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2025年03月27日(木)更新

非常食は何日分

非常食は何日分

妻は夕食のおかずを近所のコンビニへ慌てて買いに出かけていました。その時の夕食の話題は緊急時の食事を幾日分持っていたらいいか、といった内容でした。

暫く前までは3日もあればから、5日は欲しい等、色々説はあるようですが、今日のテレビではついに2週間という話が出て来ました。確かに緊急時援助物資が届くまでの間、何もないではすみません。かといって我が家は最低限の食品を3日間持ってはいても、3日はあっという間に過ぎてしまいます。こんなのんびりしていていいのか反省ばかりですが、結局私たちは1週間分を持つことにしました。出来れば何事もなかった時に食べることもありますから、出来れば少しでも美味しいのがいいなどと言いましたが、意見は通らず、今まで購入した通販会社に頼むことにいたしました。このところ3年たったカレーやスパゲッティーを食べています。
勿論何事もない事もあるでしょうが、今の時代それは考えない方がいいと思います。今回、2週間になった根拠は富士山の爆発でした。都内でも10cm、20cmは灰が積る様ですから、今までの地震などの災害とは全く異なったことになるでしょう。
私は小学生の時、浅間山の噴火に2、3回遭ったことがあります。町の中、何処も真っ白で雪が降った後の様でした。浅間の噴火の粉はさらさらして、洗濯物などは叩けば一応は取れますが、洗い直しは必然でした。この時は1cmもなかったと思います。それが富士山に近いところは30cm、東京でも10cm、20cmでは高速道路、高速鉄道がここまで発達した今、ただで済まないことは想像できます。きっと物流は多くの場所で寸断され、復旧はどうなるのか専門家の人にまとめて欲しい所です。その結果が我々一般大衆は最低限の非常食を幾日持つかに関わってきます。
現代を生きる私たちはいくつもの危機に対応することが必要の様です。トイレや食事など出来る用意はして、あとは何が来ても慌てない心構えが必要なのでしょうが、きっと慌てます。兎に角、最低限の非常食も1週間持つ事といたしました。
 

2025年01月20日(月)更新

生活発表会

一昨日保育園の生活発表会がありました。どちらの園でも発表会は行われています。
発表会は普段保護者の方が中々見ることのできない保育園の中で行われている音楽、運動などの発表の場なのです。それ故「生活発表会」となっています。一昨日も保護者の皆さんは勿論、祖父母の皆さんもお越し頂きました。中にはかなり遠方から来られた方もおられるとお聞きしました。

中でも三歳児の皆さんによる鍵盤ハーモニカは素晴らしものでした。「喜びの歌」を三歳児の皆さんが見事に演奏されたのです。会場の皆さんも驚かれたに相違ありません。おそらく多くは4歳児辺りから始めます。それでもすごい事ですが三歳児の皆さんが演奏する喜びの歌は心から感動いたしました。先生方のご苦労を考えると素晴らしい瞬間でありました。
また、歌や踊りも見事でした。男女の衣装も先生方や保護者の皆さんが一緒になって作られました。何十名の衣装ですから長い時間をかけ作られました。その甲斐あって本番の舞台はまるでプロ顔負けの踊りでした。五歳児の皆さんは今回が最後の舞台です。見事な歌と踊りでした。遠くから来られた祖父母の皆さんもきっと感激されたと思います。

発表会の最後は五歳児の皆さんの体操でした。主に跳び箱でしたが9段の跳び箱に6名の園児が残りました。残りは10段です。ここで全員失敗するのですが、みんな元気に終えることが出来ました。つまり10段を全員が飛ぶこと出来ませんでした。
2ケ月ほど前4歳児、5歳児の皆さんに外部講師によるお話がありました。基本は偉人伝でした。偉人伝に出てくる人たちの成功の話は誰でも知っていますが、実は彼らこそどれだけ失敗したかわかりません。失敗の連続であったことがその時の話でした。失敗の結果が成功を呼ぶ話でしたが、今日の園児の皆さんは10段に跳び箱に挑みましたが、全員飛ぶことができませんでした。しかし挑戦の大事さと失敗の重要性は大いに学んだと思います。それは見ている私も同じでした。

