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2022年03月22日(火)更新

長い歴史

春先の天気は安定してきましたが、今朝はかなり寒く、昼に向かって温度が下がるということになっているようです。東京では最低気温が3度程になり、みぞれ混じりの雨が降るようです。おまけに今朝はNHKのニュースの中で盛んに室内温度は20℃にして欲しいと訴えていました。先週の地震の後、発電所を休止していて供給量が完全に不足する事態とのことでした。

先日の都内の桜は、明らかにつぼみが膨らんでいました。九段の桜の開花の標準木は20日には開花しました。ここには能楽堂があり、丁度標本木の裏側にあります。今年は見ることが出来ませんでしたが、家内がテレビで桜が咲いた際、能楽堂が移っていたそうです。
この能楽堂は明治の初め岩倉具視の発案で作られ、その後明治15年には靖国神社に移築されたそうです。
ある時、ラジオを聞いていた際、お能の恩人は三人いて、そのうちの一人が岩倉具視であることを聞きました。最初の方は足利義満、二人目が豊臣秀吉とのことでした。足利義満はまだ17歳の頃、観阿弥、世阿弥のお能を見てすっかりその芸のとりことなり、支援者として長くお能を愛されました。更に豊臣秀吉は能役者に対して物質的な支援を行い、能役者は経済的にも安定し、純粋にお能を続けていく基を作ってくれました。
三人目が岩倉具視ですが、江戸時代が終わり、権力者と能役者の関係が非常に希薄となり、能役者の多くは自分で生活を切り開かざるを得ませんでした。その時、岩倉具視によるお能に対する支援がありました。能楽堂を作り、お能・狂言などを外国の要人や政治、経済界の人に見てもらう機会を作りました。苦難の時代に大きな役割を果たしてくれました。

さすがに700年の歴史を持つ芸能です。その三名の方以外にも多くの支援者が全国にいて、今日につながっています。

 

2021年12月08日(水)更新

一体どんな花

お能に有名な羽衣があります。
作者不明の曲です。その昔は世阿弥作と言われたようですが、現在は不明となっています。

花に関係する私にとって少しばかり気になるところがあります。天女が羽衣をかけた松のあたりの描写です。
「虚空に花降り、音楽聞こえ」「霊香(れいきょう)四方に薫ず」天から花は降ってきます。併せて同じく天から音楽も聞こえてきます。更にあたり一面、いい香りで一杯になってきました。そこに立つ漁夫白竜の気持ちはどんなだったでしょうか。天女の羽衣があるだけでまるで別世界にいるようです。
この花は一体何でしょうか。当時の事ですから花といえば梅ということになりますが、きっとそればかりではないでしょう。様々な花弁がきっと降ってきたのでしょう。梅もいい香りですし、他の花も香り立つものだったのかもしれません。

その後、漁夫白竜はいったん手にした羽衣を約束通り天女に返します。天女はそれを身に付け、約束通りの舞を舞ってくれました。
その時、今度は天から花でもなく、音楽でもなく金銀財宝が降ってきます。天女は羽衣が戻ったお礼に舞を舞うだけでなく、国の宝を置き土産としてくれました。

約束を守るということはいいことです。


 

2021年11月22日(月)更新

白竜も偉い

いつでしたか、お能の羽衣の登場する天女(シテ)の冠についている花は何かと思っていたところ、ラジオの中で庭に咲いていたボタンがあまりに見事なので、それを使ったと話していました。しばらく不明でしたが、この時よくわかりました。

同じく羽衣の中で、天女が松の木にかけていた羽衣を土地の漁師の白竜が家に持ち帰ろうとしていたところ、天女が遠くからその衣は自分のだと言って近づいてきます。天女はそれがないと天に戻れないと大いに嘆き、羽衣を返して欲しいと懇願します。白竜は天女の落胆ぶりに舞を見せてくれれば羽衣を返すことにしましたが、羽衣を先に返すとそのまま天に戻ってしまうのではないかと疑います。

