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2025年04月25日(金)更新

キングズデー~オランダナショナルデー-2

昨日のオランダ大使公邸で開催されたナショナルデーは大変華やかに行われました。

和太鼓のパフォーマンスや近くの中高生による吹奏楽の演奏もありいつになく素晴らしくにぎやかなナショナルデーでした。和太鼓の演奏は4名で行われましたが全員大使館の職員の女性が演奏されていました。よく見かける和太鼓の演奏者の身なりがありますが今回の皆さんはスカート姿でした。一体だれが演奏しているのかと思っていましたが日本人の職員の皆さんでした。よほど練習されたのでしょう。立派な演奏に会場から大きな拍手がわいていました。吹奏楽の皆さんはお揃いもオレンジのTシャツを着て日蘭両国の国家を演奏されていました。中・高生でした。これは近くで聴くと流石に迫力があり、こちらも大きな拍手が沸いていました。
大使のご挨拶もありました。更に外務省政務官のご挨拶が続きました。

ナショナルデーには毎年のように伺ってきましたが、太鼓や吹奏楽が入ったのはあまり覚えがありません。この様な事は恐らく大使のご意向が働くのかもしれません。
大使によりそれぞれの特徴があるようです。お話し好きの方は挨拶が大変長い時がありました。また、大使公邸を使用したくない方は外だけで行われました。今回の大使は公邸の中をすっかり綺麗にして我々を向かい入れてくれました。
この大使館ですが、神谷町などから参りますとかなり高いところにあります。今回は車で参りましたので随分楽をいたしましたが、歩く方はかなり大変です。大使館が出来た当初その場所から東京湾の海が見え、オランダ船を見て当時の職員の皆さんは大層喜んでいたそうです。また、大使館は上から見ると昔の出島の形をしています。扇を広げたような形です。伝統を形にしているようですが、何と言っても徳川家康から賜った御朱印が残っていることは大きな驚きです。
 

2025年04月24日(木)更新

キングズディ―

今日はオランダのナショナルデーとなっています。しかしオランダのナショナルデーは現国王(ウィレム・アレキサンダー)の誕生日ではありません。私の若いころからオランダではベアトリクス女王が国を代表する君主でしたが、この方の時代もオランダのナショナルデーは4月末でした。伺ったお話ではベアトリクスのお母様であるユリアナ女王の誕生日に合わせナショナルデーが設けられていたようです。その関係で4月末にナショナルデーとなっていましたが、今回の国王の誕生日は4月27日ですので今までのルールで決めた日でも現国王の誕生日がほぼ重なっている関係で矛盾はありません。

過去30年間でオランダの君主が来日されたのは2回だけです30年前はインパックの当時の社長(守重勝弘)が呼ばれました。ホテルオークラで女王主催の返礼のパーティーが行われましたが、この時はオランダからアムステルダムコンセルトヘボウ管弦楽団が同行し、晩さん会の前にサントリーで記念の演奏会が行われました。
つい10年ほど前は現国王が来日されましたが、場所はホテルオークラで国王主催の晩餐会が行われました。この時の演奏会は室内楽で弦楽四重奏の演奏が行われましたが、会場はオークラの中で行われました。この時は私が参りましたが、皇室からはほぼすべての方々がお越しになっていました。天皇・皇后両陛下、皇太子ご夫妻、秋篠宮ご夫妻等皆さんがお揃いでした。
この時花関係では大田の磯村様、イノチオの石黒様にお会いしました。他にいらしたと思いますがこのお二人とはご挨拶するが出来ました。

今日はナショナルデーです。きっと多くの大使がお越しになります。アメリカのジョージ・グラス大使も参加されると思います。
 

2025年04月22日(火)更新

新種の数

一体どのくらいのお花の新種が出てくるのでしょう。随分前に岐阜大学の福井先生から1年間に出た赤いバラだけで50種類ほどあったとお話を伺ったことがあります。更にそこから品種ごとに新種が出て来ますので一年に一体どのくらいの新種が出てくるのでしょう。

国内では現在4万種の花が栽培され、更に毎年2.000~3,000種の新たな花が加わります。なんでもこの数は世界で一番なのだそうです。ほかにオランダを始め東アフリカ、コロンビア、エクアドル、アジア各国とみていくと手元にデータがありませんが、日本の数の倍はあるかも知れません。いずれにしろ4、5,000種類はあるかも知れません。日本の場合40,000種の花を栽培し、毎年2、3.000種の新種を投入しているわけですが、毎年この数字は変わりません。ということは毎年2、3.000種の花が消えていく事になります。
お花にとって新種は大事ですから毎年新たな品種が投入されます。しかし投入される花と同じ数の花が消えていく事になります。消えていくのは在来品種なのか、新種であるのか分かりませんが紛れもなく多くの花が新種として出て来ます。

