しボランティアの皆さんが懸命に壊れた家から作品を取り出してくれたことで、一部の作品は残り、もう一度やる気がでてきたと話されていました。ことによると輪島、珠洲の皆さんは同じ様な気持ちで生活されているのかもしれません。

確か18年前の地震は能登自動車道を寸断させました。丁度そのころインパックの工場を羽咋郡志賀町に作るところでしたので月に二度ほど出かけていました。二、三か月で自動車道は整備され車の往来は可能になりました。私は能登空港におり、レンタカーで志賀町へ出かけておりました。この時は志賀町の工業団地はほぼ被害がなくインパックの計画は無事に進めておりました。この時の地震から2年半後工場は出来上がり、稼働させることが出来ました。
それから15年が経ち昨年の地震となりましたが今回は志賀町も例外ではなく震度7が工業団地を襲いました。インパックも懸命な復旧作業を行い、昨年3月には生産が可能となりました。勿論、外壁や内装は壊れたままでした。内装は昨年の内に、外装は来月出来上がります。また、地震の頃自動倉庫は無事でしたが、結局入れ替えが必要になりました。これは来年の1月の仕事になります。ほぼ来月で終了ですが自動倉庫は来年1月となり、完全復旧は結局二年がかりとなりました。
 

2025年02月26日(水)更新

能登の雪も終わりに近づく?

今朝出社したに私の机の上にマイクロ胡蝶蘭の1本立と2本立の商品が置いてありました。どちらもチャコボールで造られています。これらは近く上市する商品ですが、いくつも咲いている花と多くのつぼみが付いている見事なものです。かなり品質も高く優れた商品に仕上がっています。とても気持ちのよい商品です。

それらを見ながら今朝のニュースは漸く雪が終わりに近づいていることを流れていました。能登半島はあまり雪が降らないことになっていましたが、今年は何度も雪がやってきました。インパックの工場も50cm、60㎝くらいは普通に降りました。おそらくそれらの雪は駐車場の北側に大きく積まれていることでしょう。何年ぶりかの光景です。
16年前の工場進出前に志賀町の方から一度工業団地を見てほしいいと言われ、16年前の二月に初めて役員四人で出かけていきました。2月20日でしたが雪が心配でどうなっているかと思い予定地に出かけましたが、雪一つなく少々拍子抜けした感じでした。町の方は「毎年こんなものですよ」
と話されていました。その時能登の雪の少なさをお聞きしました。520mの山が最高の高さでした。平均200mから300mの山が多いようです。北からの雪雲は能登半島を通り越し白山連峰や立山連峰にぶつかってその周辺に多くの雪を降らすのだそうです。その様な事から能登は雪が少ない、と言われています。一昨日能登から戻っている副社長に聞いたところ恐らく二番目の大雪だったとのことでした。それでも工場は問題なく稼働致しました。感謝しかありません。

この後一気に春の気配です。来月は桜の季節に入ります。いやが上にも明るくなって参ります。
 

2024年12月16日(月)更新

能登の事

現在、国家も石川県も能登に対して大きな力を注いでくれています。また、一般のボランティア方々も能登に対して格別の扱いを行ってくれています。更にテレビ、ラジオなども能登を扱う番組が多くあると感じています。実にありがたいことです。
多くの能登半島に住む人たちは、大きな支えを頂いていると感じている事でしょう。尤も被害の大きい人、年齢の高い人たちは様々なサポートを受けられていても心から安心するのにはさらに時間がかかることでしょう。
能登の伝統文化であり、伝統産業である輪島塗の被害は大変大きなものでした。出来上がった作品や商品、更に生産途中物の等、泥の中から探し出す場面を何度も見ましたが大変なご苦労だったに違いありません。更にそれらを磨き直し、都内へ売りに行く問屋のご夫妻には感銘を受けたものでした。

能登半島全体では170社近くの企業が廃業いたしました。インパックは好んで能登へ参りましたが、もう体も精神も能登の人間です。能登で採用した皆さんの中から役員も出ました。今回の災害を乗り切り前に進んで参ります。応援頂いた方々のためにも一層の努力を続けます。能登の皆さんには心から感謝いたします。

