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2025年03月28日(金)更新

スーパーマーケットが輝く

1955年頃、連日のようにラジオや新聞で賑わしていたことがありました。神戸の店舗二社が連日値引き競争をして、ついに9割引き迄来たという話でした。
その後の事実はわかりませんが、この時の動きとスーパーマーケットの誕生にはきっと関係があったと思います。スーパーマーケットはそのころ渥美俊一先生が国内大手の小売業を集めアメリカに行き、その翌年には日本にセルフ売り場を持つスーパーマーケットが誕生し始めました。1953年紀ノ国屋、1955年西友、1957年にはダイエー、1961年にはイトーヨーカ堂が次々誕生しました。
誕生直後スーパーは安売りの大看板で進められ、生鮮産品を取り扱っていました。ダイエーさんの主婦の味方は長く使われてきました。「悪かろう、安かろう」などと悪口を言われましたが、その話が一変したのは同じ小売業の街にある青果店、鮮魚店、精肉店などの小売店舗の総売り上げよりスーパーの方が全てにおいて上回る結果が1960年から70年代に出てきた「逆転現象」からです。これにより生産者、食品メーカーは販売の主軸をスーパーに置き始めました。その逆転現象の起きる頃から、品質の高いものがスーパーに流れ始めました。「良いものをより安く」がどちらのスーパーでも通用する時代になりました。

スーパーの力が本物になったのは東日本大震災がきっかけでした。私は大震災の年、スーパーからイオンさん、ホームセンターからコメリさん、生協連合会の専務のお三方のお話を聞くこと出来ました。このセミナーも渥美先生のペガサスクラブ主催でした。異口同音に小売業の役割の大きさを話されました。イオンさんは災害が起こった時、誰でも店舗に入り、必要なものを使用して欲しい、食べて欲しいと話されました。生協の専務は生協には小さな車が全国に万とある。たとえ道が狭くとも、生協の車なら何処へでも食品を積んでいける。現に今回の震災でも全国から車が駆け付けた、と話されました。コメリさんは店舗数がたくさんあり、それらの店舗では役に立てることもあったと話されました。つまり、スーパーマーケットを始めチェーンストアは国内の災害時、出来る事は全て行う。イオンさん等はこれから各県との間で緊急時の対応についての契約を結ぶと話されました。
これらの事はスーパーマーケットしかできないことを言い現わしています。今までの小売業から国家の大難がある時、建物も食べ物も差し出す国家のパートナーとして生きることを意味します。この様なことはスーパーマーケット等チェーンストアにしかできません。小売業の中にいたのですが、明らかに国家、国民を守る今までにない業態へと昇華したのです。
本当に素晴らしい事実です。どんなに優れた自動車メーカーでもこのようなことは出来ません。スーパーマーケットだけです。
私としては改めて尊敬の対象としてスーパーマーケットがあります。
 

2025年02月28日(金)更新

シュロの木

シュロの木

今朝、社内でシュロかネコヤナギかで少々議論がありました。
キリスト教を知る人はエルサレム入城(復活祭の1週間前の日曜日:聖枝祭)の際手に持っていた枝はシュロの木の枝と言います。元論この話は聖書の中の話であって正しい話です。

しかし私はシュロのではなくネコヤナギの枝ではないかとばかり思っていました。正教会がキエフ経由でロシアに入り、ロシアでは聖枝祭に使われていたものがネコヤナギであったことから日本でも同じ枝を使用していました。その様な事から私は勝手にネコヤナギと思っていましたが、聖書によれはシュロの木です。恐らくこのことはエルサレムの地域が影響しているのでしょう。しかしその時期のロシアではシュロの木は入手できずネコヤナギの枝にしたのかもしれません。
とすれば世界は広いですが、シュロやネコヤナギでない例もあるかもしれません。早速検索いたしましたが、エルサレムなど中東ではシュロの木で間違いありません。お隣のギリシャではオリーブの木が使われています。さらにコーカサスのジョージアでは木の枝ではなく、様々な草が使用されるようです。このように考えてみると布教活動を続ける中で宗教は意外と柔軟な手を打っていたようです。歴史を感じる話でもあります。

またもうすぐ復活祭がやってきますが、これもカトリックとオーソドックス(正教会)では異なります。これは暦の問題でどちらの暦を使用しているかで日にちが異なります。
カトリック、プロテスタントではグレゴリオ暦を使用し、オーソドックスではユリウス暦(旧暦)を使用しています。毎年復活祭の日程は双方異なりますが、今年はどちらも4月20日となっています。
 