前述した赤いバラの50種新種が出た時、先生は学生にバラの区別を聞いたそうですが、誰一人区別がつかなかったそうです。花の多くの新種はなかなか区別がつきません。だた花の咲き方、微妙な色の違いなどはこれから幾らでも出てくるでしょう。そうして様々な思惑がありましょうが、自然にいくつかの花が消え、いくつかの花が増えてくるのだと思います。
それにしても新種の開発力は日本が断トツの様ですが。素晴らしい事だと思います。
サントリーさんのサフィニアのように世界中で売れる花が生まれるといいですね。
 

2025年04月21日(月)更新

能登地震のその後

今朝早くNHKの放送で能登の輪島塗の最終工程を担当する塗師の男性が出ていました。
仕事場と自宅を兼ねる建物が昨年の地震で家がつぶれてしまいました。幸いご家族は無事の様でしたが大事な作品は壊れてしまいました。この方は店舗も持ち自分で作った輪島塗を店舗で販売もしていました。今回の地震はそれらも一部を除きダメになってしまったと話されていました。お聞きすれば18年前の輪島の地震の時にも家が壊され、作品も壊れてしまい、今回の二度目の地震に合い、すっかりやる気をなくされ引退を考えるようになったようです。然しボランティアの皆さんが懸命に壊れた家から作品を取り出してくれたことで、一部の作品は残り、もう一度やる気がでてきたと話されていました。ことによると輪島、珠洲の皆さんは同じ様な気持ちで生活されているのかもしれません。

確か18年前の地震は能登自動車道を寸断させました。丁度そのころインパックの工場を羽咋郡志賀町に作るところでしたので月に二度ほど出かけていました。二、三か月で自動車道は整備され車の往来は可能になりました。私は能登空港におり、レンタカーで志賀町へ出かけておりました。この時は志賀町の工業団地はほぼ被害がなくインパックの計画は無事に進めておりました。この時の地震から2年半後工場は出来上がり、稼働させることが出来ました。
それから15年が経ち昨年の地震となりましたが今回は志賀町も例外ではなく震度7が工業団地を襲いました。インパックも懸命な復旧作業を行い、昨年3月には生産が可能となりました。勿論、外壁や内装は壊れたままでした。内装は昨年の内に、外装は来月出来上がります。また、地震の頃自動倉庫は無事でしたが、結局入れ替えが必要になりました。これは来年の1月の仕事になります。ほぼ来月で終了ですが自動倉庫は来年1月となり、完全復旧は結局二年がかりとなりました。
 

2025年04月16日(水)更新

母の日ギフト

私は花の関係のビジネスを行っている関係で、母の日は花を贈るのが普通になっていました。母や義母がなくなった今、母親の代わりに昔の友人や妻や娘にも送っています。勿論「私はあなたのお母さんではない」などと言われます。私の母親ではありませんが、三人の娘から見れば母親ですから花が送られるのは決して悪い事ではないと思います。

申しげたいのはその様な事ではありません。母の日に花が送られますが、一体花が全母の日ギフトの中でどのくらいを占めているかです。ある調査結果を見ると様々な母の日ギフトがありますが、そのうち花ギフトは24.6%となっています。これは昔から言われていますが、お母さんの本当に欲しいものは何なのかでありました。デパートの方は母の日ギフトは花ではなく身に着ける物や衣類などを好まれると話されていました。また、友人たちと話したところでは美味しいスイーツがいい、更に食事に誘うのが一番、と話される方もいました。
おそらく全て正解なのでしょう。スイーツ、食品、グルメの三点で38.3%、食べ物関係の方がお花を抜いています。全体で言えば母の日のギフトの3/4が花以外のものが送られています。
私は以前から思っていましたが、お食事をされたり、おいしいスイーツをお贈りする時に一緒にお花を添えるのは如何でしょうか。テーブルにお花があれば一層楽しい会食になること相違ありません。

母の日の前ギフトの1/4がお花であることは素晴らしい事ですが、少し考えて頂ければ母の日の花は更に利用度が高まると思います。

(調査は母の日ギフト白書 2025年)

 

