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We are Flower People の日記
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2025年01月27日(月)更新
来月は式能があります
徳川時代、世の中で慶事があるとそれに合わせ江戸城で「式能」が執り行われました。場所は江戸城本丸の表舞台で行われていました。式能は幕府の正式な行事として行われ、参加者は当時四座一流(四座:観世流<結崎座>・宝生流<外山座>・金春流<円満井座>・金剛流<坂戸>+喜多流)、現在では五流派が勢ぞろいします。現在では「座」とは表現しませんので五流派が出演します。
式能の番組では「翁付き」で行われます。翁を始めに演じたあと、囃子方が何人か残り引き続き一番を休みなく演じることになります。今回は翁の後は西王母となっています。お正月の金春会の定例会では翁の後は高砂が演じられていました。翁の後は必ず神様が主体のお能が演じられることになります。
式能は翁の後五番のお能と四番の狂言が演じられます。それでも10時に始まり、19時30分には終了しますので、恐らく企画段階から大事な演目ではありますがどちらかというと短めの番組が選ばれている気がします。
我々のために前半、後半のチケットがあり購入することが出来ますが、勿論通し券もあります。また、出演する演者の皆さんも観世、金春、宝生、金剛、喜多の五流がすべて参加する形になっていますが、これも徳川時代と変わらず行われています。
素晴らしいと思うのは700年以上続く能楽が、様々な歴史を持ちながら今日に続いている点です。本来であれば現在では存在していない喜多流は徳川家康があまりの名手故、大阪方にいたことで中々世の中に出られなかった北六平太を探し出し、一派を作らせたことなどは素晴らし過ぎる事実です。その後現在まで喜多流は続いています。北六平太は7歳で高砂を秀吉の前で演じた天才です。
今回も式能がやってきますが、楽しみにしています。
式能の番組では「翁付き」で行われます。翁を始めに演じたあと、囃子方が何人か残り引き続き一番を休みなく演じることになります。今回は翁の後は西王母となっています。お正月の金春会の定例会では翁の後は高砂が演じられていました。翁の後は必ず神様が主体のお能が演じられることになります。
式能は翁の後五番のお能と四番の狂言が演じられます。それでも10時に始まり、19時30分には終了しますので、恐らく企画段階から大事な演目ではありますがどちらかというと短めの番組が選ばれている気がします。
我々のために前半、後半のチケットがあり購入することが出来ますが、勿論通し券もあります。また、出演する演者の皆さんも観世、金春、宝生、金剛、喜多の五流がすべて参加する形になっていますが、これも徳川時代と変わらず行われています。
素晴らしいと思うのは700年以上続く能楽が、様々な歴史を持ちながら今日に続いている点です。本来であれば現在では存在していない喜多流は徳川家康があまりの名手故、大阪方にいたことで中々世の中に出られなかった北六平太を探し出し、一派を作らせたことなどは素晴らし過ぎる事実です。その後現在まで喜多流は続いています。北六平太は7歳で高砂を秀吉の前で演じた天才です。
今回も式能がやってきますが、楽しみにしています。
2025年01月10日(金)更新
地域での芸能
今年のお正月は余りテレビを見る機会がありませんでした。元旦、二日は久しぶりに娘三人が家族で遊びに来ました。全て16名ですのでテレビを見る間もなく食べたりゲーム、かくれんぼなどを行い大騒ぎの二日間でした。
彼らが部屋にいない時、そっとテレビを付けるとお正月らしく、各地からの様々な紹介を
番組で見ることが出来ました。
改めて尊敬するのは日本各地、それも街から村から、山の中にある村等、地域関わりなく何処にでも伝統的な芸能が伝わっています。多くはおかめ、ひょっとこの面を使っており、これは普通にどこにでもありそうです。更に大昔から伝わる仮面が数多く残されている神社もありました。また、踊りの振り付けも年配の方からしっかり教わりながら身につけていました。中には保育園、小学校低学年のくらいの小さな子供までいました。伝統芸能はこのように伝わっているのかと改めて関心致しました
石見の芸能である石見の神楽は全国的にも有名ですが、僅かですがこれも紹介されていました。中には重要な役割を託された若者が緊張感の中で舞い終わると余程緊張したのでしょう、舞台の上にしゃがみ込む姿がありました。