本当に素晴らしい生活発表会でした。
 

2024年12月25日(水)更新

お正月に渡すクリスマスプレゼント

妻と二人暮らしとなり、家庭ではクリスマスらしいものは無くなりました。子供たちが家にいた頃が懐かしいです。3人(長女と次女は双子です)とも娘ですが今は三人ともに家庭を持ち、合わせて8名の孫がいます。それぞれ今日は各家庭で楽しい食事をとることでしょう。

毎年妻と私は8名の子供たちに一冊ずつ本を贈っています。今日には間に合いませんがお正月に来たときにクリスマスギフトを贈ります。初めは家内が一人で贈っていました。この数年は立川の大きな書店で子供の本を一緒に探します。結構これが大変努力のいることになります。子供用の書棚に多くの本が並んでいます。3歳、4歳、5歳、小1、小2、小6、中3、高3の子供たちに合いそうな本を探すのは結構大変です。今は二人で探していますが、少し前までは家内が一人で行っていましたのできっと大変だったと思います。今は私も多少の役に立っているようです。それでも1時間以上探すことになります。

本屋さんも良く出来ていて訳を話すとクリスマス用の包装紙にそれらしいリボンを付けてくれます。翌日には宅急便で8冊の本が家に届きます。小さなギフトですが子供たちの喜ぶ姿を見るのは何とも幸せな気分です。
尤も子供たちは一緒に渡すお年玉の方が余程うれしそうです。
 

2024年12月23日(月)更新

当時小学生

今朝も洗濯物を引き取りに来た人がいます。毎週立ち寄ってくれますがワイシャツを5枚から6枚は定期で他に上着などを出します。ワイシャツだけですと1,000円から1,200円が支払額となります。確かに冬物、夏物を出すときは少々高額になりますが、普段は1,000円ほどです。

5年程前は近くの洗濯屋さんに持って行き、更に引き取ってきました。ある時朝早く兄の家にいた時、朝の6時過ぎでしたが、当時40歳ほどの洗濯屋さんが洗濯物を引き取り、洗ったシャツを置いていきました。伺うともう30年近く朝来てくれているとのでした。その洗濯屋さんのご主人に家にも来てくれるか聞いたところ、「喜んで!」と言われ、その次の週から私の家にも回ってくれることになりました。
名前やら、自宅の住所など話し始めましたが、私の名前も家の場所もご存じでした。初めての方なのによく知ってますね、と話しましたら、40年以上前から私をご存じでした。よくよく伺うと今は移転しましたが、インパックの三軒先にあった洗濯屋さんでした。現在先代は無くなり、今は後を継いでいるとのことでした。兄のところは洗濯屋さんが引越しをした後、すぐお付き合いが始まったそうです。
私もすぐに小学校の低学年のお子さんをすぐ思い出しました。キャッチボールをやっていた子だ、その子が先代の後を継いでいる、と思うと40年の空白が一気に詰まりました。
お陰で今も朝早く届けてくれます。実に有難いです。

いいお付き合いができて、本当に良かったと思っています。
 

2024年11月18日(月)更新

まとめ方は力

先週13日は関係する保育園で4、5歳児と保護者の皆さんに対するお話がありました。
同じ講師の先生が大人と子供に対してお話をされる企画でした。どちらも1時間越えでしたので立派なセミナーです。私は両方に参加いたしました。

特に私は園児対象のお話に興味を持ちました。タイトルは「大人になって困らない話」でした。私は園児の皆さんに1時間どんな話をされるのか興味津々でした。お話が始まってすぐに、偉人伝を語られ、直後にこれらの方々は素晴らしいもの発明され、今でもその名が残っています。と話されました。多くの園児はエジソンなどその名を知らないかもしれません。しかし発明したものが今でも世の中に役に立っているものがあり優れた方々だということは理解しました。しかし先生の話は単なる偉人伝ではありませんでした。

先生はこう話されます。「どんな立派な発明も失敗の連続でした」ここで分かりました。子供たちは連日様々なことに挑戦しています。倒立、倒立歩き10m、20mさらにブリッジ、ブリッジ歩き、鉄棒では逆上がり、更に跳び箱があります。すぐできる園児もいますが多くは練習に次ぐ練習、失敗の連続で今日に至っています。
毎日逆上がりが出来ず、いやになることもあるでしょう。先生方の励ましを受けならいつかできるようにと練習を繰り返しています。園児の皆さんは嫌と言うほど失敗が身についているのです。
そこに今回のお話でした。偉い方々も失敗の連続という話を聞き、頑張る気持ちが高まってきたのでしょう。全員の園児の皆さんが先生の話を理解した様です。4、5歳児の皆さんが1時間の話を聞いていました。飽きた園児はいませんでした。

