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2025年05月29日(木)更新

夢と希望

1958、9年ごろと思います。今でも覚えているラジオ放送がありました。
日本がキラキラ輝き始める前夜です。そのわずか5、6年後の1964年に日本はついに一人当たりのGDPが1万ドルを超え、世界の先進国の仲間入りを果たしたころです。
松下幸之助さんがラジオで話したことが印象深く残っています。日本はこれから経済成長をすることになるが土地が足りない。それをどうするかですが、東京湾埋め立て計画を彼は話しました。アナウンサーは埋め立てをするにはどうするのか、との質問に富士山をつぶしその土を埋め立てに使えばいい、と答えていました。私はここしか覚えていませんが、大きな話しだと驚きました。
今であれば環境問題、景観問題等色々考えるといきなりダメ出しを受けることになりそうですが、この当時から松下幸之助さんも国家の発展のためには東京湾埋め立てが一番いいと信じていたのでしょう。あまり現実的な事とは思えません。しかしその後、東京湾は三井不動産などによる東京湾埋め立て事業などがあり、富士山の事を除けば現実的な話になりました。今でも東京湾埋め立ては続いています。

この様に夢と希望を話し、実際に事業を拡大させていった松下幸之助さんはじめ多くの経営者がいました。自動車業界も例外ではありません。ホンダ創業者の本田宗一郎さん、トヨタの創業者の豊田喜一郎さん、実に数多くの人々が未来を開いてくれました、
海外にはイーロン・マスクさんの様な方がいますが、全くタイプが違います。親しみのある創業者の方々が夢と希望を与え続けられ、我々も其れに乗りながら夢を追いかけてきました。
 

2025年04月11日(金)更新

伊藤和夫さんの思い出

私はどれだけの人にお世話になったか分かりません。仕事関係で言えば実に多くの方にお世話になりました。最近になって感謝する方の氏名を書くように薦められ、現在活躍中の方や亡くなった方も含め毎日手帳に書いています。書いているうち気が付きましたが、明らかに会話をしている気分になります。これは発見でした。今はこんなことをしています。などと声を出さずに話しています。これをお薦め頂いた方にも感謝しています。

私は24歳の時に包装資材の営業を始めました。初めて伺った会社にオーヤマ照明(現オーデリック)様がありました。三回目の訪問で照明器具を入れるポリ袋を全量受注することが出来、受注を頂いては納品のため工場に出かけて行きました。ある時私が工場の倉庫にポリ袋を納めていると社長とばったりお会いしました。その時、社長に「何時まで配達をするのか、いつまで問屋をやるのか」と聞かれ、少々面食らいました。社長は「あなたが袋のメーカーにならないといつか取引を辞めなくてはいけなくなる」。昔の話ですが間接税(今の消費税の様なもの)導入の時でした。結局間接税は廃案になりましたが、社長はいずれ問屋を相手にしていては高いものを購入することになるので「早くメーカーになりなさい」と言うのでした。この時を機にいろいろ教えを乞うことになりました。それから20年経ち、中身を照明器具から花に変え、能登に工場を作りました。今では花の袋のシェアは50%程を頂くところまで来ました。スーパーマーケットで販売される花の約半分が私共のスリーブに入れられています。
社長から言われた「メーカーになりなさい」を忘れたことはありませんでした。38年前、スーパーマーケットで販売される花を入れる袋は国内にメーカーが有りませんでした。僅かの間オランダから輸入していましたが、生産を決意しました。メーカーは簡単ではありません。問屋の時の何倍も考えることがあります。それでも多くの社員に恵まれ、今日も袋を作り続けています。お世話になった方は照明器具専門メーカーでは国内トップメーカーのオーデリック社長の伊藤和夫様です。

後日談ですが、伊藤社長は膵臓を患い三鷹の大学病院に入院されていました。私も同日同じ病院に入院し、検査室でばったりお会いしたりしていました。「私がここにいることは他言無用」と言われました。その後伊藤社長はお亡くなりになり、暫くした後、私は手術を終え退院致しました。伊藤和夫社長には心からの尊敬と感謝をしています。伊藤様の数々の言葉は今でも心に響いています。

 

2025年03月17日(月)更新

つけ麺 丸長

先週木曜日、近くのスーパーに会社らの帰りがけ立ち寄り、いくつかの必要な食品を購入いたしました。
その中にラーメンがありましたが、ある店名のついたラーメンを購入し一気に50年前を思い出しました、店の名前は「丸長」その袋にも書いてありましたが、「目白の名店」とありました。若いころ近くを通った時はよく立ち寄りました。既にこの時、丸長の売れ筋はつけ麺でした。冷たい麺に暖かなつけ汁は早く食べるのに最適でした。忙しく働いていた時でしたのでつけ麺には大変お言世話になったのです。また、この店はとにかく混んでいました。いつも外に人が並び忙しい店でした。
その店のラーメンの袋を見て当時の事を思い出し、懐かしくなりました。二袋購入し、一袋は月の半分は能登にいる弟が本社に戻っていましたので弟に分けました。彼も当時を思い出した様でした。彼の奥さんが若いころ通っていた芸術関係の私塾が近くにあった、と次第に思い出した様でした。
ラーメン売り場には有名店のラーメンが並んでいますが、まさか目白の丸長が並んでいるとは思いもよりませんでした。

