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We are Flower People の日記
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2025年10月28日(火)更新
アイデンティティー
何をするにもその基本である、なぜそれをするのかを決めなくてはいけません。
それは何にでもいえることです。私の様な一市民から今回自民党の総裁選で選ばれた高市さんまで同じことが言えます。
また、様々な組織の代表者は勿論、その組織を支える一人一人にも同じことが言えます。企業の様な団体でも個人個人にも言えます。
その様なことは大人になるにつれ次第にわかってきます。また、会社や様々な団体の代表者であればそれらは身につけていていなければなりません。それがあって初めて向かう方向性が出来てきます。責任をもって会社なり団体なりを思う方向に進めて行くことが出来れば、多くの社員の皆さんから支持を得られます。しかしそこが不明確な場合、どこへ行けばいいのかわからなくなります。インパックばかりでなく全ての団体、企業にとって言える事は自分自身を明確にすることです。
それがミッション、ビジョン、バリューなどとなります。これらがそろって、会社なり団体の姿がはっきりしてきます。また個人のアイデンティティーにも繋がっていきます。
政治の世界で最近市長さんたちの中にわからない人たちがいますが、ご自分のことがお分かりになっていないのかも知れません。
それは何にでもいえることです。私の様な一市民から今回自民党の総裁選で選ばれた高市さんまで同じことが言えます。
また、様々な組織の代表者は勿論、その組織を支える一人一人にも同じことが言えます。企業の様な団体でも個人個人にも言えます。
その様なことは大人になるにつれ次第にわかってきます。また、会社や様々な団体の代表者であればそれらは身につけていていなければなりません。それがあって初めて向かう方向性が出来てきます。責任をもって会社なり団体なりを思う方向に進めて行くことが出来れば、多くの社員の皆さんから支持を得られます。しかしそこが不明確な場合、どこへ行けばいいのかわからなくなります。インパックばかりでなく全ての団体、企業にとって言える事は自分自身を明確にすることです。
それがミッション、ビジョン、バリューなどとなります。これらがそろって、会社なり団体の姿がはっきりしてきます。また個人のアイデンティティーにも繋がっていきます。
政治の世界で最近市長さんたちの中にわからない人たちがいますが、ご自分のことがお分かりになっていないのかも知れません。
2025年09月26日(金)更新
葬儀の変化
確かにコロナの影響は花業界にとっても大きなものでした。葬儀はますます小さくなりました。ホテルなどでの集まりがほぼなくなり、思い出してもおかしくなる様な光景がホテルで見られました。誰もいないラウンジ、宴会のない宴会場などです。
コロナから二年が過ぎましたが、戻ったことと元に戻らないことがあるようです。
ほぼすべての産業で影響があり、経済的には問題ばかりが残りました。それから二年がたち、葬儀など見ると大きい葬儀などは一部戻ってきてはいるようですが、基本は家族葬中心の葬儀が中心になってきています。更に直葬など、従来とは異なる形態の葬儀などが増え従来の葬儀とは異なる形態が生まれ始めてきました。
また、料金体系もわからないことが多く、新たに生まれた葬儀社はその付近をかなり明確にして、利用者に喜ばれています。コロナ前、葬儀社に支払う平均が350万円というのが相場でありましたが、現在では100万円を割るプランもあるようです。利用者が離れない、より明確な仕組みが生まれてきています。
以上のようなことから葬儀も小さくても思い出深い葬儀が増えてきましたが、問題はお花の利用です。大きな葬儀では自然にお花もたくさん使用することになっていましたが、小さな葬儀ではその分その利用は減ってきます。葬儀には多くの花が使用されてきましたが、相対的に花も減ってきました。花業界の一員としてはその点が残念なところです。
もっとも半分当たって、半分間違えているのは葬儀の本質は花ではありませんので少々言いづらい話でもあります。
コロナから二年が過ぎましたが、戻ったことと元に戻らないことがあるようです。
