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2025年04月02日(水)更新

入園式

昨日、本日と東大和市内にある保育園五カ所の入園式があり、今日は小規模保育園の入園式となります。
二日間ともまるで真冬の様な寒さと冷たい雨が本気で降っています。保育園の入園式に参加される保護者の皆さんは雨の中歩いてお子さんと一緒に来られます。保育園には皆さんのための駐車場はありませんので皆さん自宅から、近くの駐車場から歩いてきていただきます。先生方はいつもより大きな声を出し保護者、園児の皆さんを暖かくお迎えになっていました。印象深い入園式になりました。一番大きな園は谷里保育園と言いますが、恐らく130名ほどの参加だったと思います。ゼロ歳児の皆さんは本来泣いたりするのが普通ですが1時間の式の間ほとんど気にならない程度でした。あんなに小さな子もご両親の緊張が伝わったのかもしれません。生まれて初めての式典参加でした。

今日参加されたゼロ歳児は6年間それぞれの園で生活が始まります。今日は同じ仲間が三ケ所で100名ほど揃いました。更に中途入園の二歳児、三歳児の皆さんを含めると150名程になるでしょう。同じ保育園の仲間として同じ生活を行います。歓迎式では5歳児の皆さんが鍵盤ハーモニカを演奏し、歌を歌いましたが、5歳児とは言え、昨日まで4歳児の皆さんです。それでも見事な演奏を聞かせてくれました。谷里保育園では3歳児も鍵盤ハーモニカを演奏しますので、保護者の皆さんは3年後にはわが子があんな風になると思われたに相違ありません。鍵盤ハーモニカの聖者の行進は本当に見事でした。
他の二園でも温かな雰囲気の中で入園式が行われました。

子供の成長は親子の関係と保育園の先生との関係の中で育っていきます。更に地域との関係も重要です。三者一体となって子供たちの成長を見守っていきます。
 

2025年03月14日(金)更新

卒園式

保育園の三月は行事が増えることになります。三月は卒園の季節であり保育園ではそれに合わせ、卒園の記念の遠足などを行い、園児の皆さんの思い出を一層深めて参ります。

いつも園児の皆さんを見て感じるのは挨拶の部分です。また、返事もそうです。何と言っても挨拶や返事が最も見事なのはきっと保育園時代と言う事になるでしょう。まるで挨拶や返事に人生をかけているようです。
ただ不思議なのはこの挨拶が大人になると次第に少なくなり、声も小さくなってきます。勿論すべては大人の対応ですからそれはそれでいいのですが少々寂しくもあります。
間違いなく言えるのは営業活動の場合大きな声と、挨拶が出来ないと仕事になりません。
身の恥を申しますとしばらく前になりますがかなりのスピード違反をして聴聞にかけられたことがありました。私は20名ほどの90日免停のグループの一人でしたが、司会の方が「聴聞の先生から呼ばれたら返事をして先生のところに行ってください。」と言われました。やけに返事が強調されていると思いましたが、聞いていると誰もが呼ばれると「あー」とか「うー」としか聞こえない返事がほとんどでした、大変なところに来たと大反省したものです。もっとも私も若いころ寝起きに家内から挨拶をされてもきっと「あー」とか「うー」とか言っていませんでした。失礼千万な話です。
申し上げたいのは誰もが保育園の時は返事や挨拶は大きな声でするものです。先生方は園児の皆さんが立派な挨拶や返事が出来るようになるために日々努力しています。挨拶や返事の部門では保育園児が、今がチャンピオンなのです。その彼らが今日卒園します。運動会やクリスマス発表会ドッジボール大会などを思いだします。皆さん見事に保育園生活を行っていました。大きくなっても立派な挨拶、立派な返事を忘れずにいてほしいと思います。

彼らの夢を一人・一人聞かせてもらいました。大きな夢を抱き、そこに向かって大きな努力をする事で人は必ず報われます。園児の皆さんも将来の夢に向かって進んでほしいと思います。
 

2025年02月21日(金)更新

吉岡さんの友達

私の家の前に日本画家の吉岡堅二さんの自宅があります。染色家の吉岡幸雄さんは吉岡堅二さんの兄の長男に当たります。数年前吉岡堅二さんの自宅(将来:東大和美術館)に来られた時私の自宅にお立ち寄りいただきました。吉岡堅二さんのお家には若いころから何度も来られたとおっしゃっていました。

