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2024年03月14日(木)更新

パッケージの話

パッケージの話をします。

インパックは初め、スリーブをオランダからコンテナで入れていました。私が初めてオランダに出かけた時訪ねたスリーブメーカーは今でもはっきり覚えています。100台の製袋機が3,000坪の工場に並べられ、8台に一人のオペレーターがいて14、5人で工場の製袋作業を行っていました。機械はすべて全自動機で原体(フィルム)をセットするとあとは100枚単位で大きなキャスター付きボックスの中に入る仕組みになっていました。袋をたたいてきれいに整列させる考え方が一切ありません。実はここが日本との違いです。これでは日本ではすべて不良品となります。事実このスリーブはその後コンテナ5台分ほど廃棄することになりました。オランダのスリーブは日本では売れませんでした。

全自動でスリーブを生産すると、まず花を入れるところ(口)が一定ではなく機械的に100枚製袋した後ブロックシール(100枚のスリーブをはんだごてのようなもので一気に穴をあけくっ付けていきます)もともと整列されていないスリーブはここで上下・左右のバラツキがあっても自動的にブロックシールされてしまい、それで完成品となります。バラツキはゆうに10mmを超えていました。では実際のバラツキがあると花がスリーブに入らないのかと言うとそんなことはありません。オランダでは良品なのです。現在バラツキは減りましたが基本は昔と変わりません。
1mmの狂いもなく整理し、100枚単位でブロックシールをインパックでは行っています。実はこれは日本だけで花の産地のオランダ、スペイン、エチオピア、ケニア、コロンビア、エクアドルではバラツキのある袋を採用しています。きれいに仕上げることはすべてコストなのです。明らかに見た目優先です。それ故日本のパッケージはガラパゴス化していると言われる所以です。
一部の隙のない商品作りは当たり前なのですが、必ずしも世界ではそうではないのです。
インパックの将来はジャストな品質をこれからも求めていく必要があると考えています。
 

2024年03月13日(水)更新

スリーブが変わる

ペーパースリーブがいよいよ佳境に入り始めました。

現在ペーパースリーブの生産は私共インパックだけが国内生産しています。今回の能登半島地震では工場は大きな被害を受けましたが、先月の内に生産のすべては再開いたしました。確かに天井も落ち、工場のまわりも被害を受けましたが、現在は全て直し再開をしています。出荷も100%戻りました。

機械も大きな地震で動きました。3トンも4トンもある重量ですから、機械同士がぶつかり合い、壊れてしまうのではないかと一番心配していましたが、機械の間隔もしっかりとってあり、さほどの動きもなく専門の技術者に入ってもらうことで先月14日にはすべて稼働のチェックを完了しました。

この生産工場はインパックの要であります。安心いたしました。先月15日には県知事の来訪もあり、前日終了した工場を見ていただき、「ここは大丈夫」の声も聴くことが出来本当に良かったと思っています。

 

2024年03月12日(火)更新

松竹

江戸から明治になり、各芸能関係者は大変なご苦労があったようです。お能は今まで将軍家や各大名家にお抱えの芸能として生活には困ることがなかったのですが、明治になり一気にその関係性は断たれました。
歌舞伎は将軍家とは関係のない庶民のもので、いきなり困ることはなかったようです。更に歌舞伎と文楽は松竹がスポンサーとなりビジネスとして成り立ちましたので、歌舞伎は一層発展していくことになりました。しかし文楽はかなり早い段階で松竹と関係性を断ち切られました。一人で生きていくとなると厳しいことになります。

一昨日歌舞伎座へ参りましたが、さすがに松竹です。現在の歌舞伎座は五代目の様です。設計は隈研吾氏のお仕事です。外見の重厚感と言い、大きな舞台をもつ建物は客席には柱一つなく一階席から三階席のどこに座っても舞台を見ることが出来ます。この空間が大きな外観の建物になっているのでしょう。
私は車で出かけていますが、車での来場者に対してもいい対応をしてくれます。また1時間分の無料サービス更に時間当たりも500円と銀座周辺としては安い設定になっています。

このような対応のできる歌舞伎はいいとしてもお能、文楽、自ら公演企画など行う芸能はきっとご苦労の多い事でしょう。
 

2024年03月08日(金)更新

再開

私のような年齢(77歳)でも活躍される方は数多くいますが、元気であれば仕事から離れ、楽しみを持ちながら暮らすことになるのでしょう。

尤も仕事をしていようがそうでなかろうが、昔を思い出すことも有り、昔の友人たちと会いたくなる時があります。このお正月の年賀はがきを読み直していたところ、60年近く前の親しい友人がみんなで集まろうとお誘いの内容が書かれていました。私は丁度能登の地震も有り、今回はお断りをいたしました。しかし断った瞬間、かなり後悔しました。

20歳の頃よく京都へ行きました。今私が訪ねる京都は全部彼から教わりました。円通寺も高桐院も、小さく印象深い寺は全て彼から教わりました。会えばそのころのことが又聞けたかもしれません。