また、舞楽では宮内庁の演奏と踊りを以前見たことがありましたが、今回紹介されていたのは春日大社の舞楽でした。この舞楽は野外で演奏、踊をやっていました。室内だけでなく実際には外で演じられることもあるようです。この様に舞楽、雅楽など今に伝わる宮内庁の物はテレビなどで拝見したことはありますが、大きな神社では独自に演奏する機会があるようです。今回も宮内庁とは別に舞楽が演奏されていました。以前神田明神に出かけた際、舞楽が演じられていました。若い女性たちによる胡蝶の舞でした。
今回わずかしか見られませんでしたが、村々で踊られる獅子舞、おかめ・ひょっとこなどから舞楽迄、テレビでたくさん紹介されていました。私たちも周りには伝統が息づくところがいくらでもありそうです。中には訪ねたいような芸能も数多くありました。
日本は芸能に関しても実に多彩な国の様です。
彼らが部屋にいない時、そっとテレビを付けるとお正月らしく、各地からの様々な紹介を
番組で見ることが出来ました。
改めて尊敬するのは日本各地、それも街から村から、山の中にある村等、地域関わりなく何処にでも伝統的な芸能が伝わっています。多くはおかめ、ひょっとこの面を使っており、これは普通にどこにでもありそうです。更に大昔から伝わる仮面が数多く残されている神社もありました。また、踊りの振り付けも年配の方からしっかり教わりながら身につけていました。中には保育園、小学校低学年のくらいの小さな子供までいました。伝統芸能はこのように伝わっているのかと改めて関心致しました
石見の芸能である石見の神楽は全国的にも有名ですが、僅かですがこれも紹介されていました。中には重要な役割を託された若者が緊張感の中で舞い終わると余程緊張したのでしょう、舞台の上にしゃがみ込む姿がありました。
また、舞楽では宮内庁の演奏と踊りを以前見たことがありましたが、今回紹介されていたのは春日大社の舞楽でした。この舞楽は野外で演奏、踊をやっていました。室内だけでなく実際には外で演じられることもあるようです。この様に舞楽、雅楽など今に伝わる宮内庁の物はテレビなどで拝見したことはありますが、大きな神社では独自に演奏する機会があるようです。今回も宮内庁とは別に舞楽が演奏されていました。以前神田明神に出かけた際、舞楽が演じられていました。若い女性たちによる胡蝶の舞でした。
今回わずかしか見られませんでしたが、村々で踊られる獅子舞、おかめ・ひょっとこなどから舞楽迄、テレビでたくさん紹介されていました。私たちも周りには伝統が息づくところがいくらでもありそうです。中には訪ねたいような芸能も数多くありました。
日本は芸能に関しても実に多彩な国の様です。
2024年11月14日(木)更新
靴磨きは一つの楽しみ
100人に一人くらいの割合で驚くような靴を履いている人がいます。昨年オランダに出かけた際、空港で飛び切り上等な靴を履く人に出会いました。そこは自分のバッグをコンベアから降ろす場所でした。濃い茶色のウィングチップの靴でした。兎に角、靴がひときわ目立っていました。きっとジョンロブです。靴が光っています。勿論磨きこんではいますが、ジョンロブの存在感はそこにあるだけで十分です。その方はバッグを受け取るなり税関のカウンターの方へ移動していきました。
もう一つは取引先の営業マンです。恐らく35歳くらいの方です。この方の靴ももう少し薄い茶色でした。形はウィングチップです。この方はいい靴とお話しても今一つピンと来ていません。普通はいい靴と言われると多くの場合、手入れも行き届く場合が多いので少しは嬉しいものです。しかしいくら言っても靴に興味はなさそうです。人からいただいた靴の様です。幸せな人です。
そうはいっても素晴らしい靴でした。
もう一点は私が新宿伊勢丹の靴売り場でうろうろしていた時、私の靴を見て年配の靴売り場の社員の方から声を掛けられました。「できれば靴を磨かせて欲しい」というのです。既に片手にサンダルを持ち、待っている間サンダルを履いていて欲しいと言いました。私はつい調子に乗り靴を預けました。「この様な靴を磨きたかった」と話されました。暫くして靴が戻ってきました。きれいに磨かれたその靴は現在38年経った靴ですが、当時は30年たった時でした。大事に履いている、よく手入れをしている、などとほめられ、いい気になって家に戻りました。この靴はチャーチのプレーントゥのバーガンディーです。革はコードバンシェルの一枚革で仕上げています。少し赤味ががった茶で当時は少し派手めな色でした。現在38年目に入りましたが、現在でも週一位で履いています。79歳の時40年なりますがそこまで履きたいと考えています。
