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We are Flower People の日記
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2026年03月04日(水)更新
能登の地震
能登の地震は過去何度か来ています。
インパックは2024年の地震で大きな被害が発生しましたが、輪島、珠洲以外の志賀町で震度7が出たのは随分珍しい事でした。その前年には群発地震が頻発していました。
更に2007年には輪島、七尾で起こった地震で被害者も出ました。この時は金沢から延びる自動車専用道路が何カ所も寸断されていました。インパックはこの年に何度も能登で出かけましたが、志賀町への進出を決めた時でした。この時は知事からの声が何度の上り、早い復旧を求めていました。道路の寸断は僅かの後復旧し、自由に往来することが可能となりました。輪島や、七尾では全壊家屋があり、死者も出ました。更に伝統的な造り酒屋なども被害を受けています。この時のことはよく覚えています。志賀町の工業団地に進出を決めた時でよく出かけていました。
その前の地震(能登半島沖地震)は1993年でした。この時のことはニュースを聞いていた程度で被害の実態迄知ることはありませんでした。ニュースでは珠洲市の造り酒屋などの伝統的な企業が被害を受けたことは覚えています。
以上の様に最近の傾向としては1993年以降15~30年間隔にかけて地震が発生しています。それ以前は余り記録がなく、その前は1729年(享保14年)までさかのぼります。能登・佐渡地震と言われています。この地震から約200年を経て能登半島沖地震が発生しました。江戸時代の地震の被害はわかりませんが、今回の三回の地震は15年から20数年の間隔でやってきています。更に2024年の地震の規模は今までに増して大きいものでした。
能登で工場をする者にとって約20年間隔で3回起きたことを忘れてはいけません。200年ぶりの地震から現在では20年間隔で起こる地震を注意深く見る必要がありそうです。出来る備えを今からやる必要があります。
インパックは2024年の地震で大きな被害が発生しましたが、輪島、珠洲以外の志賀町で震度7が出たのは随分珍しい事でした。その前年には群発地震が頻発していました。
更に2007年には輪島、七尾で起こった地震で被害者も出ました。この時は金沢から延びる自動車専用道路が何カ所も寸断されていました。インパックはこの年に何度も能登で出かけましたが、志賀町への進出を決めた時でした。この時は知事からの声が何度の上り、早い復旧を求めていました。道路の寸断は僅かの後復旧し、自由に往来することが可能となりました。輪島や、七尾では全壊家屋があり、死者も出ました。更に伝統的な造り酒屋なども被害を受けています。この時のことはよく覚えています。志賀町の工業団地に進出を決めた時でよく出かけていました。
その前の地震(能登半島沖地震)は1993年でした。この時のことはニュースを聞いていた程度で被害の実態迄知ることはありませんでした。ニュースでは珠洲市の造り酒屋などの伝統的な企業が被害を受けたことは覚えています。
以上の様に最近の傾向としては1993年以降15~30年間隔にかけて地震が発生しています。それ以前は余り記録がなく、その前は1729年(享保14年)までさかのぼります。能登・佐渡地震と言われています。この地震から約200年を経て能登半島沖地震が発生しました。江戸時代の地震の被害はわかりませんが、今回の三回の地震は15年から20数年の間隔でやってきています。更に2024年の地震の規模は今までに増して大きいものでした。
能登で工場をする者にとって約20年間隔で3回起きたことを忘れてはいけません。200年ぶりの地震から現在では20年間隔で起こる地震を注意深く見る必要がありそうです。出来る備えを今からやる必要があります。
2026年01月19日(月)更新
冬の工事
能登工場で自動倉庫の設備を入れ替えています。およそ15年ラックは傷んでおりませんが自動倉庫の輸送部分及び荷物の取り出しの周辺の機器類を含めすべて取り換えています。自動倉庫便利さはこの上ありませんが、15年単位で取り換え時期が来るようです。おそらく今回の地震でもダメージは受けたと思います。