友人たちの中には既に鬼門の人もいます。今のうちかもしれません。慌てて電話を入れ、秋に会うことになりました。

 

2024年03月07日(木)更新

冷凍食品

昨日は日本冷凍食協会の広報部の方のセミナーがありました。冷食は1970代に始まり、つい4年ほど前まで圧倒的に業務用が常に家庭用を凌いでいました。業務用全盛の時は6:4でした。それがコロナで外食が控えられ今日に至りましたが、現在ではほぼ5:5で業務用、家庭用が均衡しています。全体量は減ってはいますが恐らく家庭用が増えたことは業務用に比較し価格も高いでしょうから、メーカーにとっては決して悪い事ではありません。
それにしてもスーパー、コンビニ、ドラッグストア―などでの冷食売り場は増えました。

私はよくコンビニに行き冷食の昼食を買ってきますが、基本何を食べてもおいしく頂くことが出来ます。価格帯も300円台から500円台が多く、一般の弁当類とほぼ変わりません。今から楽しみにしているのは冷やし中華の冷食です。電子レンジであたためてもなぜ冷やし中華が出来るのかと言えば、電子レンジは氷が解けないのだそうです。麺が適当に柔らかくなり、本来であれば麺も温かくなるのですが、入れてある氷によって冷やされることになるそうです。様々な工夫がされ、開発された商品が出回っています。元気のある業界は新製品がいっぱいです。この二年で食品の価格は相当上がりました。勿論冷食も例外ではありませんが、どうやら価格が上がっても販売量は断トツで冷食は増えていました。
冷食の時代が始まったようです。

冷食は様々な利便性を持っています。忙しいお母さんたちにとっても、普段食事を作らない人にとっても便利なものです。また、冷食は電子レンジが重要ですが、これからの電子レンジはどうやら回転式でなく、固定式が増えるようです、その方が温めムラがなく便利なようです。一つの産業が伸びる時、周辺を巻き込んで伸びていきます。電子レンジはその一つかもしれません。

花き業界も参考になることが色々あります。
 

2024年03月05日(火)更新

梅から桜

あっという間に2月が終了し、明日からが3月になります。東大和のあちこちに梅の花が見事に咲いています。梅の花の多くは東大和に昔から住む人が多い本村地域に集中していますが、赤、白、更に枝垂れ等様々です。これらの花を楽しんでいるうちあっという間に桜になるのでしょう。
梅の綺麗さ、見事さは特に古木となった梅に象徴されます。幹は太く、風雪に耐えごつごつした枝ぶり、その見事な枝ぶりからきれいな花を咲かせてくれます。

梅が終わると三月には待ちに待った一気に咲く桜です。一気に咲くのは以前聞いたことがありますがソメイヨシノの特徴の様です。同じ遺伝子を持つソメイヨシノはその場所により咲く時期が同じになるそうです。きっと個体差が少ないのでしょう。
西東京では縦横それぞれ1kmにわたり並木のある国立の桜が見事です。ほかにも小金井なども見事に咲いています。

その昔、精工舎の服部さんが70年以前1万本のソメイヨシノの苗木を送ってくれました。本当はお金を都に寄付した様ですが、東京都の方でソメイヨシノの苗木を東大和に1万本用意してくれたそうです。それが20年ほど前までは東大和市の多摩湖周辺の桜はつとに有名でしたが、今はそれぞれ古木となり、切り倒され、昔の趣は有ません。若木への植え替えががうまくいかなかったからでしょう。きっと予算の問題です。
それでも東京の三月は桜一色になります。

 

2024年03月01日(金)更新

地震から自信へ

2月14日は元旦の地震から45日が経ち、インパックの物流、製造機能が戻った日でもありました。金剛さん、仲二見さん、副社長の3名が1月2日から様々なことを考え、方針を立て、3日の役員会で復旧の方向性を聞くことが出来ました。4日からは一部の従業員の皆さんも参加し始め、45日間でここまで来ました。素晴らしいことだと感じでいます。
2月14日は県知事、復興相の政務官もお越しになりました。工場の中を見ていただき、知事は「ここは大丈夫」と小声で言っていました。確かにその夜テレビの中で近くの工場が映し出されていましたが、工場の天井は全て落ち、まだ何も出来ない状態でした。勿論、単純比較はできませんが、その時インパックは既に製袋が始まっていました。
更に協力者も現れました。同業者もいれば近くの建設会社など、復旧のため様々な会社が入ってくれました。
まずは仕事の出来る環境にする、建物などの復旧はその次といった明快な方針が功を奏しました。インパックはいち早く復興の段階に入りました。

それまで情報はいくつもあったものの、工場がどんな状態にあるのかつかめずにいましたが、元旦の真夜中、所長からの何枚もの写真でインパックの工場の様子が分かりました。現状把握がその日の内に出来たのです。その数時間後には副社長と専務は能登に向かい走っていました。昼過ぎ、所長と合流し危険の中、工場内を見て、今後の復旧に対する考え方をまとめていきました。
翌3日には臨時役員会をZOOM開催し、現地の3人と東大和の役員との間で今後の方針の確認をいたしました。現在はその時立てた方針通り進めています。