その時天女は「疑いは人間にあり、天に偽りなきものを」と言います。ここはある意味で羽衣の最も重要なところでもあります。問題は白竜で、この言葉を聞き大いに恥じ入ります。結果羽衣を返すことに致しました。天女は羽衣を羽織り天から宝物を降らせ、約束通り舞を舞います。今まで天女の言動が素晴らしいと感じていましたが、相手の白竜の天女の言葉に「恥じ入る」ところも素晴らしいと思い始めています。羽衣を返す白竜があって、初めてこのお能は成立しています。私も白竜のような素直な人になりたいものだと感じています。

お能の目的の一つは多くの人たちに宗教観、人生などをそっと教えてくれることなのかもしれません。
 

2021年11月15日(月)更新

紅葉狩り


お能に紅葉狩りという作品があります。

私は舞台を見たことはありませんが、家にあるDVDは何度も見ています。近く舞台を見るつもりです。
鹿狩りをする為、山に入った平維茂(これもち)一行は、酒宴を開いている女性から誘われます。維茂一行は誘われるまま酒を飲みかわし、寝てしまいます。その夢の中で一人の神(武内の神)が現れ、女性たちは鬼であることを告げ、八幡大菩薩からの神刀を置いていきます。目を覚ました維茂の前に鬼たちは現れます。維茂は授けられた刀で鬼女たちと戦い見事に打ち払います。内容はすさまじいものですがタイトルは「紅葉狩り」です。
女性たちが酒宴を開いていたのは紅葉狩りを楽しんでいたのです。「紅葉狩り」と「戦い」のギャップはありますが、動きの激しい楽しめる作品です。

今朝もDVDを見ていましたが、朝一番で入ったメールは京都のJC(日本青年会議所)の友人から京都へ来ないかとのお誘いでした。そういえば暫く行っていません。紅葉狩りとはいきませんが、年明けにJCの京都会議へ出かけるつもりです。

これからの京都は紅葉狩りも楽しめそうですね。私の好きな場所は大徳寺にある高桐院の参道の紅葉です。

 

2021年10月25日(月)更新

牡丹の花

牡丹は百花の王と言われています。確かに花の直径が20cmを超えるような大輪で色も白、赤、ピンクやそれぞれ色の濃淡があり、品種はたくさんあるようです。咲く時期は私の家の場合4月20日前後です。最近では黄色の牡丹もあり本当に素晴らしい花です。

昨日の歌舞伎座では紅白の牡丹の枝を両手に持ち、火消し役の人たちの舞があり、楽しく拝見しました。火消し達の真ん中では、火消しの棟梁がより激しく踊っていましたが、今日は人気役者の松也でした。普段はテレビでしか見たことはありませんが、さすがに二枚目役者です。素晴らしい存在感を見せていました。
また、松也の持つ扇は獅子扇と言うらしく、獅子頭と扇子を混ぜたようなものでしたが、大変効果的な小道具です。また、舞台全体に吉原の街の様子が描かれ、真ん中には桜が描かれていました。この桜こそ桜の花が咲く時だけ忽然として現れる、吉原仲ノ町の通りを飾った桜なのでしょう。
さすがに歌舞伎の楽しさ満載の舞台でした。

この舞台で火消したちの持つ牡丹の枝、松也と両脇を固める芸者衆の持つ獅子扇、これらはお能の石橋の流れと聞きました。言われてみればお能”石橋“も大きな牡丹の作り物が舞台の両サイドに置かれ、その間を文殊菩薩の住む浄土からやってきた紅白の頭を持った獅子が激しく舞うところと関係していると思うと、伝統の受け継ぎ方に面白さを感じます。牡丹の花には獅子舞の激しさに負けない豪華さがあるのでしょう。

 

 