ほぼすべての産業で影響があり、経済的には問題ばかりが残りました。それから二年がたち、葬儀など見ると大きい葬儀などは一部戻ってきてはいるようですが、基本は家族葬中心の葬儀が中心になってきています。更に直葬など、従来とは異なる形態の葬儀などが増え従来の葬儀とは異なる形態が生まれ始めてきました。
また、料金体系もわからないことが多く、新たに生まれた葬儀社はその付近をかなり明確にして、利用者に喜ばれています。コロナ前、葬儀社に支払う平均が350万円というのが相場でありましたが、現在では100万円を割るプランもあるようです。利用者が離れない、より明確な仕組みが生まれてきています。
以上のようなことから葬儀も小さくても思い出深い葬儀が増えてきましたが、問題はお花の利用です。大きな葬儀では自然にお花もたくさん使用することになっていましたが、小さな葬儀ではその分その利用は減ってきます。葬儀には多くの花が使用されてきましたが、相対的に花も減ってきました。花業界の一員としてはその点が残念なところです。
もっとも半分当たって、半分間違えているのは葬儀の本質は花ではありませんので少々言いづらい話でもあります。
2025年09月19日(金)更新
「白鳥入蘆花」
「白鳥入蘆花」この五文字の主は佐賀県出身の小説家であり、社会教育家の下村湖人の言葉です。
この五文字は確かに湖人の創作でありました。本当は「白馬入蘆花」が昔から言われているものです。これは禅語の中の一つです。湖人の生まれ場所は佐賀県神埼市にあります。ここは福岡県久留米市の隣町になります。この付近には一級河川の筑後川があり、さらに筑後川に流れ込む支流がいくつかあり水に恵まれた地域です。それらの川は両岸が蘆で覆われていました。ある場所では川岸がむき出しになり葦の根が幾重にも重なり中には土になりかけて古い時代から蘆の覆われていたことを示す証拠にもなっています。そのような場所で湖人は育ちました。大小の川の両岸で蘆花が咲き乱れることを子供のころから知っていたのでしょう。蘆の咲き乱れる中に馬が入るより、空から白鳥が舞い降りる様は馬より余程自然でした。
蘆花の中に入ると白鳥は区別がつきません。しかし明らかに白鳥は蘆花の中に存在しています。湖人の代表作である次郎物語の中でこの白鳥が使われました。朝倉先生の教え子何人かが集まり会を作っていました。その会の名が白鳥会でありました。朝倉先生を中心に人格形成を行っていました。次郎は白鳥会の意味を知りません。しかしある時、黒鳥入蘆花を知り、白鳥会の意味を悟ります。白の中の黒ではなく白の中の白鳥の様な生き方こそが重要であることを知りました。決して目立たず、信念を曲げずに生きることの重要性を知りました。
今回自民党の総裁選挙はどうしても目立ってしまいますから「黒鳥入蘆花」のようになってしまいます。遠くからでも確認はできる人ばかりですが、選ばれた方は正しい政治を行ってほしいです。
この五文字は確かに湖人の創作でありました。本当は「白馬入蘆花」が昔から言われているものです。これは禅語の中の一つです。湖人の生まれ場所は佐賀県神埼市にあります。ここは福岡県久留米市の隣町になります。この付近には一級河川の筑後川があり、さらに筑後川に流れ込む支流がいくつかあり水に恵まれた地域です。それらの川は両岸が蘆で覆われていました。ある場所では川岸がむき出しになり葦の根が幾重にも重なり中には土になりかけて古い時代から蘆の覆われていたことを示す証拠にもなっています。そのような場所で湖人は育ちました。大小の川の両岸で蘆花が咲き乱れることを子供のころから知っていたのでしょう。蘆の咲き乱れる中に馬が入るより、空から白鳥が舞い降りる様は馬より余程自然でした。
蘆花の中に入ると白鳥は区別がつきません。しかし明らかに白鳥は蘆花の中に存在しています。湖人の代表作である次郎物語の中でこの白鳥が使われました。朝倉先生の教え子何人かが集まり会を作っていました。その会の名が白鳥会でありました。朝倉先生を中心に人格形成を行っていました。次郎は白鳥会の意味を知りません。しかしある時、黒鳥入蘆花を知り、白鳥会の意味を悟ります。白の中の黒ではなく白の中の白鳥の様な生き方こそが重要であることを知りました。決して目立たず、信念を曲げずに生きることの重要性を知りました。
今回自民党の総裁選挙はどうしても目立ってしまいますから「黒鳥入蘆花」のようになってしまいます。遠くからでも確認はできる人ばかりですが、選ばれた方は正しい政治を行ってほしいです。
2025年03月31日(月)更新