今回の事で、私はあり得ない環境を経験しましたが、一連の動きを見てインパックの対応力は素晴らしいものがあると感じました。巨大地震ではありましたが、復旧に突き進みました。出荷・製造は45日間で元に戻せました。

その元は「インパックは必ず復活する」という信念だったと思います。未だ道半ばではありますが、この信念をインパック共通の支えにしてはどうでしょう。

この後時間をかけ建物を全て直します。
 

2024年02月28日(水)更新

フラワーアートアワード

一昨日、フラワーアートアワードを東京ミッドタウンに見に行きました。個々の一階、二階、三階に通路、更には通路わきのわずかなスペースで開催されていました。この様な企画であれば、部屋を借り切って行うより気軽に作品を見ることが出来ます。
このイベントは個人で活躍するフラワーデザイナー、有名生花店でフラワーデザイナーを担当する選ばれた人たちが参加するイベントでした今年で10回目だそうです。私は出展される箱根フローリストの淡輪さんにお聞きし出かけてきました。わざわざ見に来たというよりここに来たついでに作品を見る人が多くいたようです。この日は雨模様でしたが多くの人が来場されていました。企業からは第一園芸、箱根フローリストから、あとは個人で活躍するフラワーデザイナーの皆さんでした。

私はホームユースフラワーを生業としていますが、今回のように装飾を前提としたフラワ―デザインの大作を見るものいいものです。この数年ホテル需要も少ない時代でしたが、これからはこのような作品が更に伸びる時代であってほしいともいます。

 

2024年02月26日(月)更新

能登の被害状況

私は若いころ青年会議所のメンバーを続けていました。東大和の活動は勿論ですが日本青年会議所では地域産業政策を一橋大学の榊原先生のご指導の下、勉強を続けていました。更に青年会議所は業種別の活動も有り。私は30代の頃に畜産の包装資材の販売を行っていたこともあり、業種別部会の農畜産部会の一員でもあり、今でも続けています。
今朝のメールによると能登の畜産業が壊滅的な被害を受け、廃業に追い込まれているようです。現在でも復旧には程遠く、事業を続けることは不可能とのご判断が多い様です。何とか事業継続の支援を行って欲しいと思います。
更に、能登は伝統産業の被害も大きいようです。国家の余程のサポートがないと続けていくことは不可能です。一昨日の首相訪問で伝統産業の皆さんには多少の光が見えてきたようですが、まだまだの様です。
インパックは輪島の南にある志賀町にあります。ここには29社の工場が集約される能登中核工業団地があり、インパックもその中の一社です。比較的大きな工場があり、工場の建物の二倍、三倍の敷地をどこの工場も持っています。工場から出たがれきなどが積まれています。幸い建物の崩壊などの最悪の状況は免れていますが、どちらの工場も内部は大きな被害を受けたようです。
インパックも先月には物流が回復し、今月生産が戻りました。お陰様でより早い復旧が進んでいます。建物の被害は今後1年をかけ、修繕して参ります。今年いっぱい時間をかけて元に戻すつもりです。

地域により復旧の速度は異なりますが、時間がかかっても輪島市、珠洲市の復興を望みます。
 

2024年02月22日(木)更新

意外に多い(?)能楽ファン

最近分かったことですが、花き業界に関係する方々の中でどうやら能楽に関心をお持ちの方が何人かおられるようです。

先週の大田花きの磯村様のコラムの中に、中学からのご友人に能役者のお子様がいらして大きくなってからそのご友人にお能を習っていると、お書きになっていました。随分前になりますが、お会いした際、舞台に興味があるとお聞きしましたが、お能の事だったのかと今初めて知りました。何十年もお続けになっていることは尊敬の対象です。

更にごく最近、矢来能楽堂の九皐会(きゅうこうかい)の定期公演に出かけているお話を親しいお取引先の方から伺いました。時間を見つけてお出かけになるのでしょうが素晴らしいと思います。矢来能楽堂は観世の特別の家柄(観世宗家の分家)の観世銕之丞家の分家となっています。観世喜之先生がご当主です。この能楽堂で金春に関係する円満井会の定期公演もこちらで開いています。一度は行きたい能楽堂です。

私もこの二、三年来友人を誘い、北浦和で行われる座敷から庭で行われる薪能を見ています。
見学者も100名足らずですが、なんとも贅沢なお能の会(半能+狂言)です。金春のシテ方の先生が毎回参加されています。20年以上続いているそうです。
 
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会社概要

2018年インパック株式会社(事業会社)の代表取締役に守重へきろう就任 IPホールディングス株式会社(持株会社)設立 代表取締役に守重知量就任 2016年花の鮮度保持管理コンサルティング会社 フラワーウォッチジャパン株式会社設立(子会社) 2014年東京オフィス本社移転...

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