園児の皆さんに理解されたお話は本当に素晴らしい内容でした。私も参加してよかったと思いました。
大変力量のある先生のお話でした。
 

2024年11月15日(金)更新

フットケアはありがたい

意識的ではありませんが、靴と関係する足の事を申し上げます。

私の足は何カ所か胼胝(タコ)が出来ています。どうしても履いている靴と相性の悪いところに出来るようです。難しい字ですが形成外科の中に胼胝(タコ)専門の先生や看護師さん達がおられ我々の足の面倒を見てくれます。もう少し若いころはカッターで削っていましたが、5,6年前にはやるたび血を出してしまい、フットケア―の先生がいることを知りそれ以来二か月に一度通っています。先生は胼胝の処理と同時に爪の世話もしてくれます。
足の爪もある時から自分では難しくなりました。
身体が曲がらなくなりました。妻に頼んでみましたが、怖くてとてもできないと断られていました。無理してやろうとすると変に深爪になりこれもだめでした.

今ではフットケアの先生がいないと生活に支障が出てくる有様です。若い頃は何の問題もなく気にするところではありませんが、私もあと3年で80歳になります。歩くときは杖を持ち、二階以上に行くときはエレベーターばかり使っています。なんでも道具や先生方の手助けが普通になってきました。どこか体に変調がある時は病院へ出かけますが、足の爪でも病院通いが大事になってきました。形成外科の胼胝外来に出かけますが、大変ありがたく大いに感謝しています。

足の話でした。お詫び申し上げます。

2024年10月15日(火)更新

メダリストの影響

パリオリンピックの後、ニュースなどで目にするのはメダリストたちが日本各地で学校などを訪ね、それぞれの競技の模範演技を通して小学生たちに様ざま教えている姿を見る事があります。選手の競技もそれぞれありますが、目の前にメダリストが現れ、生徒たちに話し実際の演技を行うことは見ている生徒たちの心の高ぶりは普通ではないでしょう。単に教える事ばかりでなく、生徒たちの中にはこの事実を将来も持ち続けオリンピックに出てみたいと思うのではないでしょうか。昔からこのような企画を言う人はいましたが、中々実行されることはありませんでした。

古い話ですが、それを実践した方がいました。50年前に東京オリンピックの後、鉄棒で優勝した小野選手が「体操は子供のころからやるのが一番」と言われ日本で初めて子供たちのための体操教室を池上に開かれました。その数年前私の通っていた小学校に小野選手が来られ体操教室の必要性を話されたことがあり、私も母から500円をもらい小野さんに寄付したことがありました。15歳の時でした。その後丁重な令状を頂き感激したことを覚えています。
更に私も17歳の時池上の体操クラブに入らせて頂き。僅かの間ですが小野さんに鉄棒を教えていただきました。

この様にメダリストの存在は大きなものがあると思います。これから益々国内においてオリンピックなどで活躍した選手から影響を受ける人たちが多く出ることが期待されます。
これらはスポーツビジネスとしてどこかで結び付く気がします。

 

2024年07月12日(金)更新

豆虎:赤坂のコーヒー屋さん

赤坂のみすじ通りに一軒のコーヒーを販売する店があります。コーヒーばかりはそれぞれの好みが優先しますので勝手にお勧めできませんが、中々親切なお店です。まとめて購入するときは挽いてもらうことが出来ます。あとは一人前のドリップコーヒーもあります。このお店は正式には「豆虎 赤坂焙煎所」と言いますが、普段はほぼ豆虎で通っています。

一人用のドリップコーヒーには種類が数多くあり。最も簡単に選べるのは「パンにあう」「朝食用」などがあります。更にコーヒー好きの人のためには産地別に選ぶことが可能です。こちらは20種類以上あります。エチオピア、インドネシア、コロンビアなどです。これらは
味の目安となる「苦味・酸味・甘味・コク・香り」がグラフで表示されていることで大変選び易くなっています。この店の特徴は目瀬の狭さです。恐らく1間×2間くらいです。それなのに1/4は喫茶店になっています。とても狭く6人ほどが座れますがいつも一杯です。尤も店外でも3、4名は立って飲んでいます。