よろしくお願い申し上げます。
 

2024年12月09日(月)更新

切なる願い

能登には多くの人たちが訪ねてくれます。首相はじめ多くの大臣、更には天皇をはじめ皇室の方もお見えでした。現地の惨状を見て早い復旧、復興を思い、願いながら現地を見て頂きました。ある日の早朝、電話が掛かり約束した講演会に出られなくなった、と当日の朝連絡を頂いた方がいました。ジョージア大使でした。急遽能登行が決まり暗いうちから出発したそうです。各国の大使も出かけるとなると、現地での対応は大変だろうと想像がつきます。以上のような方々とお会いして少しでも心が晴れて呉れればいいとも考えています。

インパックの能登工場にも県知事をはじめおおくの県庁の方が来られました。復興庁の審議官の先生も来られました。お陰様でこのような時は報道関係の方も同行されますか、NHKに二度もインパックの工場が紹介されました。
知事からは大いに励まされ、工場の従業員の皆さんは大いに喜びました。被災後僅かの時でしたので知事の訪問はインパックと従業員にとって意義あるものでした。

また、県内各地には各県からの応援が沢山来られました。被害を受けた各役所には事務方の応援、水道局の皆さんが沢山来られました。応援体制は万全でした。市内の道路では札幌、三重都内、神奈川などのナンバーが見えました。恐らく私が見ただけですので日本中から応援の車が来ていたでしょう。そのほかにボランティアの皆さんです。また忘れてはいけないのは自衛隊の皆さんです。この様に災害に対する応援に対して感謝ばかりです。

しかしあまりに被災内容がひどく、広範囲の為、住民の方々は今までも大変でしたが、これからも大変です。9月の豪雨がもうないという保証もありません。
少なくとも能登と関わりある者として言えるのは、これ以上の地震や豪雨は来ないで欲しい、という切なる願いです。
 

2024年10月21日(月)更新

能登事業所

暫く能登の件に触れていませんでした。また9月には稀にみる豪雨が同じ能登を襲いました。恐ろしい現実です。

さて、今年の元旦の4時過ぎの地震は輪島市、珠洲市、奥能登町、志賀町の四つの街に震度7が襲いました。震度7の怖さは今回私共の工場も直撃した関係で身に染みて感じています。幸い従業員の皆さんは元気であったことが不幸中の幸いでありました。
工場、倉庫共に大変な惨状でありましたが、出荷の方はひと月余り、工場の復旧は2ヶ月ほどで元に戻りました。出荷、生産共に最低限の応急処置を行い、復旧に繋げました。しかし、専門の方に調べていただきましたが、外壁の全て、工場の中を事務所、出荷場、生産現場と分けていた隔壁は全て取り除くとの判断で4ヶ月ほどかけ復旧工事ができる環境を整え、7月に漸く外壁、隔壁、各部屋(事務所・食堂・会議室など)の工事に取り掛かることが出来ました。作業を中断せずにこれらの工事は進められました。7月から3ヶ月ほどが過ぎましたが、外壁は1/3ほど、内壁はこれから、各部屋も進行中で現在も工事が進められています。この様に工事が進められていることは本当に幸せなことです。国家からの補助もきっと降りると思います。自己負担部分もメドが経ちました。
後は来年二月の完成を待つだけとなりました。多くの御取引様からお見舞いを頂きました。これらは全て志賀町の町長へお届けし大変喜ばれました。またお水や食料は従業員の皆さんにお持ちいただきました。
インパックは大変恵まれた環境の中で復旧作業を続けております。偏に多くの取引先様のご厚志の賜物です。更に初期の段階で多くの得意先様は商品を出荷出来るまでお待ちいただく決断をしていただきました。また、従業員の皆様もその日の内に工場に入った副社長や専務、更に現地の常務の強いリーダーシップの元、復旧作業に当たってくれました。大きなご迷惑をおかけしましたが、一ケ月後には出荷が可能になりました。
お陰様で来年2月の完成を待つところです。改めて皆様に御礼を申し上げます。