設備の内容は4列の棚とその中心を走る輸送用機器2基の構成です。大きな倉庫では全てこの構成でビル全体(ラックビル)を作っていますが、私共の自動倉庫は申し上げた通り4列の棚に2基の輸送機の小ぶりなものとなっています。それでもパレットは300枚ほど使用することになります。自動倉庫の取り換え工事で最も問題になったのは工事期間の問題でした。どうやら1月いっぱいかかりそうでした。しかし、インパックの要望を受けお正月明けから25日あたりで工事が終了するスケジュールを作ってくれました。現在予定通り進んでいます。
そこで驚いたことがありますが、本社にいますと能登は雪だらけといった印象を持ちますが工事二日目に届いたメールに添付されていた写真には工場の敷地内の置かれた材料の周りには雪が全くありませんでした。工事終了までこの調子で行ってほしいです。能登半島の一番高いところでも900mしかなく、雪雲は能登半島を通り越し白山連峰、立山連峰にぶつかりますか富山、金沢は雪が良く振ります。志賀町は夜降った雪は昼には溶けてしまいます。意外と雪が少ない地域なのです。
それでも冬の間の工事には相当気を使います。現地の工場長には感謝です。
設備の内容は4列の棚とその中心を走る輸送用機器2基の構成です。大きな倉庫では全てこの構成でビル全体(ラックビル)を作っていますが、私共の自動倉庫は申し上げた通り4列の棚に2基の輸送機の小ぶりなものとなっています。それでもパレットは300枚ほど使用することになります。自動倉庫の取り換え工事で最も問題になったのは工事期間の問題でした。どうやら1月いっぱいかかりそうでした。しかし、インパックの要望を受けお正月明けから25日あたりで工事が終了するスケジュールを作ってくれました。現在予定通り進んでいます。
そこで驚いたことがありますが、本社にいますと能登は雪だらけといった印象を持ちますが工事二日目に届いたメールに添付されていた写真には工場の敷地内の置かれた材料の周りには雪が全くありませんでした。工事終了までこの調子で行ってほしいです。能登半島の一番高いところでも900mしかなく、雪雲は能登半島を通り越し白山連峰、立山連峰にぶつかりますか富山、金沢は雪が良く振ります。志賀町は夜降った雪は昼には溶けてしまいます。意外と雪が少ない地域なのです。
それでも冬の間の工事には相当気を使います。現地の工場長には感謝です。
2025年08月05日(火)更新
能登事業所、再スタート
インパックの工場は能登半島の付け根にある志賀町にあります。町中からは2.3キロ離れた山の上にあります。この地域は能登中核工業団地として開発されました。開発当時は日立、ホンダの関連会社などが入りました。現在は進出した大手企業は移転されたりしていますが、その反対にここに来て工場に進出した大手企業もあります。また、現在は空いた工場を別の企業が買い取り、ほぼ工場は稼働していると思います。
インパックは商品の製造・出荷はほぼここで行っていますが、昨年の元旦の地震は今思い浮かべても凄まじいものでした。地震直後、工場長から送ってもらった写真は想像を超えていました。翌日工場に入った副社長と専務から更に建物、工場、自動倉庫、大型の自動シャッター等についての報告を受け、写真を見ながらの会議は復旧の事ばかりでした。今思いますと、副社長と専務の今後の復興計画は3日目には出来上がっていたと思います。
倉庫の借り入れを申し入れ、建物の瓦礫の撤去、5日目には解体業者、同時にゼネコンとの接触、また、行政の方々とのミーティングなど同時に進行していました。それから1年半が過ぎ、能登の工場は元の姿に戻りました。初めの1ヵ月目には出荷体制が不十分ながら整いました。更に2か月後には工場を優先的に改修し、3月の初めには生産が元に戻りました。以上の様に段々と工場としての仕事が再開されていきました。ひとえに工場の皆さん、改修に関わった工事関係の皆さんの協力のお陰です。
年が変わり、事務所の改修、食堂、会議室の改修が行われ、今年の3月には建物の外装も仕上がり、漸く工場全体を覆っていたシートが外れました。更に工場長は今回の改修工事に関係する国家へ提出する資料作りを行っていました。大変な作業量であったと想像します。助成金に関係する書類でしたが、全て自前で実行しました。その苦労のかいがあり、7月末には工事費の3/4の額が振り込まれました。これで元の姿に戻すことができ、今回の改修工事の計画が終了しました。実に有難いことです。
インパックは商品の製造・出荷はほぼここで行っていますが、昨年の元旦の地震は今思い浮かべても凄まじいものでした。地震直後、工場長から送ってもらった写真は想像を超えていました。翌日工場に入った副社長と専務から更に建物、工場、自動倉庫、大型の自動シャッター等についての報告を受け、写真を見ながらの会議は復旧の事ばかりでした。今思いますと、副社長と専務の今後の復興計画は3日目には出来上がっていたと思います。
