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2025年03月31日(月)更新

地震と経済力

ミャンマーの大地震には少々心を痛めます。現政権は軍事政権、経済力も必ずしも大きくありません。軍事政権のトップは世界に向け援助を求めえいます。今のところ中国、ロシアは翌日には援助隊を派遣したニュースが流れていました。日本ではJETROが調査隊を出すことを決めました。援助についてはその後なのでしょう。これまでのミャンマーの動きを見ていくと必ずしも印象が良くありません。喜んで出かける国は少ないのかもしれません。しかし人の命がかかっている現状では多くの国の援助物資。援助隊が必要なのは分かりきっています。日本も早く出かけて欲しいと思います。

一方、東日本大震災の時復旧・復興を心配する人が沢山いました。大被害に対して本当に普及が可能なのかどうかでした。しかしそれぞれの県、国家は決して復旧が出来ないような日本の経済力ではありません。更に多くのボランティアの皆さんの力も半端ではありませんでした。商店街や住まいは盛り土をしたり、高台を整備したりしてこれまでに多くの住居が整備されました。
能登の災害は昨年の事でした。古くからの住宅や、伝統産業の集積地でもある能登に対して国家は最大限の努力をこれからも続けていくでしょう。再建工事の費用の内3/4は国が持ってくれます。さらに県もそれぞれの市も町も懸命な努力を続けています。
ついでながらインパックも5月には昨年から続けている復旧工事が終了します。更に次の計画も進行しています。
以上のように災害時の復興は全て国家の経済力に関わっています。日本の場合、神戸、東日本、熊本、能登と続いても復興に対して経済的には心配はほぼありませんでした。しかし今回のミャンマーです。一人当たりのGDPは1200ドルほどです。自国での再建は難しいと思います。今回ばかりは多くの国がミャンマーの復興に向け相当の援助が必要だと思います。援助側もよく話し合い、ミャンマーに対して早い結論を出してもらいたいものです。
 

2025年03月28日(金)更新

スーパーマーケットが輝く

1955年頃、連日のようにラジオや新聞で賑わしていたことがありました。神戸の店舗二社が連日値引き競争をして、ついに9割引き迄来たという話でした。
その後の事実はわかりませんが、この時の動きとスーパーマーケットの誕生にはきっと関係があったと思います。スーパーマーケットはそのころ渥美俊一先生が国内大手の小売業を集めアメリカに行き、その翌年には日本にセルフ売り場を持つスーパーマーケットが誕生し始めました。1953年紀ノ国屋、1955年西友、1957年にはダイエー、1961年にはイトーヨーカ堂が次々誕生しました。
誕生直後スーパーは安売りの大看板で進められ、生鮮産品を取り扱っていました。ダイエーさんの主婦の味方は長く使われてきました。「悪かろう、安かろう」などと悪口を言われましたが、その話が一変したのは同じ小売業の街にある青果店、鮮魚店、精肉店などの小売店舗の総売り上げよりスーパーの方が全てにおいて上回る結果が1960年から70年代に出てきた「逆転現象」からです。これにより生産者、食品メーカーは販売の主軸をスーパーに置き始めました。その逆転現象の起きる頃から、品質の高いものがスーパーに流れ始めました。「良いものをより安く」がどちらのスーパーでも通用する時代になりました。

スーパーの力が本物になったのは東日本大震災がきっかけでした。私は大震災の年、スーパーからイオンさん、ホームセンターからコメリさん、生協連合会の専務のお三方のお話を聞くこと出来ました。このセミナーも渥美先生のペガサスクラブ主催でした。異口同音に小売業の役割の大きさを話されました。イオンさんは災害が起こった時、誰でも店舗に入り、必要なものを使用して欲しい、食べて欲しいと話されました。生協の専務は生協には小さな車が全国に万とある。たとえ道が狭くとも、生協の車なら何処へでも食品を積んでいける。現に今回の震災でも全国から車が駆け付けた、と話されました。コメリさんは店舗数がたくさんあり、それらの店舗では役に立てることもあったと話されました。つまり、スーパーマーケットを始めチェーンストアは国内の災害時、出来る事は全て行う。イオンさん等はこれから各県との間で緊急時の対応についての契約を結ぶと話されました。
これらの事はスーパーマーケットしかできないことを言い現わしています。今までの小売業から国家の大難がある時、建物も食べ物も差し出す国家のパートナーとして生きることを意味します。この様なことはスーパーマーケット等チェーンストアにしかできません。小売業の中にいたのですが、明らかに国家、国民を守る今までにない業態へと昇華したのです。
本当に素晴らしい事実です。どんなに優れた自動車メーカーでもこのようなことは出来ません。スーパーマーケットだけです。
私としては改めて尊敬の対象としてスーパーマーケットがあります。
 

2025年02月28日(金)更新

シュロの木

シュロの木

今朝、社内でシュロかネコヤナギかで少々議論がありました。
キリスト教を知る人はエルサレム入城(復活祭の1週間前の日曜日:聖枝祭)の際手に持っていた枝はシュロの木の枝と言います。元論この話は聖書の中の話であって正しい話です。

