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We are Flower People の日記
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2024年07月05日(金)更新
独立記念日
7月1日はルワンダの独立記念日でナショナルデーとなっています。来週都内のホテルでその式典が開催される事になってます。
独立年度は1962年となっていますが。このころはアフリカで独立が続きました。19世紀後半から20世紀全般にかけヨーロッパ各国により、強引にアフリカ各国の思惑とは別にヨーロッパの都合で国境線を引かれその後の植民地の道を歩み始めました。ルワンダも例外ではなく、当初ドイツに続いて戦後はベルギーがツチ族の王を通して間接統治を行っていました。
今回のルワンダの独立記念日は62年たつことになります。ただ、ルワンダの不幸は1994年のジェノサイトで頂点に達します。100日間と言う短い期間で100万人というツチ族の人が殺されました。アフリカでは現在に至るまで例のない不幸な事件です。ここに至るまで、クーデターによるツチ族の難民化、フツ族の大統領の乗った飛行機が何者かによって墜落され、大統領が死亡したことなどを受けて、フツ族によるツチ族の大量虐殺が起こりました。元々は争う関係ではなかったツチ・フツ側でしたが、ベルギーによる植民地政策などが問題ではないかと言われています。
しかし現在のルワンダはルワンダの奇跡と言われるほどの復活を遂げています。美しい国土を観光資源に多くの人がルワンダを訪ねています。コーヒーも大事な輸出品です。今度はバラをそれにしようと頑張っています。
インパックは花の輸入には携わっておりませんが、お役に立つことを考えています。
独立年度は1962年となっていますが。このころはアフリカで独立が続きました。19世紀後半から20世紀全般にかけヨーロッパ各国により、強引にアフリカ各国の思惑とは別にヨーロッパの都合で国境線を引かれその後の植民地の道を歩み始めました。ルワンダも例外ではなく、当初ドイツに続いて戦後はベルギーがツチ族の王を通して間接統治を行っていました。
今回のルワンダの独立記念日は62年たつことになります。ただ、ルワンダの不幸は1994年のジェノサイトで頂点に達します。100日間と言う短い期間で100万人というツチ族の人が殺されました。アフリカでは現在に至るまで例のない不幸な事件です。ここに至るまで、クーデターによるツチ族の難民化、フツ族の大統領の乗った飛行機が何者かによって墜落され、大統領が死亡したことなどを受けて、フツ族によるツチ族の大量虐殺が起こりました。元々は争う関係ではなかったツチ・フツ側でしたが、ベルギーによる植民地政策などが問題ではないかと言われています。
しかし現在のルワンダはルワンダの奇跡と言われるほどの復活を遂げています。美しい国土を観光資源に多くの人がルワンダを訪ねています。コーヒーも大事な輸出品です。今度はバラをそれにしようと頑張っています。
インパックは花の輸入には携わっておりませんが、お役に立つことを考えています。
2024年07月02日(火)更新
古い友
昨日の午後二人のオランダ人が来社されました。そのうちのひとりはインパックの名刺を持ちオランダで活躍頂いている人です。随分仲が付き合いになりました。恐らく35年になります。初めは機械メーカーの工場長でした。退職後、用土(ピートモス)のメーカーに移り、その会社を定年で辞めた頃から直接お付き合いが始まりました。
今ではオランダから出荷される機械の確認等仕事上のいいパートナです。また、この二十年以上インパックの社員がオランダに出かける度、車を出して頂き、何処にでも出かけてくれました。
取引先は勿論、展示会ではオランダ国内は遠近案内をしてもらいました。ドイツのIPMなどはいつも車で出かけました。何時しか家族の付き合いになり、日本の着た時は会長宅に来てもらいました。我々が行くと家に案内いただきました。
元々技術者でしたのでインパックの機械についてはなんでも知っています。我々も相談します。戦争の話など微妙な話も普通に話せるようになりました。