倉庫の借り入れを申し入れ、建物の瓦礫の撤去、5日目には解体業者、同時にゼネコンとの接触、また、行政の方々とのミーティングなど同時に進行していました。それから1年半が過ぎ、能登の工場は元の姿に戻りました。初めの1ヵ月目には出荷体制が不十分ながら整いました。更に2か月後には工場を優先的に改修し、3月の初めには生産が元に戻りました。以上の様に段々と工場としての仕事が再開されていきました。ひとえに工場の皆さん、改修に関わった工事関係の皆さんの協力のお陰です。
年が変わり、事務所の改修、食堂、会議室の改修が行われ、今年の3月には建物の外装も仕上がり、漸く工場全体を覆っていたシートが外れました。更に工場長は今回の改修工事に関係する国家へ提出する資料作りを行っていました。大変な作業量であったと想像します。助成金に関係する書類でしたが、全て自前で実行しました。その苦労のかいがあり、7月末には工事費の3/4の額が振り込まれました。これで元の姿に戻すことができ、今回の改修工事の計画が終了しました。実に有難いことです。
2025年05月21日(水)更新
愛子さま、志賀町来訪
先週から楽しみしていましたが18日、19日と愛子さまの石川県訪問ありました。今回は七尾市と志賀町への訪問です。
流石なのは普通ですと輪島、珠洲市への訪問となったと思いますが、今回は七尾、志賀町への訪問となりました。よくぞ志賀町を選んでくれました。今回の地震で輪島、珠洲市は震度7が来ましたが、100km離れた志賀町も震度7が来ました。いつもですと奥能登が震度5ですと震度は3か4でした。今回の震度7は地元の町役場の人も社員の皆さんも本当に驚いていました。町中でも多くの場所で被害が発生しました、インパックのある工業団地にも多くの工場がありますが、そのすべてに被害が発生しました。競争ではありませんが、インパックは1ヶ月後、他社に先駆け出荷が再開するようになった時、NHKのニュースでも取り上げられたことがありました。また9日にインパックの復興がなったばかりでもあり、私もうれしい気持ちで一杯になりました。
今回の震災の被害は志賀町でも住宅被害は2,400戸が全壊し、17,000戸が損壊しました。死者も20名けが人は110人でした
この様な中、今回富来の「道の駅 とぎ海街道」へお出かけになり、お店の人と懇談されました。またボランティアの皆さんや行政の職員の皆さんとも話されたようです。会社では志賀町にお出ましになると聞き社員の皆さんも大いに喜んでいました。今日が日曜なら社員の皆さんも冨来に出かけたかもしれません。
いずれにしても志賀町に皇族の方がお越しになったのは初めての様です。市長始め皆さん、志賀町の事をお忘れではなかったと心から歓迎されていました。
流石なのは普通ですと輪島、珠洲市への訪問となったと思いますが、今回は七尾、志賀町への訪問となりました。よくぞ志賀町を選んでくれました。今回の地震で輪島、珠洲市は震度7が来ましたが、100km離れた志賀町も震度7が来ました。いつもですと奥能登が震度5ですと震度は3か4でした。今回の震度7は地元の町役場の人も社員の皆さんも本当に驚いていました。町中でも多くの場所で被害が発生しました、インパックのある工業団地にも多くの工場がありますが、そのすべてに被害が発生しました。競争ではありませんが、インパックは1ヶ月後、他社に先駆け出荷が再開するようになった時、NHKのニュースでも取り上げられたことがありました。また9日にインパックの復興がなったばかりでもあり、私もうれしい気持ちで一杯になりました。
今回の震災の被害は志賀町でも住宅被害は2,400戸が全壊し、17,000戸が損壊しました。死者も20名けが人は110人でした
この様な中、今回富来の「道の駅 とぎ海街道」へお出かけになり、お店の人と懇談されました。またボランティアの皆さんや行政の職員の皆さんとも話されたようです。会社では志賀町にお出ましになると聞き社員の皆さんも大いに喜んでいました。今日が日曜なら社員の皆さんも冨来に出かけたかもしれません。
いずれにしても志賀町に皇族の方がお越しになったのは初めての様です。市長始め皆さん、志賀町の事をお忘れではなかったと心から歓迎されていました。
2025年05月13日(火)更新
インパック能登事業所、復旧工事完成!
