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2025年04月14日(月)更新

この後出来る事

今までの私は人から親切にされたり、何かを手伝ってもらったり、教えてもらったりの連続でした。自分から何かをさせてもらうようなことはほとんどありませんでした。特に仕事の場面ではほとんど多くの人に助けてもらうことばかりでした。そのことを考えるととても自分では人のためになる様なものではないと考えていたからです。
しかし現在年齢も77歳となり、ましてや会社では会長職、保育園では理事長職を頂き、このような立場で人のためにならないなどと言っていては笑われてしまいます。更に人非人になってしまいます。勿論何かが出来る訳ではありません。しかし少なくとも多くの若い皆さんから見れば二倍も三倍も生きています。それだけでも人に話すことくらいは出来るかもしれません。
私の生まれた二年前、第二次世界大戦が終わり、日本は敗戦という二文字を背負うことになりました。戦中、戦前の方からは見れば苦しみを分かり合うことは出来ませんが、4、5歳で見た横浜の町並みはまだ敗戦後の息吹を感じることが出来ました。
その後、仕事を始めましたが父親の教えが全てでした。商いの基本は全て父親から教わりました。更にその後、商売はスクラップ&ビルドだと気が付き、商売そのものを変えてきました。特に今の仕事は40年前、アメリカから一橋大学の榊原先生から頂いた一本の電話が全てを決しました。「花を普及させるにはスーパーマーケットだ」と言われ、夢中に過ごした40年間でした。
これら一連の事は後輩に伝えることが出来ます。話の中心は過去の話などではなく、全てこらからの事です。私の経験した「点」のような出来事が必ず近未来の役に立つと確信しました。会社の将来も保育園の将来も地域の将来も根は一つです。何もできないと思っていましたが、将来を作ることであれば少しくらいはお伝えすることは出来ます。
 

2024年12月03日(火)更新

高い志

高い志

1.私たちは一体何をしたいのか。
 この追求は若い頃になされるのがいいだろうと考えています。若いころに何をしたいのかが分かれば、こんなにいいことはありません。私は80歳に近づき漸く何をしたいのかに気が付き始めました。それは「高い志」を持って生きる事なのです。そうであればそこに気が付くのは早い方がいいに決まっています。出来れば30代、40台で気が付くのが良いでしょう。それは気が付いてから更に仕事を10年、20年続けていくことが出来るからです。更にそうであれば「高い志」は学生の頃に気が付いてはどうかとも考えています。
高い志とは高い志を持つのが目的ではなく、高い志を持って行動する事なのです。行動とは仕事に就くのもいいでしょう。勉学に励むのもいいでしょう。つまり高い志は行動が伴って益々高い志となるのです。

正義の追求
 仕事をする者は目の前の仕事をこなすことが目的ではありません。その仕事が公共性、社会性などにおいて明らかに重要な仕事なのかどうかです。またそのように理解した上で仕事をしているかどうかです。

幸福の追求
 物を販売する仕事は単に売ることが目的では高い志とは言えません。物を販売することで、販売先の人たちが幸せになるのかどうかです。つまり幸福の追求なのです。しかしここでの問題は販売した人が幸せになるのと同時に私(販売した本人)も幸せになるのかどうかです。高い志の仕事とは双方が幸せにならなければいけません。

独自性の追求
 高い志を目指すには物まね、人まねは問題です。絶対に人の作ったものと同じもの
は作らない。しかし仕事を始めた初期にあって人のまねをすることはよくあります。良いことはまねればいいのです。ここで言う物まねとは商品作りに関してです。

不退転の追求
 私たちビジネスを行うものにとって、常に後がないことを知るべきです。「いま・ここ」を大切に生きるべきです。「いま・ここ」は責任感にも通じます。高い志は強い責任感でもあります。

上位概念の追求
 高い志を持って行動するには正しい道を歩む必要があります。仕事をする上で重要なことはバリュー(価値ある仕事か)ビジョン(夢ある目標を定めているか)を持ちコンセプトをはっきりさせているかです。
 

2024年11月19日(火)更新

今こそ立ち上がる時!

