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2024年11月05日(火)更新

横浜優勝

昨日のスポーツニュースは横浜ベイスターズ一色でした。中々見ることのできないペナントレースでは3位のチームがパリ-グの覇者に勝ち優勝を手にしました。めったに見ることができません。

ニュースの中でスタジアムの周りに集まってきた横浜ファンたちの歓声と共に聞こえてくるある歌に驚きました。どう聞いても「今は百船(ももふね)、百千船(ももちぶね)、とまる所を見おや」と聞こえてきます。
この歌はきっと横浜生まれの人しか知らないと思います。小学校4年まで横浜で育った私はこの歌をよく知っています。学校で何か改まった行事があると全校で歌ったものでした。ここの小学校はとても古く1873年創立です。間違えていなければここには校歌がなく、いつも前述の「横浜市歌」をことある度歌っていました。難しい歌詞は森鴎外によるものです。横浜港の繁栄を歌ったものでした。
子供の頃の歌をはっきり覚えているくらいですから、学校でどれだけ歌ったか分かりません。とてもいい歌です。その歌を横浜ファンの皆さんが球場の内外で歌っていたのです。少し感激しました

横浜生まれの私としては今回のベイスターズの優勝が急に他人ごとではなくなりました。うれしさも倍になったようです。
30代の頃、お世話になった社長の会社でよく会合に呼ばれましたが、この社では何かというと「最上川」でした。社長のご出身が山形県でした。生まれ故郷と結びつく歌があることは、一体感を産む、とても素晴らしいものです。ほかの県でもあるのでしょうか。

横浜市歌について~横浜市

 

2024年10月31日(木)更新

山梨県小菅村

今朝のテレビの番組で小菅村の名前が出てきました。ここは奥多摩町の隣で東京都の水道の源水になっています。

実はこの村は私が子供の頃よく出かけたものでした。私の父の出身地の関係で春休みにはよく連れて行ってくれました。(夏休みは母の田舎の山梨県韮崎に行きっぱなしでした。)父の田舎は東京から決して遠くはないのですが、何しろ小菅までの交通機関がなく、かなりの間徒歩でした。行き方は二通りあり、奥多摩駅からバスでしばらく走り、村境からは徒歩で2時間ほど歩きました。中央線の上野原からは隣の西原村までバスで行き、そこからは同じく徒歩になります。時間は奥多摩からと同じくらいです。
いずれにしろとても行きづらい場所でした。20代になると車で出かけましたが、家から二時間ほどで着きますので、父親はよく出かけていきました。どうやらそば打ち名人の叔母の打つそばが食べたくなると私に声をかけてくれたようです。
今から20年ほど前、小菅村の名前が良く出てきました。村が市町村合併を断り、独自で生きる道を選んだ時から始まります。様ざまな事業を起こし観光で生きることを決めた様でした。村道をラリー仕様車が爆音を立てて通りすぎることもあったようです。
大きな温泉施設を作り、そのそばに道の駅を作り、村の中心地には虫を取りに来るようPRしたり、色々努力を続けていました。ここにはワサビ田もありますから環境抜群の地域です。村民600名が住み、実に環境のいい場所です。
昔の思い出はいとこが結婚した時、上野原出身のお嫁さんが村境から歩いて小菅村に入ってきました。沢山の人が一緒に歩いていました。私たち迎える側も多くの人が村境で待っていました。その意味では昔をいまに残す優れたところです。現在、私の自慢の一つです。

村が市町村合併をせずに600名の村民と共に生きることに決めたことも素晴らしい決断でした。

2024年10月17日(木)更新

お祭りの意味するところ

各町内には昔から続いているお祭りがあります。
それも各町々、村々には独自の文化をもち、それに合わせたお祭りが残っています。
四国のよさこいや阿波踊り、更には青森ねぶた、秋田竿灯、山形花笠、盛岡さんさ祭り、仙台七夕、福島わらじ祭りは東北の6大祭りです。