さて、ある時雑誌を見ていましたが、天皇・皇后両陛下が自宅を出発する写真が掲載されていましたが、両陛下の背景にある大きな絵は吉岡堅二さんの鶴の作品でした。見事に飛んでいる鶴の作品は迫力満点の物でした。以前聞いておりましたが、天皇家に飾られているとは素晴らしい事です。これも一度だけですが吉岡さんお自宅で開催された美術展で鶴の絵を見たことがありましたが、これは一羽でしたので天皇家のそれとは別の作品です。
吉岡さんの住宅は将来美術館になると聞いています。現在は東大和博物館が管理しています。年に二回、春と秋に作品展が開催されます。私立博物館の主催になりますが、多い時は500名を超える来場者があります。多くの市民や吉岡ファンの皆さんが期待しています。

旧吉岡邸で開催される美術展は博物館の職員の他、多くのボランティアの皆さんが参加されています。吉岡邸の100年住宅に興味を持つ人、吉岡さんの作品に興味を持つ人などがボランティアで参加されていますが、素晴らしいと思います。市民目線でいつも展示しています。お手紙や新聞の挿絵の原稿なども良く出てきます。昨年の展示の際、フランスへ渡る前の藤田嗣治が東大和の吉岡さんを訪ねてきたことも残されていました。広い交友相手を持つ吉岡さんの面目躍如といったところです。
 

2024年11月05日(火)更新

横浜優勝

昨日のスポーツニュースは横浜ベイスターズ一色でした。中々見ることのできないペナントレースでは3位のチームがパリ-グの覇者に勝ち優勝を手にしました。めったに見ることができません。

ニュースの中でスタジアムの周りに集まってきた横浜ファンたちの歓声と共に聞こえてくるある歌に驚きました。どう聞いても「今は百船(ももふね)、百千船(ももちぶね)、とまる所を見おや」と聞こえてきます。
この歌はきっと横浜生まれの人しか知らないと思います。小学校4年まで横浜で育った私はこの歌をよく知っています。学校で何か改まった行事があると全校で歌ったものでした。ここの小学校はとても古く1873年創立です。間違えていなければここには校歌がなく、いつも前述の「横浜市歌」をことある度歌っていました。難しい歌詞は森鴎外によるものです。横浜港の繁栄を歌ったものでした。
子供の頃の歌をはっきり覚えているくらいですから、学校でどれだけ歌ったか分かりません。とてもいい歌です。その歌を横浜ファンの皆さんが球場の内外で歌っていたのです。少し感激しました

横浜生まれの私としては今回のベイスターズの優勝が急に他人ごとではなくなりました。うれしさも倍になったようです。
30代の頃、お世話になった社長の会社でよく会合に呼ばれましたが、この社では何かというと「最上川」でした。社長のご出身が山形県でした。生まれ故郷と結びつく歌があることは、一体感を産む、とても素晴らしいものです。ほかの県でもあるのでしょうか。

横浜市歌について~横浜市

 

2024年10月31日(木)更新

山梨県小菅村

今朝のテレビの番組で小菅村の名前が出てきました。ここは奥多摩町の隣で東京都の水道の源水になっています。

実はこの村は私が子供の頃よく出かけたものでした。私の父の出身地の関係で春休みにはよく連れて行ってくれました。(夏休みは母の田舎の山梨県韮崎に行きっぱなしでした。)父の田舎は東京から決して遠くはないのですが、何しろ小菅までの交通機関がなく、かなりの間徒歩でした。行き方は二通りあり、奥多摩駅からバスでしばらく走り、村境からは徒歩で2時間ほど歩きました。中央線の上野原からは隣の西原村までバスで行き、そこからは同じく徒歩になります。時間は奥多摩からと同じくらいです。
いずれにしろとても行きづらい場所でした。20代になると車で出かけましたが、家から二時間ほどで着きますので、父親はよく出かけていきました。どうやらそば打ち名人の叔母の打つそばが食べたくなると私に声をかけてくれたようです。
今から20年ほど前、小菅村の名前が良く出てきました。村が市町村合併を断り、独自で生きる道を選んだ時から始まります。様ざまな事業を起こし観光で生きることを決めた様でした。村道をラリー仕様車が爆音を立てて通りすぎることもあったようです。
大きな温泉施設を作り、そのそばに道の駅を作り、村の中心地には虫を取りに来るようPRしたり、色々努力を続けていました。ここにはワサビ田もありますから環境抜群の地域です。村民600名が住み、実に環境のいい場所です。
昔の思い出はいとこが結婚した時、上野原出身のお嫁さんが村境から歩いて小菅村に入ってきました。沢山の人が一緒に歩いていました。私たち迎える側も多くの人が村境で待っていました。その意味では昔をいまに残す優れたところです。現在、私の自慢の一つです。

村が市町村合併をせずに600名の村民と共に生きることに決めたことも素晴らしい決断でした。
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