地震と経済力
ミャンマーの大地震には少々心を痛めます。現政権は軍事政権、経済力も必ずしも大きくありません。軍事政権のトップは世界に向け援助を求めえいます。今のところ中国、ロシアは翌日には援助隊を派遣したニュースが流れていました。日本ではJETROが調査隊を出すことを決めました。援助についてはその後なのでしょう。これまでのミャンマーの動きを見ていくと必ずしも印象が良くありません。喜んで出かける国は少ないのかもしれません。しかし人の命がかかっている現状では多くの国の援助物資。援助隊が必要なのは分かりきっています。日本も早く出かけて欲しいと思います。
一方、東日本大震災の時復旧・復興を心配する人が沢山いました。大被害に対して本当に普及が可能なのかどうかでした。しかしそれぞれの県、国家は決して復旧が出来ないような日本の経済力ではありません。更に多くのボランティアの皆さんの力も半端ではありませんでした。商店街や住まいは盛り土をしたり、高台を整備したりしてこれまでに多くの住居が整備されました。
能登の災害は昨年の事でした。古くからの住宅や、伝統産業の集積地でもある能登に対して国家は最大限の努力をこれからも続けていくでしょう。再建工事の費用の内3/4は国が持ってくれます。さらに県もそれぞれの市も町も懸命な努力を続けています。
ついでながらインパックも5月には昨年から続けている復旧工事が終了します。更に次の計画も進行しています。
以上のように災害時の復興は全て国家の経済力に関わっています。日本の場合、神戸、東日本、熊本、能登と続いても復興に対して経済的には心配はほぼありませんでした。しかし今回のミャンマーです。一人当たりのGDPは1200ドルほどです。自国での再建は難しいと思います。今回ばかりは多くの国がミャンマーの復興に向け相当の援助が必要だと思います。援助側もよく話し合い、ミャンマーに対して早い結論を出してもらいたいものです。
一方、東日本大震災の時復旧・復興を心配する人が沢山いました。大被害に対して本当に普及が可能なのかどうかでした。しかしそれぞれの県、国家は決して復旧が出来ないような日本の経済力ではありません。更に多くのボランティアの皆さんの力も半端ではありませんでした。商店街や住まいは盛り土をしたり、高台を整備したりしてこれまでに多くの住居が整備されました。
能登の災害は昨年の事でした。古くからの住宅や、伝統産業の集積地でもある能登に対して国家は最大限の努力をこれからも続けていくでしょう。再建工事の費用の内3/4は国が持ってくれます。さらに県もそれぞれの市も町も懸命な努力を続けています。
ついでながらインパックも5月には昨年から続けている復旧工事が終了します。更に次の計画も進行しています。
以上のように災害時の復興は全て国家の経済力に関わっています。日本の場合、神戸、東日本、熊本、能登と続いても復興に対して経済的には心配はほぼありませんでした。しかし今回のミャンマーです。一人当たりのGDPは1200ドルほどです。自国での再建は難しいと思います。今回ばかりは多くの国がミャンマーの復興に向け相当の援助が必要だと思います。援助側もよく話し合い、ミャンマーに対して早い結論を出してもらいたいものです。
2025年03月28日(金)更新
スーパーマーケットが輝く
1955年頃、連日のようにラジオや新聞で賑わしていたことがありました。神戸の店舗二社が連日値引き競争をして、ついに9割引き迄来たという話でした。
その後の事実はわかりませんが、この時の動きとスーパーマーケットの誕生にはきっと関係があったと思います。スーパーマーケットはそのころ渥美俊一先生が国内大手の小売業を集めアメリカに行き、その翌年には日本にセルフ売り場を持つスーパーマーケットが誕生し始めました。1953年紀ノ国屋、1955年西友、1957年にはダイエー、1961年にはイトーヨーカ堂が次々誕生しました。
誕生直後スーパーは安売りの大看板で進められ、生鮮産品を取り扱っていました。ダイエーさんの主婦の味方は長く使われてきました。「悪かろう、安かろう」などと悪口を言われましたが、その話が一変したのは同じ小売業の街にある青果店、鮮魚店、精肉店などの小売店舗の総売り上げよりスーパーの方が全てにおいて上回る結果が1960年から70年代に出てきた「逆転現象」からです。これにより生産者、食品メーカーは販売の主軸をスーパーに置き始めました。その逆転現象の起きる頃から、品質の高いものがスーパーに流れ始めました。「良いものをより安く」がどちらのスーパーでも通用する時代になりました。