これら有名なお祭りは地元の有志の皆さんをはじめ、一般市民の皆さんが町内単位などで昔から参加する仕組みを持っています。今でも思い出すのは東北のお祭りが、東北大震災の後のほんの僅かで復活し地元の皆さんは「底力」を見せたのと同時に多くの市民、県民の皆さんに元気を与えました。今年輪島、珠洲、奥能登に衝撃を与えた大きな地震の時能登の各地で復活のキリコ祭りが復活し住民に元気を与えました。
能登の皆さんは祭りを行うことで住民の皆さんに元気を与えたいと頑張っていました。能登は東北の祭りのように大規模ではなく町単位で実施できたことは今年の地震を今年のキリで乗り切ったからだともいます。しかしその後の水害は予期せぬ事実でした。

全国的に有名な祭りでなく、昔から地域の神社を中心に行われてきたお祭りは数多く見られます。本当に熱心な氏子の皆さんが昔から引き継いでいます。引き継ぐにはそれなりの人が揃わないと引き継げません。高齢者の村では辞めた祭りが多くあります。
お祭りは地元の人にとっても、地元を離れた人にとてもそこに住む子供たちにとっても最も掛け替えのないイベントです。今に引き継がれているお祭りには必ずその土地に残るお囃子があります。昔は何か古臭いとも言っていた時もありましたが、今では体に染みついている大事な文化でもあります。
 

2024年06月10日(月)更新

一安心(立川にホテルが戻ってくる)

先週の金曜日、7日は保育園の年に一度の懇親会が開かれました。理事、評議員の先生がたも揃い参加者120名ほどの職員の皆さんと共に楽しいひと時を過ごすことが出来ました。私は少しばかり食べ物がままならず残念な思いをいたしました。

お話は違いますが、立川ではこの半年ホテルの話題でもちきりでした。長く商売を続けていた立川パレスホテルが撤退し、その土地を三菱地所が購入し大きなマンションになる予定でした。それはそれで仕方ないと思っていましたが、立川の皆さんはそうはいきませんでした。600名以上のパーティーは全部新宿まで行くことになります。私の感じでは200名以上になると立川では出来ないのではないか、と心配をしていました。恐らく立川の経済界の方々が動かれたのでしょうが、立川にある企業が三菱地所から土地を取得しホテルを建てることになったそうです。
私たちの懇親会もパレスホテルがなくなるのはかなり問題視していました。その意味では本当に安心いたしました。いいホテルが出来るといいと思います。勿論この事実を知り多くの企業の皆さんも安心したともいます。

多くの職員の皆さんが喜ばれたのは大きな成果でした。
 

2024年06月04日(火)更新

讃岐と武蔵野

今日病院帰りに三鷹のうどん屋さんに寄りました。ここは三鷹の繁盛店として有名です。

武蔵野うどんは間違いなく市民権を得たようです。今から20年前は東大和市にも武蔵野うどん専門店が4件ほどありました。一つの例ですが喜多方ラーメンが全盛の頃(今は30年前から見ると20%落ちています)人口500人に一軒の喜多方ラーメンの店が一軒あったようです。確かに30年ほど前に喜多方へ参りましたがラーメン店が軒を連ねていました。中には朝6時には開いている店もあり。友人が「朝ラーメンに行こう」と誘われ聞いていなかっただけに驚いたことがありました。
上記のように人口500人に一軒と言う事になると東大和には160件のうどん屋さんがなくてはいけません。それが今は一件になったものですからとても東大和のうどんはうまいと自慢はしてもとてもうどんの街とは言えません。
一方さぬきうどんで有名な香川県はどうやら1,800人に一軒の割の様です。これもすごいと数字です。何といっても一人当たりのうどんの消費量は日本一(一人当たり230玉)とあります。ほぼ毎日食べている勘定です。正真正銘のうどん県です。
さて、武蔵野うどんの勢いはそれほどではありませんがそれなりの歴史があります。昔から寄合の最後は必ず糧うどんでした。武蔵野うどんの基はその「糧(かて)うどん」です。暖かなつゆに冷たいうどんです。この地域の年寄はみんな知っています。今は肉汁うどんになっていますが、当時はゆでた油あげ、大根の細切り、ホウレンソウに限りませんがゆでた緑の野菜が入ります。質素そのものですが当時は油揚げが入る分だけ御馳走でした。それが今は油揚げの代わりに豚肉が入り一層おいしい汁に仕上がります。それを武蔵野うどんと言うようになりました。
今東京多摩地域に代わり埼玉県上げて武蔵野うどんを盛り上げ、香川県に対抗しようとしています。