終わりに当たり、9月の豪雨災害に見舞われた皆様にお見舞い申し上げますと共に、お亡くなりになられた方々に心よりお悔やみを申し上げます。
 

2024年07月01日(月)更新

能登の事を書かせて頂きます。

能登の事を書かせて頂きます。

珠洲市、輪島市、能登町などは奥能登と言われています。インパックのある志賀町、穴水、七尾市辺りは中能登と呼ばれています。
ご承知の通り今回の被害は奥能登、中能登の志賀町に震度7が来ました。現在復興住宅などを盛んに立てています。7,000戸予定と言われていますが、現在70%ほど完成しているとのことでした。最近のニュースで気になるのは、どうやらその復興住宅に住む人たちの組織がなく日々の生活に支障をきたしているとのことでした。
年配の方が一人住宅で生活していると、おそらく身体の状態にもよりますが、自分では何も出来ない方もいるかもしれません。このような場合。周り近所での助け合いが必要になるでしょうが、ほぼ初めて見る方々ではよほどのことがない限り、声掛けが行われません。出来ればお隣からと言う事になりますが、それも難しいようです。
なんでも行政にというつもりはありませんが、自治会には行政が関わらないと言う事の様です。入り口のところは手を差し伸べて丁度よいと思います。近所同士ももう少し近づくことは必要でしょう。

インパックの事ですが、お陰様で仕事は確実に復旧いたしました。あとは壊れた内部の改修と壊れた隔壁の修理、外壁の取り換え作業などがあり、これらは後8か月ほどかかり、来年2月には完成する予定です。多くの方々の応援でここまで来ました。感謝申し上げます。
 

2024年06月03日(月)更新

まだ続いています。

今朝の緊急地震速報を聞きスマホを見ると富山湾での地震の報が入っていました。早速連絡が能登の工場長から入り、現状無事との方が入ってきました。まだ収まっていない、率直な印象です。
先週まで工場の再開や出荷の部門の再開は済んでいましたが、外壁や隔壁はすべてこれからであり、採集来年の二月過ぎまでかかる予定を確認していたところでした。それが今朝の緊急災害通報で一気に目が覚めました。

油断をしてはいけない!

との声が聞こえてくる気がします。今日までに2度、震度5の揺れが来ましたが、震度7との差は歴然です。今回も幸いも被害はなかったようです。それにしても今回の震源地の珠洲市沖、珠洲の皆さんの恐怖は続いています。勿論その恐怖は決して珠洲、輪島ばかりでなく、志賀町の皆さんも同じです。
インパックの工場は外から見る限り、外観は地震前に戻っています。中の方はこれからやることが山積していますが、時間をかけてやっていきます。

工場の皆さんの恐怖は痛いほどわかります、どうか安全に行動して欲しいの一心です。大きい括りで言えば必ず安定し、生活も元に戻りますが、それまでの間が問題です。冷静に行動してください。

週に一度は能登の事を申し上げていますが、今日は速報が入りましたので状況をお伝えし、ブログに代えさせて頂きます。
 

2024年05月20日(月)更新

能登事業所

先週金曜日は、インパックの能登事業所で今年度の経営計画の発表会を行ってきました。尤も行ってきたとはいっても、能登の皆さんが会場の確保や準備をしてくれたおかげで開催が可能となりました。一時は社内に瓦礫も残り、会議どころではない惨状でした。工場長の金剛さんはじめ皆さんのおかげで事務所も会議室も、食堂も大分柱や壁はやられてはいますが、発表会はできる環境になっていました。トイレも使用できるようになっていました。従業員の皆さんは元気で活躍されていました。大いに感謝です。

今回金沢市に前泊し、早朝事業所に向かいましたが、同行の役員が朝早く金沢城付近を走ってきたようです。健康に気を付けている人はさすがに違います。ロビーで待ち合わせした時は何か充実している気がしました。そこでジョギングの事を知りました。お城を回ってきたときの話ですが石垣が崩れているところが何カ所かあったようです。このお城は1周ほぼ5kmほどで江戸城とほぼ同じです。さすがに前田のお城です。庭の中には見どころもたくさんありました。被害の事はあまり出ていませんでしたが、細かく見ていくと石垣の崩れは見えるようです。

また、往復の道(能登里山海道)ですが、いまだに崩れ修復が行われていました。場所によっては丸々一車線分崩れていました。大きな地震の爪痕を残していました。あちこちで工事が行われていますが、もうしばらく続くでしょう。志賀町は次第に戻りつつありますが、能登、珠洲はこれからです。心が痛みます。1日も早い復旧をお祈り申し上げます。
 
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会社概要

2018年インパック株式会社(事業会社)の代表取締役に守重へきろう就任 IPホールディングス株式会社(持株会社)設立 代表取締役に守重知量就任 2016年花の鮮度保持管理コンサルティング会社 フラワーウォッチジャパン株式会社設立(子会社) 2014年東京オフィス本社移転...

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