2025年04月15日(火)更新

海外活動

一昨年度から海外への出張を再開しました。

再開直後は北海道の専務が二度ほど一人で出かけていましたが、その頃はコロナが終了する前後でより慎重に準備を行い出かけて行きました。その後2023年11月に専務と私はオランダの出張に出かけました。より活発になったのは2024年11月のオランダに始まり、その後はほぼ毎月のようにオランダ、中国、シンガポールに貿易部の皆さんや東京の専務が出かけています。

その間には花束の加工機を中心に機械の搬入などで出かけることも有り、漸く海外のビジネスも軌道に乗りかけています。今回中国へ3名で出かけていますが、営業活動の他、幾つかの展示会も回って来るようです。
インパックの現状ですが、海外の展示会で言えば、どうしても行かなくてはいけない展示会がいくつかあります。特にオランダの展示会は行き続けることが重要です。オランダの展示会に出かけると南アメリカ(コロンビア・エクアドル等)、東アフリカ各国(エチオピア・ケニア・ルワンダ等)後は、インド、マレーシア等アジアの国々の状況を知ることが出来ます。切り花の輸出国からは一社でなく何社も出展していますのでとても重要な展示会となっています。また、ここでお会いする日本人、中国、アジアの人たちは貴重な人たちです。大事なミーティングの場所にもなっています。
また中国の展示会昆明、上海・北京等は毎年出かけていました。またインパックも出展することもありました。現在は出展についてはもう少しまとめてから再挑戦するつもりです。

前述の貿易の担当者の皆さんが更にビジネスを広げる努力が必要になってきました。我々が今まで培ったものが必ずアジアで花開くと考えています。
 

2025年04月14日(月)更新

この後出来る事

今までの私は人から親切にされたり、何かを手伝ってもらったり、教えてもらったりの連続でした。自分から何かをさせてもらうようなことはほとんどありませんでした。特に仕事の場面ではほとんど多くの人に助けてもらうことばかりでした。そのことを考えるととても自分では人のためになる様なものではないと考えていたからです。
しかし現在年齢も77歳となり、ましてや会社では会長職、保育園では理事長職を頂き、このような立場で人のためにならないなどと言っていては笑われてしまいます。更に人非人になってしまいます。勿論何かが出来る訳ではありません。しかし少なくとも多くの若い皆さんから見れば二倍も三倍も生きています。それだけでも人に話すことくらいは出来るかもしれません。
私の生まれた二年前、第二次世界大戦が終わり、日本は敗戦という二文字を背負うことになりました。戦中、戦前の方からは見れば苦しみを分かり合うことは出来ませんが、4、5歳で見た横浜の町並みはまだ敗戦後の息吹を感じることが出来ました。
その後、仕事を始めましたが父親の教えが全てでした。商いの基本は全て父親から教わりました。更にその後、商売はスクラップ&ビルドだと気が付き、商売そのものを変えてきました。特に今の仕事は40年前、アメリカから一橋大学の榊原先生から頂いた一本の電話が全てを決しました。「花を普及させるにはスーパーマーケットだ」と言われ、夢中に過ごした40年間でした。
これら一連の事は後輩に伝えることが出来ます。話の中心は過去の話などではなく、全てこらからの事です。私の経験した「点」のような出来事が必ず近未来の役に立つと確信しました。会社の将来も保育園の将来も地域の将来も根は一つです。何もできないと思っていましたが、将来を作ることであれば少しくらいはお伝えすることは出来ます。
 

2025年04月11日(金)更新

伊藤和夫さんの思い出

私はどれだけの人にお世話になったか分かりません。仕事関係で言えば実に多くの方にお世話になりました。最近になって感謝する方の氏名を書くように薦められ、現在活躍中の方や亡くなった方も含め毎日手帳に書いています。書いているうち気が付きましたが、明らかに会話をしている気分になります。これは発見でした。今はこんなことをしています。などと声を出さずに話しています。これをお薦め頂いた方にも感謝しています。