2024年05月24日(金)更新

狭山の神楽

昨日町内会の回覧が回ってきました。
最近とみに興味の出てきた神楽の案内でした。あまりのタイミングに少々驚きました。

東大和市には6カ所の神社がありますが、恐らく半分は神官のいないところです。私の住む清水神社も普段は人がいません。お正月やお祭りの時には賑やかに人出も多くなります。今回、回ってきた案内はお隣の狭山神社のお神楽の案内で格別お祭りではありませんが、企画したそうです。その際清水神社のお神楽も特別参加する旨書かれてありました。
内容は「おかめひょっとこ」、「獅子舞」などです。清水神社の神楽が応援出演する理由はわかりませんが、その昔江戸から続く狭山神社の神楽が途絶えた時がありました。その後、再開するときに清水神社の清水囃を担当する氏子の皆さんが狭山神社のお手伝いをしたそうです。きっと昔から仲が良かったのでしょう。
尤も清水神社も終戦後途絶えた時がありました。その時は杉並の高円寺の神楽の名手を招き清水神社の神楽を継続させたことがありました。それが今に伝わっています。ここで面白いのは狭山の神楽は小平流でした。清水の神楽は高円寺流といられています。この様に神楽にも系統がありました。

以前富山の風の盆を見に行った時、ここの踊りの振り付けは江戸時代たくさん山を持ち、木材の切り出しをしていた大きな商人がこの地に何か踊りを残したいと考え、江戸から歌舞伎役者を招き、その歌舞伎役者に振り付けを教わったそうです。確かに風の盆の振り付けは玄人好みです。
各地、各地に様々なお祭りなどで演じられる子供歌舞伎や神楽などは自分たちで考えた人もいたかも知れませんが、上記のように専門の踊り手や、振付師を招き自らの踊りを作り上げていったようです。
実に熱心な話です。
 

2024年01月11日(木)更新

優勝記念

今日はある方に万年筆をお贈りする日です。

以前にも触れましたが、私が理事長を務める社会福祉法人の中に5つの保育園があります。
その一つ(東大和市内:谷里保育園)に勤務する保育士の先生がおられますが、昨年11月に南伊豆の100kmのマラソンに女子の部で優勝、男女合わせても3位の記録を打ち立てた方がいます。素晴らしいと思います。その保育士の先生がその優勝を受け「大阪国際女子マラソン」に招待されました。素晴らしい事実です。また保育園に来てから記録が伸びている、との話はうれしい限りです。

普段からまじめに保育に取り組まれていますが。その姿からは到底100kmレースで優勝する人に思えません。どこにそんなパワーを持っているのでしょう。日本のトップの女子マラソンの選手に交じり走る姿は今から楽しみです。1月28日(日)私たちのとっても楽しみですが、選手としてそれも100㎞の覇者として参加するマラソンはご本人のお気持ちはどのようなものでしょう。
きっとテレビにくぎ付けです。

万年筆は100㎞レース優勝記念としてお渡しします。
 

2023年11月16日(木)更新

わくわくコンサート

会場は始まる前から大騒ぎでした。

昨日は保育園の関係の音楽会を開催しました。私が理事長を務める東大和市内にある立野みどり福祉会は、市内に5つの保育園(内2つは小規模保育園:園児は700名を超えています)があります。更に二か所の学童もあり、その七カ所でグループを組んでいます。