2025年01月15日(水)更新

高倉町珈琲

小平の青梅街道駅近くに高倉町珈琲があります。小平市、武蔵村山市などにあります、他には国立市、国立にもあります。ほかにもあり40店舗が総店舗数(2024年6月)になっています。
会長は横川さんです。横川さんはすかいらーくの創業者四兄弟のお一人です。すかいらーくをお辞めになった後、2014年4月28日に創業されました。現在は会長をなさっていますが、大変勇気のある方だと思います。74歳で創業されたことから現在は87歳です。

この様な場合、「挑戦するのに年齢には関係ありません」などと言われますが、私が横川会長の年齢に近づき言えるのは80歳近くでは事業を起こすことは至難の業だと思います。私もやりたいことが多くありますが、そのほとんどが今の仕事の延長です。新たな事業を起こすことはなかなかできるものではありません。スケールの差を感じています。少々弱気な言い方をすれば精神力の問題が大きいと考えています。
横川会長の優れている点はカフェという業態の中でスターバックスなどが既に多くあり、郊外店でコメダが大きく伸ばされている中、八王子高倉町で一号店を出され、この時に上場の話が出ていました。本当にパワーを感じました。

座り心地の良い椅子と上質なテーブル、BGMやインテリアはビートルズ一色です。年齢層の高い人たちにはたまらないこともあるでしょうが、ここのスイーツはおいしいと評判になり若い人たちも多く来店しています。
少々前になりますが、仙台で良いところがあると連れて行ってくれたのが高倉町珈琲でした。木だけの椅子などどこにもありません。
近くあるビジネスセミナーで講師をお務めになることを聞き今日のブログとなりました。

 

2024年12月05日(木)更新

大相撲、ロンドン場所

私の長兄は20歳の時亡くなりましたが、大相撲が大好きでした。絵も上手で特に相撲絵は素晴らしいものがありました。私たちは横浜で育ちましたが相撲好きの兄は中学の頃、学校から早く帰った時はタクシーで蔵前(当時、国技館は蔵前でした)まで飛ばし、国技館に通っていました。帰りは父が迎えに行っていました。
さて、昨日知ったことですが、大相撲のロンドン場所があるそうです。相撲協会の八角理事長は1991年の同じロンドン場所で優勝を果たされたそうです。理事長には思い出深い場所になります。今回は幕内力士全員が参加をされることになっているようです。

かねがね思っていたことですが、大相撲の力士は大いに国際化が進みモンゴル、ロシア、ブラジルなどの出身者が多くいますが、決してルールを海外の力士に合わせ変更等していません。その意味では柔道などとは大違いです。今でも土俵上に女性を上げない事などは一例かも知れません。海外から多くの力士が来ても今のルールが恐らく変わることはないでしょう。相撲はスポーツではありますが根底には神事と捉えられています。

大相撲の観客の中に決して少なくない外国の人がいます。本当に素晴らしい事です。個人的にはこれだけのモンゴルの力士が活躍しているのでモンゴル場所があってもいいのではないか、などと思っていました。今回の海外場所はロンドンになりました。全く文化の異なるロンドンですからどうなるか心配ですが、きっと大成功すると思います。海外の人から見ると日本の伝統文化を見ることになります。小さな日本人のイメージが一気に変わります。
また羽織袴の時もあるでしょう、浴衣姿の時もあるでしょう。まるで歩く日本文化です。

伝統的には力士たちも今を生きる20歳、25歳の青年たちです。きっとそのギャップにも驚くに違いありません。会場のロイヤルアルバートホールは8,000、9,000人が入る大きな会場ですが、外観は日本の国技を行うのに最も適した会場だと思います。見ようによってはまるで国技館です?一年先ではありますが、今から楽しみです。
 

2024年10月22日(火)更新

樹木にもどうやら流行りがあるようです

16年程前、新しい家が出来ると家の周の樹木の多くはレッドロビンが植えられていました。恐らく数年前までその傾向が続いていたと思います。今はその勢いは鈍ってきました。
新芽が赤くそれも長い間赤い葉を楽しむことが出来、生垣の樹木としては最適のものでした。
私の家の近くに20軒ばかりの立派な家が並ぶ地域がありますが、この20軒ほどの垣根はほぼレッドロビンが植えられています。植えられた当時、妻を連れて見に行ったものです。
確かに今は下火になりつつありますが、次の流行りは何だろうかなどと考えていましたが、
つい先日新青梅街道からイトーヨーカドー東大和店へまっすぐ伸びる道を通りましたが、その道沿いに驚くような新芽が金色の樹木がありました。それ以来あちこち見てまわりますが決して多くはありませんが時々見かける事があります。兎に角、金色ですからびっくりします。黄色が日に当たり金色に見える訳ではありません。金色です。
もしかするとこの樹木はレッドロビンの次に来るかもしれないと一人合点しています。名前を調べると「オウゴンマサキ」というようです。マサキですからレッドロビンのように大きくなりませんから、生垣に使用するには少し背が足りないかもしれません。
それにしてもレッドロビンを見た時より今回のオウゴンマサキの方がインパクトはあります。もっとも金色ですから人によっては遠慮するかもしれません。そうでないとすると一体次に来るのはどんな樹木でしょうか。一時赤い花のマンサク(トキワマンサク)が随分植えられましたが、それも一時でした。