2021年10月18日(月)更新

高橋忍先生

高橋忍先生

一昨日初めて高橋先生にお会いしました。金春流の有名なシテ方の先生です。
包帯でぐるぐる巻いた足を引きずりながらでしたので、初めから余計な心配をおかけしました。

ラジオでいつもお聞きしている、明るい声と全く同じ明るいお声でご対応いただきました。先週は狂言の善竹十郎先生が東大和にお越しの折、会わせていただきました。2週続けて有名な能楽の先生方にお会いできました。お能は見るだけでは20歳の時からですから50年を超えることになります。しかし格別勉強した訳ではなく、全くの素人で恥ずかしいくらいです。先ほど触れたラジオとは鎌倉FM放送のラジオ番組“お能へのいざない”です。毎週土曜日午後1時30分から30分放送されています。私の知る限り定期的に放送されるお能の番組はNHK FM放送の日曜朝、6時から行われるFM能楽堂と、鎌倉FMの2番組だけです。もっとも最近のNHKテレビではかなり頻繁にお能の番組をやっている気がします。

さて、髙橋忍先生とお会いしましたのは、薪能の会場になっているお店のご厚意でした。私としてはお会いしたかっただけに嬉しさで一杯でした。早速先生に謡をやりたいと話し、ご快諾を頂きました。謡をやりたいと思いたってから50年も過ぎてしまいましたが、ようやく実現できそうです。

2021年09月30日(木)更新

楽しみ


鵜飼い、といえばあまりに長良川の鵜飼いが有名です。JFMA(日本フローラルマーケティング協会)でお世話になっている岐阜の大西さん(セントラルローズ会長)に何度か誘われたことがありましたが、一度も出かけたことがありませんでした。テレビでしか見たことがありませんが、大変勇壮な漁法です。私はしばらくの間、鵜飼いと言えば長良川だけかと思っていましたが、その昔は全国各地で鵜による漁がおこなわれていたようです。
また、鮎取りには特別な資格が与えられ、誰にでもできることではなく、鮎に限らず川魚の漁にはそれぞれの土地の所有者の許可を得なければなりませんでした。遠い昔は恐らく天皇の許可が必要であったようです。そういえば長良川の鵜匠たちは、確か宮内庁の職員であったはずです。昔のなごりかもしれません。

鵜飼いは多摩川でも、山梨県石和の笛吹川でも行われ、今でもその伝統は続いています。
私は来月お能の「鵜飼い」を見に行きます。どうしても行きたかった理由はいくつかありました。日本で最小の薪能を開催する北浦和の二木屋さんへ行きたかった事、能「鵜飼い」に登場する旅僧がどうやら日蓮上人であること、舞台設定が山梨県で両親の故郷であること、また今回のシテが尊敬する高橋忍氏であることなどです。

来月の演能が今から楽しみです。

2021年09月14日(火)更新

鎌倉FM


毎週土曜日、13時30分から鎌倉FM放送で、お能の番組を聞くことが出来ます。毎週連続のお能の番組と言えば、NKHFMの日曜日朝6時より放送されるFM能楽堂が有名です。
私はその両方を楽しみに聞いています。

お能の番組を毎週放送するという事は、それだけコアのファンがいるのだと思います。NHKがいつごろから始まったかは分かりませんが、鎌倉FMのほうは2017年4月1日から始まりました。これは再放送をしている関係でよくわかります。大体一か月に一曲のペースですから、一曲を4回平均で放送しています。司会者の内田善昭氏はご自分でもお能をやっているようです。また、後藤和也氏はお能の研究家であり、金春流の地謡方としても活躍されています。更にもう一人謡を実演してくれる高橋忍氏は金春流シテ方の中心で活躍なさています。
彼ら三人の話でこの番組は進められていますが、感心するのは後藤先生がお能の事をよくご存じで、研究対象の事は勿論、裏話なども聞かせてくれます。また高橋先生は素晴らしい声をいつも聞かせてくれています。この番組を聞き始め、19カ月ほどになりますが、最近ようやく聞きとれる様になってきました。勿論まだまだです。今までは能楽堂に出かける際、準備として謡本があるものはそれを読み、ない場合は岩波の謡曲全集を見て出かけていましたが、今は鎌倉FMの再放送を聞いて出かけています。とても理解が深まる気がします。
三人がまるで昨日の事の様に話していることが、今から500年も600年も前の話しであることがよくあります。さすがにお能は現代まで続いています。