私は若い頃(50年ほど前)、毎日車で営業活動をしていました。ある時荻窪のラーメン屋さんに入った時、丸長とあり、目白と同じだと思いましたが、メニューもつけ麺が主体でした。関係があるのかないのか分かりませんでしたが、親しくなったこの店の奥さんから面白い話を聞きました。終戦直後、この店には4人の共同経営の様でした。その後一人は池袋の大勝軒、もう一人は目白の丸長、もう一人は永龍軒(ここは詳しくありません)と一人づつ独立し店を持ちそれぞれが大変な繁盛店になっています。どの店もつけ麺が主体となっています。今ではそれぞれが有名店になっています。丸長だけでも多くの店があり、今でも丸長を買い続けています。

ラーメンのパッケージから色々思い出しました。
 

2024年12月06日(金)更新

力士と兄のこと

力士は相撲を仕事と捉えると大変な仕事についているな、と何時も思います。

年・六場所、一場所15日合わせて90日が一年間の戦いの場所です。今年は入幕後僅か六場所で大関まで登り詰めた天才力士が人気を独り占めした感がありました。大の里です。大の里は石川県津幡出身ですが能登工場へ金沢から車で出かける時、丁度その間にある町ですので初めの頃は親しみを感じていましたが、僅かの間に入幕し、その後確か入幕後4場所で大関まで登り詰めた時は親しみを通り越し尊敬の対象となりました。丁度大谷選手のアメリカでの活躍とダブっていましたので、すごいことになったと一人喜んでいました。
大の里の様な例は余り知りませんが、本当に強いとこのようなことが起こるのかと改めて実感しました。もっとも大の里にとって幸いだったのは二所ノ関部屋に入ったことではないかと考えます。二所ノ関親方は元横綱、稀勢の里です。怪我がもとでわずか12場所の短命の横綱でありました。横綱を務めていた時の苦しみを知る二所ノ関親方がいることは精神的な面でも大の里にとってはこの上ない強みとなるでしょう。また二面の稽古用の土俵を持つ二所ノ関部屋は大関となった大の里にとって強い味方となるでしょう。ある程度自由に稽古のできる場所があるからです。

この様な力士との関係性を表す一つの参考事例があります。兄が中学生の頃、まだ関取になっていない相撲取りがいました。そのころからまじめに稽古をする姿に心を打たれた兄は手紙を送りました。その手紙にその力士は返事をくれました。兄は場所中、励ましの手紙を何度も書き送りました。そのころには次第に強くなり、大関まで登っていました三根山隆司さんです。ある時は手紙と共に番付表も送られてきました。兄との交流は兄が亡くなるまで続きました。
手紙の内容について私は知りませんが、生前母が三根山さんはいつも病気の兄を励ましてくれたと言っていました。兄と三根山さんは何度かお会いしたこともあったようです。心通じる間柄だったと思います。
 

2023年10月10日(火)更新

何か一つ

今日は1964年のオリンピックの年であり、今日がその開会式であったと思います。私はその前日、青梅街道の中の区間を聖火リレーで走っていました。周辺の状況が今でも目に焼き付いています。

申し上げたいのは開会式です。真っ青な空が広がっていました。オリンピックで思い出すのは10月10日、開会式の朝の青空です。様々な競技が行われました。ヘイズの100mのゴールはテレビの中の一場面でした。また同じくテレビの中での日本女子バレーボールチーム日紡貝塚の大松監督によるソ連に対する勝利でした。三宅義信のウエイトリフティングの優勝も印象的でした。レスリングも強く、メダルラッシュでした。

中でも器械体操は強く、遠藤は個人優勝を果たしましたが、印象的であったのは山下選手の山下跳びでした。この山下跳びが今の体操につながっていると考えています。

上げればきりなく出てきますが、東京オリンピックの思い出を一つだけ挙げるとすればそれは開会式の見事な青空となります。59年前の青空です。
 

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2018年インパック株式会社(事業会社)の代表取締役に守重へきろう就任 IPホールディングス株式会社(持株会社)設立 代表取締役に守重知量就任 2016年花の鮮度保持管理コンサルティング会社 フラワーウォッチジャパン株式会社設立(子会社) 2014年東京オフィス本社移転...

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