スーパーの力が本物になったのは東日本大震災がきっかけでした。私は大震災の年、スーパーからイオンさん、ホームセンターからコメリさん、生協連合会の専務のお三方のお話を聞くこと出来ました。このセミナーも渥美先生のペガサスクラブ主催でした。異口同音に小売業の役割の大きさを話されました。イオンさんは災害が起こった時、誰でも店舗に入り、必要なものを使用して欲しい、食べて欲しいと話されました。生協の専務は生協には小さな車が全国に万とある。たとえ道が狭くとも、生協の車なら何処へでも食品を積んでいける。現に今回の震災でも全国から車が駆け付けた、と話されました。コメリさんは店舗数がたくさんあり、それらの店舗では役に立てることもあったと話されました。つまり、スーパーマーケットを始めチェーンストアは国内の災害時、出来る事は全て行う。イオンさん等はこれから各県との間で緊急時の対応についての契約を結ぶと話されました。
これらの事はスーパーマーケットしかできないことを言い現わしています。今までの小売業から国家の大難がある時、建物も食べ物も差し出す国家のパートナーとして生きることを意味します。この様なことはスーパーマーケット等チェーンストアにしかできません。小売業の中にいたのですが、明らかに国家、国民を守る今までにない業態へと昇華したのです。
本当に素晴らしい事実です。どんなに優れた自動車メーカーでもこのようなことは出来ません。スーパーマーケットだけです。
私としては改めて尊敬の対象としてスーパーマーケットがあります。
その後の事実はわかりませんが、この時の動きとスーパーマーケットの誕生にはきっと関係があったと思います。スーパーマーケットはそのころ渥美俊一先生が国内大手の小売業を集めアメリカに行き、その翌年には日本にセルフ売り場を持つスーパーマーケットが誕生し始めました。1953年紀ノ国屋、1955年西友、1957年にはダイエー、1961年にはイトーヨーカ堂が次々誕生しました。
誕生直後スーパーは安売りの大看板で進められ、生鮮産品を取り扱っていました。ダイエーさんの主婦の味方は長く使われてきました。「悪かろう、安かろう」などと悪口を言われましたが、その話が一変したのは同じ小売業の街にある青果店、鮮魚店、精肉店などの小売店舗の総売り上げよりスーパーの方が全てにおいて上回る結果が1960年から70年代に出てきた「逆転現象」からです。これにより生産者、食品メーカーは販売の主軸をスーパーに置き始めました。その逆転現象の起きる頃から、品質の高いものがスーパーに流れ始めました。「良いものをより安く」がどちらのスーパーでも通用する時代になりました。
スーパーの力が本物になったのは東日本大震災がきっかけでした。私は大震災の年、スーパーからイオンさん、ホームセンターからコメリさん、生協連合会の専務のお三方のお話を聞くこと出来ました。このセミナーも渥美先生のペガサスクラブ主催でした。異口同音に小売業の役割の大きさを話されました。イオンさんは災害が起こった時、誰でも店舗に入り、必要なものを使用して欲しい、食べて欲しいと話されました。生協の専務は生協には小さな車が全国に万とある。たとえ道が狭くとも、生協の車なら何処へでも食品を積んでいける。現に今回の震災でも全国から車が駆け付けた、と話されました。コメリさんは店舗数がたくさんあり、それらの店舗では役に立てることもあったと話されました。つまり、スーパーマーケットを始めチェーンストアは国内の災害時、出来る事は全て行う。イオンさん等はこれから各県との間で緊急時の対応についての契約を結ぶと話されました。
これらの事はスーパーマーケットしかできないことを言い現わしています。今までの小売業から国家の大難がある時、建物も食べ物も差し出す国家のパートナーとして生きることを意味します。この様なことはスーパーマーケット等チェーンストアにしかできません。小売業の中にいたのですが、明らかに国家、国民を守る今までにない業態へと昇華したのです。
本当に素晴らしい事実です。どんなに優れた自動車メーカーでもこのようなことは出来ません。スーパーマーケットだけです。
私としては改めて尊敬の対象としてスーパーマーケットがあります。
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