来月はこの番組で知った、北浦和の二木屋さんで行われる薪能を見に行く事にしました。
今から楽しみです。
 

2021年09月06日(月)更新

枯らした盆栽


4年前まで、それまで熱心にやっていた小品盆栽約500鉢を全て鉢と樹木を切り離し、盆栽の棚をきれいに整理しました。
その二年ほど前まで、私は2年で10数回の入退院を繰り返し、毎日水やりを繰り返していましたが、それが一切できないことになり結果、二年間ですべてを枯らすことになりました。本当にひどい事をしたと大反省中です。

最近、私の盆栽がだめになっていく過程を見ていた方がいることが分かりました。盆栽はどんなに小さくても見えないところに工夫があり、鉢の底にはネットを敷き、更に鉢の底から
針金で鉢と樹木を確り固定しています。枯れた場合、その鉢と樹木、針金、ネットを分けないと整理がつきません。それが少々暇を見つけながら1年以上かけ、全て片付けました。
ちょどその時、再度お尋ね頂き、鉢を引き取ってもいい、と言ってくれたそうです。私の留守の時の話です。
その方と昨日お会いしました。お会いできたのは全くの別件でしたが、近くにこの様な方がいたとは知りませんでした。わざわざその方が出された歌集をお届けいただいたのです。
年齢は私より少し上の方ですが、生きてきた場所も近くであり、好みも少々似たところもあるようです。今後いい話し合い相手出来た様です。歌集を読ませて頂きよくわかりました。

枯らした盆栽が仲を取り持ってくれたようです。

 

2021年08月10日(火)更新

3月15日


今朝早く、謡曲角田川を聞いていました。謡曲角田川は金春流が使用する漢字で、他の流派は隅田川となるでしょう。金春流だけがこの漢字を用いています。

その中で、子供を人買い(?)に連れ去られ、その子を追って京から武蔵国と下総の堺まで訪ね歩いてきた母親が、渡し舟の中で船頭から昨年京から連れてこられ亡くなった子供の事を聞かされます。名前も同じ、年格好も同じ、父親の名も同じでした。今日はまさに一年後の同じ日でした。角田川を渡り子供の塚で法要を営みます。母親は塚に向かって祈りますが、塚の中から子供の声と共に子供の霊が姿を見せます。母親は何度も子供に近づき抱こうとしますが抱くことが出来ません。子供の霊はその度、母親の手元から抜けるようにいなくなってしまいます。お能の中でも最も悲しい話です。

その法要が営まれた日の一年前の3月15日が亡くなった日でありました。曲の中で「去年3月15日」と謡う言葉がやけに残りました。

お能とは異なりますが、その「3月15日」で思い出したことがあります。悲しい角田川とは対極になりますが、同じ3月15日が出てくる話芸がありました。落語の中で最も優れていると思われる立川談志の「紺屋高尾」です。吉原の花魁に憧れた紺屋の職人が3年間貯めた15両をもって吉原の花魁の基に出かけます。正直者の職人に惚れた花魁の年季の明ける日が「3月15日」です。談志は話の中で「来年3月15日」を何度も絶叫します。ついに年が明け3月15日に花魁は髪を普通の髪に整え、歯に鉄染めて職人の元へやってくるという談志一級の話に仕上がっています。

なぜ両方とも「3月15日」なのか?勿論偶然ですし、私には分かりませんが、3月15日の前に去年とか来年とか入れると最も言いやすく、聞くものが一回で覚えることの出来る日がそれではないかと考えています。1月15日、2月15日と言ってみましたが、やはり3月15日が最も言いやすく、聴く側にはインパクトを与えてくれます。やはり3月15日です。

 
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