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力士と兄のこと

投稿日時:2024/12/06(金) 09:00rss

力士は相撲を仕事と捉えると大変な仕事についているな、と何時も思います。

年・六場所、一場所15日合わせて90日が一年間の戦いの場所です。今年は入幕後僅か六場所で大関まで登り詰めた天才力士が人気を独り占めした感がありました。大の里です。大の里は石川県津幡出身ですが能登工場へ金沢から車で出かける時、丁度その間にある町ですので初めの頃は親しみを感じていましたが、僅かの間に入幕し、その後確か入幕後4場所で大関まで登り詰めた時は親しみを通り越し尊敬の対象となりました。丁度大谷選手のアメリカでの活躍とダブっていましたので、すごいことになったと一人喜んでいました。
大の里の様な例は余り知りませんが、本当に強いとこのようなことが起こるのかと改めて実感しました。もっとも大の里にとって幸いだったのは二所ノ関部屋に入ったことではないかと考えます。二所ノ関親方は元横綱、稀勢の里です。怪我がもとでわずか12場所の短命の横綱でありました。横綱を務めていた時の苦しみを知る二所ノ関親方がいることは精神的な面でも大の里にとってはこの上ない強みとなるでしょう。また二面の稽古用の土俵を持つ二所ノ関部屋は大関となった大の里にとって強い味方となるでしょう。ある程度自由に稽古のできる場所があるからです。

この様な力士との関係性を表す一つの参考事例があります。兄が中学生の頃、まだ関取になっていない相撲取りがいました。そのころからまじめに稽古をする姿に心を打たれた兄は手紙を送りました。その手紙にその力士は返事をくれました。兄は場所中、励ましの手紙を何度も書き送りました。そのころには次第に強くなり、大関まで登っていました三根山隆司さんです。ある時は手紙と共に番付表も送られてきました。兄との交流は兄が亡くなるまで続きました。
手紙の内容について私は知りませんが、生前母が三根山さんはいつも病気の兄を励ましてくれたと言っていました。兄と三根山さんは何度かお会いしたこともあったようです。心通じる間柄だったと思います。
 

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