この夏、水出しコーヒーを初めて購入してみました。これが思いの外、美味しいのです。
雑味もなくかなりいけます。
またこの店は海外の方が多いのも特徴です。また、店のマスコットは軽の三輪トラック「ミゼット」です。昭和35年頃かと思いますが、よく走っていました。この店の屋号は「まめとら」ですが、ことによると小さなトラック(豆虎)はそこから取ったのかもしれません。
 

2024年06月13日(木)更新

VANジャケット

日本の戦後の服飾文化の中で輝く一人の男性がいます。石津健介さんですが私くらいの年齢の人は男女問わずご存じのはずです。1948年にVANを創業し、瞬く間に日本中をVANの渦に巻き込みました。戦後すぐアメリカントラッドの波があり、ブルックスなどを着る人もいたようですが多くの若者はVANにそまりました。1960年代は銀座に現れたみゆき族など始め、多くの新しいファッションの方向性を模索する人たちが出てきました。

私は若い頃は中々ついていけず、興味はあるけれども中に入れないような生活でした。ある時VANの店に行くと、人が多すぎてとてもは入れないほど繁盛していました。都内のVANの店は何処もそうでした。日本中がそうだったのかもしれません。石津さんの与えた影響は計り知れません。いい年になった頃、青山のVANショップへ行くようになりました。その店には石津健介さんの写真が何枚も有り、着物姿の石津さんを憧れのように見ていました。VANはなくなりましたが石津さんの影響を受けた人達は、たくさん男性の衣料を世に出していました。ある時、石津健介さんのご長男がロータリーの例会に来られ話をされていました。服飾の研究所を持たれ活躍されています。お孫さんもおりましたがVANジャケットを着こなしていました。今私の夢は半ズボンにVANジャケットを着たいと思っています。これは恥ずかしいので買っても家の中だけになります。

余計なことを沢山書きましたが、今夜VANに頼んだ背広が出来上がってきます。
 

2024年05月23日(木)更新

痛くない靴がいい!

本来靴は履くものですから、履いて歩ければそれで十分です。デパートの靴売り場に出かけると私は新宿のデパートは多く揃っていると思っていましたが、社員の話から有楽町の阪急の方が数が多く、種類も一段とそろっていると聞き一度出かけてみたいと考えています。

私は若いころから靴は重く、靴底は小石など踏みつぶせるくらいの革底の靴が好きでした。
それ故長年買いそろえた靴はそう簡単にはダメにならず、型崩れもせず元の形を保っています。おまけに趣味が靴磨きと来ていますからみんなきれいにそろっています。
しかしすっかり年を取りました。昔の靴が痛くて歩けないのです。病院で靴の中敷きも作ってもらい履いていましたがこれも最近ダメになりました。更に靴底も全部ゴムにしました。それでも痛くて歩けません。
そんな愚痴を社員の一人が聞き、この靴を履いてみたらどうかと持ってきてくれました。コールハーンの靴です。ビジネスシューズの形はしていますが革が柔らかく足を優しく包んでくれています。また靴底はゴムでできていますがいい構造をしています。歩いて本当に驚きました。全く痛みがありません。今年の冬の展示会では丸一日はいていましたが全く痛くはありませんでした。早速の同じ靴を求めることにしました。同じデザインの靴ですのでこちらも快適です。
更に最近「ジ・オニツカ」の靴を知りました。早速履いてみましたが全く痛みがなく幾らでも歩けます。これで仕事も快適になりました。

 
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会社概要

2018年インパック株式会社(事業会社)の代表取締役に守重へきろう就任 IPホールディングス株式会社(持株会社)設立 代表取締役に守重知量就任 2016年花の鮮度保持管理コンサルティング会社 フラワーウォッチジャパン株式会社設立(子会社) 2014年東京オフィス本社移転...

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  • :Shino[01/18]
  • 高倉町珈琲
    • 高倉町珈琲、見かけることはあっても入ったことはなかったので、この記事を読ん...

  • :Shino[11/15]
  • 靴磨きは一つの楽しみ
    • いつも素敵な靴を履いていらっしゃるので、私もきちんとしなければと思います。...

  • :ShinoMorishige[11/05]
  • 横浜優勝
    • 長野県には県歌「信濃の国」があります! 長野県出身の母は今でもそらで歌えます。

  • :守重 信乃[06/07]
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    • 別に嫌がってはいませんよ笑 楽しみにしています!

  • :高嶋博[04/15]
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    • 守重会長様 三元ラセン管工業の高嶋です。...

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