最も同じ樹木がどの家でも同じでは少々問題かもしれません。それぞれのお家の人達の好みが出てもいいかも知れません。

2024年10月11日(金)更新

賃上げ

今度の総理大臣も国民の賃金を何があっても更に上げ、物価の値上げ以上の賃上げを実施しなくては行けない、と言い残しラオスに出発しました。サントリーの新浪社長は9月には来期の賃上げはベースアップを含め7%を明言しています。これにより大手の賃上げの足並みをそろえる起爆剤にしようとしているのでしょう。

この話になると中小零細は大手の様にはいかない話が良く出てきます。現実にはそうなります。この問題を各企業に当てはめればそうなるでしょう。賃金の額や賃上げの幅などは各企業に任された問題ですが。これを各企業に任された瞬間、物価の上昇に追いつかない賃上げ幅になるというのがこのところの大きな課題となっています。
この様な時、いつも思い出されるのはヨーロッパにおけるユーロの導入です。以前にも一度触れました。スタート時ユーロは120円でスタートしました。その直前オランダ通貨のダッチギルダーやマルクは65円でした。つまりユーロの価値はマルクやギルダーの倍でありました。
しかし、あっという間に物価は昔の1ギルダーは1ユーロのなりました。今まで7,000円で泊まれたホテルは13,000円になりました。つまり大げさに言えば一晩で物価が倍になったのです。恐らく賃金も上ったことでしょう。ユーロ導入以降、オランダは何でも高い国になりました。物価も上りましたが賃金も上りました。これらは一企業の努力等ではありません。国家の政策の結果です。この様に物価や、賃金の問題は企業の問題ではなく国家政策なのです。
長年にわたり抑えられてきた賃金、物価は国家の政策により見事に上げなければならないと考えています。

この様な問題にこそ、与野党は真に戦って欲しいと思いますが、自分の会社の事となると国家の政策を待つ訳にいきません。
 

2024年06月21日(金)更新

小日本主義と扇子文化論

以前にも少し触れたことがありました。   
韓国の初代文化庁長官は日本留学時代扇子文化論を表しました。扇子の本来の姿は風を送り、暑い日僅かでも涼しくするために使用します。しかし用が済めば、あっという間に一本の棒状態になります。こんなに便利な物はありません。それこそ日本の文化だ、と言います。日本文化の神髄は小さくするところにあり、そこを追求することで日本の生き方にも触れることになります。あまり大きく世界に出ない方がいい。戦前の日本の帝国主義を指しているのでしょう。余計な事ですが韓流、KPOPブームの火付け役は初代文化庁長官の季御寧長官です。
大成功でした。

その李長官と接点があったかどうか分かりませんが、戦後の一時期首相をお務めになったなった石橋湛山は日本中に帝国主義が蔓延していたころ、「小日本主義」を唱えられました。それは、日本は東アジア(主に中国、朝鮮)の国々の関係をいち早く断ち切り、日本列島だけで先進地域である西ヨーロッパやアメリカとの自由貿易を通して利を得た方が余程平和的でかつ発展的である。今考えれば全く正解なのですが、戦前の日本でこれを言うのは大きな勇気があったと思います。

石橋湛山と李御寧のお二人の主張は大変良く似ています。

石橋湛山はほんの数か月の短命内閣でしたが、平和主義者の首相でした。
 

2024年05月08日(水)更新

昨日の読売夕刊から

私が小学校へ上がる前、更に小学4年生まで長期に休みには必ず山梨県の韮崎市へ出かけていました。私の場合、学校へ上がる前、保育園に行ってなかった関係で数ヶ月にわたり韮崎の祖父の家に遊びに行き、毎日楽しい日々を送っていました。学校に上がる前でしたが近所の子供たちと遊んでいました。