今日は久しぶりに社内で花の普及の話をいたしました。

私は直接知る話がいくつかあります。
今、レトルトカレーのブームが来ています。尤もこのブームは大塚食品のブームでありましたが、私はボンカレーはレトルトカレーブーム第一期(今は7期と言われています)と捉えられます。ボンカレーの隠れた主役は東洋製缶でありました。ハウスククレカレーは藤森工業さんです。
更におせんべいのパッケージ商品が全国区になり、米どころの新潟にたくさんの米菓のメーカーが揃った頃、ほぼその背景には必ず凸版印刷をはじめ多くのパッケージメーカーが揃っていました。
ケーキが持ち帰りやギフトとして大きく伸びたのもパッケージメーカーによる様々な商品開発でした。インパックは40年前、シクラメンや観葉植物のギフトパッケージを開発し大手生花店、デパート各社に入る生花店様にパッケージをご提案していました。年間で100万ケース近くお届けしていました。

今こそインパックが立ち上げる時が来たのではないか、役員の皆さんに話しました。花が売れない、花は高くて物がない、生産者の皆さんは値上げし、市場までは値が上がったが、加工メーカーさんは上げられないでいる。この様な時に傍観者で良いのか。120%我々は当事者です。
ここでの勝手な結論は、新たな商品、従来品の新たな販売方法等、様々ご提案出来る企業は私達だけではないか、と勝手に考えています。鮮度保持、安定した物流、自動で製作するブーケマシン、更に自動スリービングマシン、また消耗品のデザイン、お花を飾る場所、更に花びんに至るまでもう一度ご提案すべきではないか、様々話し合いました。

今日はまず入り口です。多くの社員の皆さんにも声をかけ、考えてもらうことにしましょう、
と言う事になりました。更に営業社員が共通認識を持つために2、3年かけ営業全員にオランダに出かけてもらうことにしました。

 

2024年04月02日(火)更新

入園式

昨日は三ケ所の保育園で入園式がありました。三ケ所で合わせて約100名の園児が新たに入園されました。
どちらの園も先生が事前に様々準備され、当日の朝はみな忙しく園児と保護者の皆さんを迎えていました。本来園の前は狭山公園の桜が咲いている時でしたが、三園ともに近くの桜はもう少し先になる様でした。それでも保護者の皆さんは入園に合わせた洋服を着た園児の皆さんを連れ入園式に来られました。全員笑顔です

三園の中には在園の5歳児の皆さんが入園される園児の皆さんに首からメダルをかけてお祝いしていました。また、卒園された皆さんと入園された園児はほぼ同数ということもあり、園児の数が大幅に減ることはなく安心しました。これからの日本は園児の数が大幅に減る方向になります。その意味では保育園経営はむつかしい時期に入ります。

私たち立野みどり福祉会は園児の皆さんと保護者の皆さん(CS)、更に職員の先生方(ES)、外部の先生方(音楽、体操、英語など)や取引先の皆さんとのパートナシップ(PS)、また地域の方々、行政の皆さん(SS)とがより楽しく関係性を持っていただきご満足いただけるように努力してまいります。

昨日はその第一歩となりました。
 

2024年01月04日(木)更新

新年

あけましておめでとうございます。
新たな年となりました。本年もよろしくお願い申し上げます。

この様な時は明るい話題が適しているに決まっていますが、今日はその反対の話題となることをお許し下さい。
元旦の午後4時10分に震度7の地震が能登地方を襲いました。マグネチュード7.6は阪神淡路大震災より大きいようです。そして「志賀町震度7」がテレビに出た時、おおよそ被害が想定できました。大変なことが起きている、その胸騒ぎは現実のものとなり現地からの電話での報告は悲痛なものでした。数か月前の珠洲市の地震は6強、その時の志賀町は4でした。今までも同じような事例はいくつもありました。しかし今度は能登地方が震度7、志賀町も「7」でした。震度7の結果は今まで何どもテレビを見て知っていました。ただでは済まない!に決まっています。
それでも従業員に一人の怪我もないことが翌日分かりました。全員と確認が取れました。そうであれば、後は元気を出して復旧に努めるだけです。
復旧、復興、と時間はかかりそうですが、大まかな復興スケジュールは決まりました。更に
緊急時の組織も作りました。限られた営業活動も明確にしました。思うようにいかないこともあるでしょうが目標を定め進めるつもりです。

皆様にはご迷惑をおかけしますが、より早い再開を目指し進めて参ります。近い将来明るい話題になるようにいたします。

 
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