私は24歳の時に包装資材の営業を始めました。初めて伺った会社にオーヤマ照明(現オーデリック)様がありました。三回目の訪問で照明器具を入れるポリ袋を全量受注することが出来、受注を頂いては納品のため工場に出かけて行きました。ある時私が工場の倉庫にポリ袋を納めていると社長とばったりお会いしました。その時、社長に「何時まで配達をするのか、いつまで問屋をやるのか」と聞かれ、少々面食らいました。社長は「あなたが袋のメーカーにならないといつか取引を辞めなくてはいけなくなる」。昔の話ですが間接税(今の消費税の様なもの)導入の時でした。結局間接税は廃案になりましたが、社長はいずれ問屋を相手にしていては高いものを購入することになるので「早くメーカーになりなさい」と言うのでした。この時を機にいろいろ教えを乞うことになりました。それから20年経ち、中身を照明器具から花に変え、能登に工場を作りました。今では花の袋のシェアは50%程を頂くところまで来ました。スーパーマーケットで販売される花の約半分が私共のスリーブに入れられています。
社長から言われた「メーカーになりなさい」を忘れたことはありませんでした。38年前、スーパーマーケットで販売される花を入れる袋は国内にメーカーが有りませんでした。僅かの間オランダから輸入していましたが、生産を決意しました。メーカーは簡単ではありません。問屋の時の何倍も考えることがあります。それでも多くの社員に恵まれ、今日も袋を作り続けています。お世話になった方は照明器具専門メーカーでは国内トップメーカーのオーデリック社長の伊藤和夫様です。

後日談ですが、伊藤社長は膵臓を患い三鷹の大学病院に入院されていました。私も同日同じ病院に入院し、検査室でばったりお会いしたりしていました。「私がここにいることは他言無用」と言われました。その後伊藤社長はお亡くなりになり、暫くした後、私は手術を終え退院致しました。伊藤和夫社長には心からの尊敬と感謝をしています。伊藤様の数々の言葉は今でも心に響いています。

 

2025年04月10日(木)更新

母の日のポットカーネーション

今朝のNHKテレビは母の日前に宮城県柴田町のポットカーネーション鉢物の出荷の光景が映し出されていました。いよいよ母の日のスタートです。

柴田町は東北でも有数なカーネーションの鉢物の産地で9軒の生産者が沢山の鉢物を生産されています。今朝のニュースは柴田町から母の日に向け出荷の初日に引き取りに来た郵便局のバンに段ボール詰めされたカーネーションを積み込み出発式の光景を映していました。郵便局の軽のバンには、前面に紙で作った花がディスプレイされ、出発式にふさわしく身なり整えた生産者の皆さんが郵便局のバンの出発を見送っていました。画面からも生産者の皆さんのポットカーネーションにかける期待が手に取るように理解できました。
今回第一便で10ケース程の様でしたが、今後、柴田町を始め全国のカーネーションの鉢物などが今月末から来月にかけ大量に花市場に出荷されます。更に直接花を扱う企業へも出荷されます。

花屋さんにとって母の日は最大のイベントになります。何年も母の日の商材としてポットカーネーションは利用されてきました。昔は安価なポットカーネーションが扱われてきましたが、花が咲かないなどの問題があり、少々問題になってきました。しかし今朝のテレビで映し出されたポットカーネーションは立派な鉢物でつぼみも沢山つき、一部では花も咲き始めていました。この様な商品を見ると母の日が一層楽しみになってきます。

震災で大きな被害を受けた柴田町ですが、立派に復旧されています。
 

2025年04月09日(水)更新

水平を出す

いつも不思議な気持ちで話を聞かせてくれた市内の企業の社長がおられます。機械刃物を製造する会社でした。金属を磨き上げ大きな刃物を作っていますが、製鉄所などを得意先として広くビジネスを行っていました。
この企業の最も得意としている技術は刃物の表面の水平を作り出すことです。確かに素人考えでも大きな金属を切断するような場合、刃物に歪みがあればきれいに切れないかもしれないなどと思ったりもします。
ただ不思議なのは大きな刃を磨き上げて水平が出せるのかどうかです。この辺は随分微妙な事になると思います。この会社は以前東大和から甲府へ移転されたことがあります。甲府の工場はこちらより広く、将来を見据えた計画の様でしたが、甲府工場ではどうしても水平が出せないと話されていました。水平を出すには水平を出せる場所があり、甲府ではだめで東大和の工場が適地だとおっしゃっていました。勿論ベテランの社員の方もおられ、何度も挑戦したが結局大きな刃物の場合、甲府ではだめで東大和の工場でないと水平を出せない。改めて東大和の現在ある工場の場所がどんなに優れているのかが分かったようです。何故かわからない、と社長もおっしゃっていました
難しい仕事です。

その会社が今年中にお辞めになるようです。技術力も有りベテランの社員もおられますが、誠に残念な事です。
 
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会社概要

2018年インパック株式会社(事業会社)の代表取締役に守重へきろう就任 IPホールディングス株式会社(持株会社)設立 代表取締役に守重知量就任 2016年花の鮮度保持管理コンサルティング会社 フラワーウォッチジャパン株式会社設立(子会社) 2014年東京オフィス本社移転...

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  • :Shino[01/18]
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  • 靴磨きは一つの楽しみ
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