今日は脳天気なことを書いてしまいました。お許しください。
もう一つは取引先の営業マンです。恐らく35歳くらいの方です。この方の靴ももう少し薄い茶色でした。形はウィングチップです。この方はいい靴とお話しても今一つピンと来ていません。普通はいい靴と言われると多くの場合、手入れも行き届く場合が多いので少しは嬉しいものです。しかしいくら言っても靴に興味はなさそうです。人からいただいた靴の様です。幸せな人です。
そうはいっても素晴らしい靴でした。
もう一点は私が新宿伊勢丹の靴売り場でうろうろしていた時、私の靴を見て年配の靴売り場の社員の方から声を掛けられました。「できれば靴を磨かせて欲しい」というのです。既に片手にサンダルを持ち、待っている間サンダルを履いていて欲しいと言いました。私はつい調子に乗り靴を預けました。「この様な靴を磨きたかった」と話されました。暫くして靴が戻ってきました。きれいに磨かれたその靴は現在38年経った靴ですが、当時は30年たった時でした。大事に履いている、よく手入れをしている、などとほめられ、いい気になって家に戻りました。この靴はチャーチのプレーントゥのバーガンディーです。革はコードバンシェルの一枚革で仕上げています。少し赤味ががった茶で当時は少し派手めな色でした。現在38年目に入りましたが、現在でも週一位で履いています。79歳の時40年なりますがそこまで履きたいと考えています。
今日は脳天気なことを書いてしまいました。お許しください。
2024年11月06日(水)更新
英一蝶
昨日弟から一冊の本を頂きました。前々から一人の絵描きの絵が欲しく、友人の骨董屋さん
に頼んでいるところでした。しかし人気の作家らしくめったに出ない事と共に贋作が多く出回っているので慎重に探すとのことでした。信頼の置ける方ですので安心して待つことにしています。
探してもらう人は江戸中期に活躍した「英一蝶」です。大変うまい人で更に様々な作風を持つ大変多才な方の様です。私は単に英一蝶であればよいのではなく、「能画」といわれる分野に関心があります。確かに一蝶の「能画」はなかなか出ません。一部推察ですが、この一蝶の能画の多くは国立能楽堂と法政大学の能楽研究会が数多く持っています。それぞれ研究対象としてはっきりとした目的を持っています。世の中に一蝶の能画が出ると、そのほとんどが国立能楽堂と法政大学能楽研究所によって集められているのではないかと考えています。
それほど多くの作品をお持ちになっています。
私は能画を好んでいます。お能には様々作品がありますが、一蝶の作品はお能の一場面が描かれています。一蝶は独特の優しいタッチで演者を描がいています。まるで動いているかのように見えます。
また一蝶は狩野派から始まりました。その後更に多くの人の影響を受けながら30代くらいまで多くの作品を残しました。更に多彩な一面として彼は花街でも活躍しました。幇間としての才能も持ち合わせ、多くの客を楽しませていたようですが、お客の中には大名の子息たちもいた様です。また彼は生類憐みの令に絡み三宅島に流刑にもなっています。47歳の時、彼は江戸にもどりました。
彼が三宅島にいた時に描いた作品は、現在高い評価を受けています。
に頼んでいるところでした。しかし人気の作家らしくめったに出ない事と共に贋作が多く出回っているので慎重に探すとのことでした。信頼の置ける方ですので安心して待つことにしています。
探してもらう人は江戸中期に活躍した「英一蝶」です。大変うまい人で更に様々な作風を持つ大変多才な方の様です。私は単に英一蝶であればよいのではなく、「能画」といわれる分野に関心があります。確かに一蝶の「能画」はなかなか出ません。一部推察ですが、この一蝶の能画の多くは国立能楽堂と法政大学の能楽研究会が数多く持っています。それぞれ研究対象としてはっきりとした目的を持っています。世の中に一蝶の能画が出ると、そのほとんどが国立能楽堂と法政大学能楽研究所によって集められているのではないかと考えています。
それほど多くの作品をお持ちになっています。
私は能画を好んでいます。お能には様々作品がありますが、一蝶の作品はお能の一場面が描かれています。一蝶は独特の優しいタッチで演者を描がいています。まるで動いているかのように見えます。