せっかく立野みどり福祉会として活動を行いながら、まとまった行事がなく今日まで来ましたが、昨年からまとまった行事としては音楽会がいいということで実行しています。今年も昨年同様、鍵盤ハーモニカでご指導を頂いている妹尾先生にお願いをいたしました。
妹尾先生はピアノ、木琴、ドラム、フルート、ベースなどを演奏し、皆さんとバンドを組み全国をまたにかけ、演奏活動を続ける優れた方です。特に昨年はフランスの万博に招待され、演奏を行ってきました。
今回は昨年と異なり、園児の皆さんが舞台に上がり、演奏に合わせ、踊る姿を見せてくれました。会場を埋めたお母様方、理事の先生方もその積極性に驚いていました。恐らく演奏された皆さんもきっと楽しかったと思います。

今年で2回目となりましたが、来年も続ける予定です。来年の企画はこの先、結論を出しますが、園児、保護者の皆さんが同時に楽しめる企画を立てたいと考えています。
更に1時間後、先生方とご家族をお招きし、中身が多少違う演奏会を行いました。演奏家の皆さんのご厚意の賜物です。演奏者の皆さんはお疲れだったと思いますが、一所懸命やって頂きました。

この時知りましたが、東大和音頭というのがあり、保育園でも様々な行事の中で歌い、踊っていますが、その東大和音頭を歌っている歌手の方が妹尾先生の知り合いということで来ていただけました。全員が知る歌だけに素晴らしい時間を過ごしました。
企画運営、全て先生方ですが、心から感謝いたしますありがとうございました。
 

2023年10月25日(水)更新

市内の雄

偶然2日連続でお会いした市内の企業の会長がおられます。
この方は、恐らく市内で最も大きな企業を経営されています。1年で2回か3回お会いするのが普通なので、2日連続とはよほど珍しいことになります。

2日前は保育園(保育園の評議員をお願います)の研修(役員・園長研修)の時、昨日は市内のロータリーへ出かけた際お会いしました。何事にも積極的でお仕事も単に木材の販売ではなく、大きなプレカット工場を二か所も所有されています。おそらくプレカットは都内でもかなり早い段階で導入されていました。更に最近では大工さんの伝統技術を継承させていく工夫も様々され、木造住宅を後世に残す工夫もされています。更に余った木材を利用し、子供たちを集め教室(地域貢献)を開いています。
市内でもこのように積極的に展開されている企業はこの方だけでしょう。

インパックは3週間ほど前、次代の役員を集め役員セミナーを開催しました。顧問弁護士の先生と私が担当いたしましたが、年明け第2回のセミナーを行う予定です。顧問の会計士の先生とその会長に講師をお願いするつもりです。
 

2023年10月20日(金)更新

ほめ育

私の関係する保育園の一つ、谷里保育園では朝から「ほめ育」フェスティバルが開催され、園児の皆さんは夕方まで一日中参加し、楽しい1日を過ごしました。
輪投げ、ボール入れなど、さまざま開催され、保護者の皆さんが参加される午後3時以降は警察官による交通安全セミナーなどもあり、大分盛り上がっていました。また今回のイベントでは卒園生の皆さんが多く参加され、ある部屋は1部屋使って普段の活動の写真などが展示されていました。

この様に盛りだくさんの一日でしたが、朝から「ほめ育」開発者の原先生も参加されていました。保護者の皆さんへ「ほめ育」の何たるか、ほめ育の有効性など多くのお話を頂きました。もちろんほめるだけではありません。ほめるにしろ、叱るにしろ一定の基準をもって園児に接することが大事であることを、何度も話されていました。

この日私が感心したのは保護者の方々が多く参加されていたこと、園児の皆さんの生き生きした顔と行動、更に先生方の素晴らしい動きでした。谷里保育園は「ほめ育」を取り入れ今年で7年になります。いよいよ本物の時期に入ってきました。
今年、春にNHKからの取材が入り、日曜朝の「おはよう日本」で取り上げられ、好評を頂きました。伺えば今も取材が続き、来年にはほめ育を受けた園児のその後を取材した新たな放送があるようです。

 
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会社概要

2018年インパック株式会社(事業会社)の代表取締役に守重へきろう就任 IPホールディングス株式会社(持株会社)設立 代表取締役に守重知量就任 2016年花の鮮度保持管理コンサルティング会社 フラワーウォッチジャパン株式会社設立(子会社) 2014年東京オフィス本社移転...

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