お陰をもちまして能登工場の改修が終了し、建物全体を覆っていたシートが外れました。漸く外壁が元の姿を現われました。実に有難く感謝に堪えません。
昨年の元旦から見ると16ヶ月丸々かかりました。現地からの初めの報告から翌日の1月2日には副社長と専務は現地に入り工場長と合流し、とりあえずの復旧計画を立て、行政の皆さん、外部の工事関係者の皆さんと協議を始めました。工場内も天井や壁が落ち、各部屋との仕切りに使われていたシャッターも被害を受け、信じられない状況から、社員の皆さんの努力で瓦礫の撤去、工事関係者の皆さんは重機を使用しコンクリやむき出しになった鋼材などを片付け、更に被害のなかった商品を外部倉庫に移し、工事に着手するまで数か月を要しました。お陰で工場などは次第に出来上がり、機械類も整備され、元の位置に戻すことが出来、生産が再開しました。
このような状況下で出荷、製造は3月までには震災前の状況に戻すことが出来ました。勿論壊れた隔壁の撤去などは同時進行で行われました。外壁は何カ所か崩れ落ち、せっかくのインパックの看板も落ちてしまいましたが、約半年かけ外壁の作り直しを行い、更に元の外壁の色(みどりと赤のライン)に塗りなおし、漸く工場が仕上がりました。
地震にあたって多くの方々からお見舞いを頂きました。まことに感謝に堪えません。この大事なお金は更に酷い被害を受けた志賀町の被害地などに使っていただくため、志賀町に市長を訪ね、お渡しいたしました。
今回外壁工事をもって震災からの復旧工事は終了いたしました。心より皆様に御礼申し上げます。これからは更に工場の拡大計画があります。一層力を入れ皆様のお役に立つべく、努力して参ります。今後ともよろしくお願い申し上げます。ありがとうございました。

昨年の元旦から見ると16ヶ月丸々かかりました。現地からの初めの報告から翌日の1月2日には副社長と専務は現地に入り工場長と合流し、とりあえずの復旧計画を立て、行政の皆さん、外部の工事関係者の皆さんと協議を始めました。工場内も天井や壁が落ち、各部屋との仕切りに使われていたシャッターも被害を受け、信じられない状況から、社員の皆さんの努力で瓦礫の撤去、工事関係者の皆さんは重機を使用しコンクリやむき出しになった鋼材などを片付け、更に被害のなかった商品を外部倉庫に移し、工事に着手するまで数か月を要しました。お陰で工場などは次第に出来上がり、機械類も整備され、元の位置に戻すことが出来、生産が再開しました。
このような状況下で出荷、製造は3月までには震災前の状況に戻すことが出来ました。勿論壊れた隔壁の撤去などは同時進行で行われました。外壁は何カ所か崩れ落ち、せっかくのインパックの看板も落ちてしまいましたが、約半年かけ外壁の作り直しを行い、更に元の外壁の色(みどりと赤のライン)に塗りなおし、漸く工場が仕上がりました。
地震にあたって多くの方々からお見舞いを頂きました。まことに感謝に堪えません。この大事なお金は更に酷い被害を受けた志賀町の被害地などに使っていただくため、志賀町に市長を訪ね、お渡しいたしました。
今回外壁工事をもって震災からの復旧工事は終了いたしました。心より皆様に御礼申し上げます。これからは更に工場の拡大計画があります。一層力を入れ皆様のお役に立つべく、努力して参ります。今後ともよろしくお願い申し上げます。ありがとうございました。

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