しかし私はシュロのではなくネコヤナギの枝ではないかとばかり思っていました。正教会がキエフ経由でロシアに入り、ロシアでは聖枝祭に使われていたものがネコヤナギであったことから日本でも同じ枝を使用していました。その様な事から私は勝手にネコヤナギと思っていましたが、聖書によれはシュロの木です。恐らくこのことはエルサレムの地域が影響しているのでしょう。しかしその時期のロシアではシュロの木は入手できずネコヤナギの枝にしたのかもしれません。
とすれば世界は広いですが、シュロやネコヤナギでない例もあるかもしれません。早速検索いたしましたが、エルサレムなど中東ではシュロの木で間違いありません。お隣のギリシャではオリーブの木が使われています。さらにコーカサスのジョージアでは木の枝ではなく、様々な草が使用されるようです。このように考えてみると布教活動を続ける中で宗教は意外と柔軟な手を打っていたようです。歴史を感じる話でもあります。

またもうすぐ復活祭がやってきますが、これもカトリックとオーソドックス(正教会)では異なります。これは暦の問題でどちらの暦を使用しているかで日にちが異なります。
カトリック、プロテスタントではグレゴリオ暦を使用し、オーソドックスではユリウス暦(旧暦)を使用しています。毎年復活祭の日程は双方異なりますが、今年はどちらも4月20日となっています。
 

2025年01月15日(水)更新

高倉町珈琲

小平の青梅街道駅近くに高倉町珈琲があります。小平市、武蔵村山市などにあります、他には国立市、国立にもあります。ほかにもあり40店舗が総店舗数(2024年6月)になっています。
会長は横川さんです。横川さんはすかいらーくの創業者四兄弟のお一人です。すかいらーくをお辞めになった後、2014年4月28日に創業されました。現在は会長をなさっていますが、大変勇気のある方だと思います。74歳で創業されたことから現在は87歳です。

この様な場合、「挑戦するのに年齢には関係ありません」などと言われますが、私が横川会長の年齢に近づき言えるのは80歳近くでは事業を起こすことは至難の業だと思います。私もやりたいことが多くありますが、そのほとんどが今の仕事の延長です。新たな事業を起こすことはなかなかできるものではありません。スケールの差を感じています。少々弱気な言い方をすれば精神力の問題が大きいと考えています。
横川会長の優れている点はカフェという業態の中でスターバックスなどが既に多くあり、郊外店でコメダが大きく伸ばされている中、八王子高倉町で一号店を出され、この時に上場の話が出ていました。本当にパワーを感じました。

座り心地の良い椅子と上質なテーブル、BGMやインテリアはビートルズ一色です。年齢層の高い人たちにはたまらないこともあるでしょうが、ここのスイーツはおいしいと評判になり若い人たちも多く来店しています。
少々前になりますが、仙台で良いところがあると連れて行ってくれたのが高倉町珈琲でした。木だけの椅子などどこにもありません。
近くあるビジネスセミナーで講師をお務めになることを聞き今日のブログとなりました。

 

2024年12月05日(木)更新

大相撲、ロンドン場所

私の長兄は20歳の時亡くなりましたが、大相撲が大好きでした。絵も上手で特に相撲絵は素晴らしいものがありました。私たちは横浜で育ちましたが相撲好きの兄は中学の頃、学校から早く帰った時はタクシーで蔵前(当時、国技館は蔵前でした)まで飛ばし、国技館に通っていました。帰りは父が迎えに行っていました。
さて、昨日知ったことですが、大相撲のロンドン場所があるそうです。相撲協会の八角理事長は1991年の同じロンドン場所で優勝を果たされたそうです。理事長には思い出深い場所になります。今回は幕内力士全員が参加をされることになっているようです。

かねがね思っていたことですが、大相撲の力士は大いに国際化が進みモンゴル、ロシア、ブラジルなどの出身者が多くいますが、決してルールを海外の力士に合わせ変更等していません。その意味では柔道などとは大違いです。今でも土俵上に女性を上げない事などは一例かも知れません。海外から多くの力士が来ても今のルールが恐らく変わることはないでしょう。相撲はスポーツではありますが根底には神事と捉えられています。

大相撲の観客の中に決して少なくない外国の人がいます。本当に素晴らしい事です。個人的にはこれだけのモンゴルの力士が活躍しているのでモンゴル場所があってもいいのではないか、などと思っていました。今回の海外場所はロンドンになりました。全く文化の異なるロンドンですからどうなるか心配ですが、きっと大成功すると思います。海外の人から見ると日本の伝統文化を見ることになります。小さな日本人のイメージが一気に変わります。
また羽織袴の時もあるでしょう、浴衣姿の時もあるでしょう。まるで歩く日本文化です。

伝統的には力士たちも今を生きる20歳、25歳の青年たちです。きっとそのギャップにも驚くに違いありません。会場のロイヤルアルバートホールは8,000、9,000人が入る大きな会場ですが、外観は日本の国技を行うのに最も適した会場だと思います。見ようによってはまるで国技館です?一年先ではありますが、今から楽しみです。
 
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