また一蝶は狩野派から始まりました。その後更に多くの人の影響を受けながら30代くらいまで多くの作品を残しました。更に多彩な一面として彼は花街でも活躍しました。幇間としての才能も持ち合わせ、多くの客を楽しませていたようですが、お客の中には大名の子息たちもいた様です。また彼は生類憐みの令に絡み三宅島に流刑にもなっています。47歳の時、彼は江戸にもどりました。
彼が三宅島にいた時に描いた作品は、現在高い評価を受けています。
2024年10月24日(木)更新
薪能
この時期は薪能が多く行われた時期でもありました。11月になるとその数は随分減ることになり冬の期間はほぼ行われることがありません。
多くの薪能は屋外で開催されます。現在は能楽堂でお能が演じられますが、その昔(江戸時代以前)能楽堂は存在しておりません。全て屋外の能舞台で開催されていました。
薪能は春と秋が多く演じられますが、やはり夏と冬は屋外では演じる側も見る側もきっとつらいことになります。私は年に二度ほど薪能を見ることがあります。一つは神田明神で開催される薪能です。ここの薪能は5月に開催されます。舞台は神田明神の本殿を利用し舞台が作られています。
更に10月の舞台は北浦和にある料亭の庭を利用した見学者が50~60名の贅沢な舞台です。両舞台ともに出演される方は決まっています。
神田明神の薪能は金剛流が主催されている関係で必ずご宗家が舞われます。今年はご宗家のよる神歌(三番叟の素謡:オペラの演奏会形式に似ています)が演じられました。狂言は野村万作先生ですがこちらも毎回出演されています。90歳の先生は見事な舞台を演じられました。
一方北浦和の二木屋さんで行われる薪能は、世界で一番小さな薪能と言われています。確かにそうかもしれません。神田明神の薪能は600名ほどです。
こちらは金春流の高橋先生はじめ4名の実力派の先生方が3日間の舞台を交代で同じ演技をみせてくれます。5時に集まり、2時間ほど二木屋さんの料理に舌鼓を打ち、7時過ぎから舞台が始まります。半能ですから凡そ40分の舞台です。更に狂言を拝見できますから立派な薪能です。一度雨の時があたりましたがこのような時は座敷の一角を舞台に仕立てシテ方の先生が半能の大部分を見せてくれます。観客も大勢が一部屋に集まりお能を拝見しました。
今年は少々体調を崩しお休みしてしまいました。チケットは川崎と浦和に住む友人に代わりに出かけてもらいました。
まだまだ見たい薪能も沢山あります。奈良の興福寺の薪御能、鎌倉の薪能、山梨石和の薪能等時間をかけながら回りたいと思います。
多くの薪能は屋外で開催されます。現在は能楽堂でお能が演じられますが、その昔(江戸時代以前)能楽堂は存在しておりません。全て屋外の能舞台で開催されていました。
薪能は春と秋が多く演じられますが、やはり夏と冬は屋外では演じる側も見る側もきっとつらいことになります。私は年に二度ほど薪能を見ることがあります。一つは神田明神で開催される薪能です。ここの薪能は5月に開催されます。舞台は神田明神の本殿を利用し舞台が作られています。
更に10月の舞台は北浦和にある料亭の庭を利用した見学者が50~60名の贅沢な舞台です。両舞台ともに出演される方は決まっています。
神田明神の薪能は金剛流が主催されている関係で必ずご宗家が舞われます。今年はご宗家のよる神歌(三番叟の素謡:オペラの演奏会形式に似ています)が演じられました。狂言は野村万作先生ですがこちらも毎回出演されています。90歳の先生は見事な舞台を演じられました。
一方北浦和の二木屋さんで行われる薪能は、世界で一番小さな薪能と言われています。確かにそうかもしれません。神田明神の薪能は600名ほどです。
こちらは金春流の高橋先生はじめ4名の実力派の先生方が3日間の舞台を交代で同じ演技をみせてくれます。5時に集まり、2時間ほど二木屋さんの料理に舌鼓を打ち、7時過ぎから舞台が始まります。半能ですから凡そ40分の舞台です。更に狂言を拝見できますから立派な薪能です。一度雨の時があたりましたがこのような時は座敷の一角を舞台に仕立てシテ方の先生が半能の大部分を見せてくれます。観客も大勢が一部屋に集まりお能を拝見しました。
今年は少々体調を崩しお休みしてしまいました。チケットは川崎と浦和に住む友人に代わりに出かけてもらいました。
まだまだ見たい薪能も沢山あります。奈良の興福寺の薪御能、鎌倉の薪能、山梨石和の薪能等時間をかけながら回りたいと思います。
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