昨夜の読売新聞です。山梨の甲府盆地一体にあった風土病の事が出ていました。原因が分からず大きなお腹を抱え死んでいく人が沢山出ました。それも昔からあり、多くの住民から大変恐れられていました。子供の頃親たちが盛んに話しているのをよく聞いていました。兎に角怖い病だということはわかっていました。新聞によれはその地域へ嫁ぐときは棺桶を用意していくようにと言われていたそうです。
その後、地域のお医者様の努力によりその風土病の原因が分かり、その治療法も確立しました。新聞には当時の地域の様子と病気解決のため努力された方々の事が載っていました。
今では甲府盆地では確実に撲滅されました。

しかしインドネシア、中国、フィリピンでも同じ病気があり、少なくとも数年前まではなくなる人も多くいたようです。早くそれらの国でも撲滅がされることを祈っています。
 

2024年05月07日(火)更新

みんな同じ

連休の後半、快晴が続きましたが、今日は一転雨模様となりました。テレビでは海外や地方から戻った人たちが盛んに楽しい思い出を話していました。高速道理では上りの渋滞が映っていました。連休の楽しさも一段落となります。

昨年暮れ、1万人のコンサート(葉加瀬太郎のバイオリン)を見に行きました。武道館が一杯になっていました。昨日はテレビのニュースで160万人のコンサートをマドンナが行ったとありましたが、一体どうすれば160万を集めるのでしょうか。また、何処で開催するのでしょうか。驚きしかありません。
申し上げたいのは私の聴覚の話です。35年前マドンナの歌を聴いていた時の事です。30分ほど聞き気が付いたのですが、歌の区別がほぼつきません、みんな同じに聞こえてきました。
それ以来、若い人たちの歌、時にロックバンドの人たちの歌が同じように聞こえてくるようになりました。

今はさらにひどくなり、訴えかけるようなメッセージ性のある歌もみんな同じに聞こえてきます。区別のつくのは昔の歌謡曲や演歌などです。今は楽しく昔の歌を聞いています。
 

2024年03月15日(金)更新

第3のローマ

第1のローマは、現在のローマを中心の世界帝国になったローマを指します。第2のローマは現在のトルコの首都を中心に勢力を拡大させたビザンチン帝国です。現在のインタンブールはその昔のコンスタンチノープルです。更に昔はビザンチウムと言い小さな町でした。
コンスタンティヌス一世が東のコンスタンチノープルへ都を移し、大変な速度で帝国を形成していきました。東ローマ帝国もビザンチン帝国も同じ国です。1,000年続きました。
そのビザンチン帝国を引き継いだと言われているのがロシアです。今から1,000年ほど前、ロシアはビザンチン帝国からオーソドックス(現在ロシア正教会)=宗教を引き継ぎました。ビザンチン帝国亡き後、ロシアはその後継者と自認していました。

モスクワのクレムリンのある赤の広場から奥にある、巨大な壁と共にある建物は何者をも寄せ付けないような異様な雰囲気を持つ建物です。初めてここを訪ねた時「ここは第三のローマ」そのものだと感じました。
更にことがあると必ず、プーチンと正教会の総主教が並んでいる姿はビザンチン時代の皇帝と総主教で国を治めるという「ビザンチンハーモニー」とよく似ています。
更にロシアでは大統領選の最中で、もうすぐプーチン大統領が選ばれると言われています。それも80%以上の支持を受け、圧倒的な強さで選ばれると言われています。事実そうなるでしょう。
その昔のビザンチンの皇帝は民衆の歓声があって初めて皇帝として承認されたと言います。そうでない皇帝は皇帝として認められませんでした。その点からも多くのロシア人から認められるプーチンのロシアは紛れもなく第3のローマです。

 
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会社概要

2018年インパック株式会社(事業会社)の代表取締役に守重へきろう就任 IPホールディングス株式会社(持株会社)設立 代表取締役に守重知量就任 2016年花の鮮度保持管理コンサルティング会社 フラワーウォッチジャパン株式会社設立(子会社) 2014年東京オフィス本社移転...

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  • :Shino[01/18]
  • 高倉町珈琲
    • 高倉町珈琲、見かけることはあっても入ったことはなかったので、この記事を読ん...

  • :Shino[11/15]
  • 靴磨きは一つの楽しみ
    • いつも素敵な靴を履いていらっしゃるので、私もきちんとしなければと思います。...

  • :ShinoMorishige[11/05]
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    • 長野県には県歌「信濃の国」があります! 長野県出身の母は今でもそらで歌えます。

  • :守重 信乃[06/07]
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    • 別に嫌がってはいませんよ笑 楽しみにしています!

  • :高嶋博[04/15]
  • 高遠の桜、新宿の菊
    • 守重会長様 三元ラセン管工業の高嶋です。...

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