長い付き合いの中でインパックの若い社員の多くがオランダに出かけた時、彼にお世話になった経験をもっています。昨日も旧交を温めていました。
今ではオランダから出荷される機械の確認等仕事上のいいパートナです。また、この二十年以上インパックの社員がオランダに出かける度、車を出して頂き、何処にでも出かけてくれました。
取引先は勿論、展示会ではオランダ国内は遠近案内をしてもらいました。ドイツのIPMなどはいつも車で出かけました。何時しか家族の付き合いになり、日本の着た時は会長宅に来てもらいました。我々が行くと家に案内いただきました。
元々技術者でしたのでインパックの機械についてはなんでも知っています。我々も相談します。戦争の話など微妙な話も普通に話せるようになりました。
長い付き合いの中でインパックの若い社員の多くがオランダに出かけた時、彼にお世話になった経験をもっています。昨日も旧交を温めていました。
2024年05月16日(木)更新
ブルガリア
昨日は参議院議員の石井苗子さんの会があり、ゲストとしてとしてブルガリアの大使がお見えになっていました。この日は1時間ほど大使がお話をされました。
話はブルガリアの紹介でした。話の最初はあるかとは想像していましたがはやり「明治ブルガリアヨーグルト」でした。発売され長くなりますがブルガリアと言えば我々日本人はヨーグルトです。先ごろ発売50年以上になるようです。話は大阪万博の時にさかのぼります。つい先日明治乳業とブルガリアの間でお祝いがあったと話されていました。長い歴史です。
ブルガリアはキリル文字の発案国です。キリル文字はロシアをはじめ多くの東側の国で使われています。その発祥の地がブルガリアとのことになります。恐らくキリスト教伝来と関係あるかもしれません。キリスト教はビザンチン帝国からブルガリア、ウクライナ、ロシアへと広がっていったのだと思います。ただここで言うキリスト教はオーソドックス(正教会)です。ローマのキリスト教とは一線を画しています。今から1000年ほど前にビザンチンから伝わりました。オーソドックスには聖像はありません。その代わりイコン(アイコン)があります。聖画と言われています。ロシアやギリシャの正教会へ行きますと沢山聖画があります。尤もイコンは、本当は絵ではありません。
私はイコンを見るのが半ば趣味のようになっていますが、それぞれの国によってイコンの特徴があります。私は各国のイコンの中でブルガリアイコンが尤も好きなものです。線が太くダイナミックな描き方ですがイコンとして見ていて温かみを特に感じます。このお話を大使にお伝えしましたが、とても喜んでくれました。
国会議員の先生方の会は色々ありますが、石井先生の各国の大使をお呼びして毎年行われる会は実に勉強になり、よく言われるパーティーとは一線を画しています。
話はブルガリアの紹介でした。話の最初はあるかとは想像していましたがはやり「明治ブルガリアヨーグルト」でした。発売され長くなりますがブルガリアと言えば我々日本人はヨーグルトです。先ごろ発売50年以上になるようです。話は大阪万博の時にさかのぼります。つい先日明治乳業とブルガリアの間でお祝いがあったと話されていました。長い歴史です。
ブルガリアはキリル文字の発案国です。キリル文字はロシアをはじめ多くの東側の国で使われています。その発祥の地がブルガリアとのことになります。恐らくキリスト教伝来と関係あるかもしれません。キリスト教はビザンチン帝国からブルガリア、ウクライナ、ロシアへと広がっていったのだと思います。ただここで言うキリスト教はオーソドックス(正教会)です。ローマのキリスト教とは一線を画しています。今から1000年ほど前にビザンチンから伝わりました。オーソドックスには聖像はありません。その代わりイコン(アイコン)があります。聖画と言われています。ロシアやギリシャの正教会へ行きますと沢山聖画があります。尤もイコンは、本当は絵ではありません。
私はイコンを見るのが半ば趣味のようになっていますが、それぞれの国によってイコンの特徴があります。私は各国のイコンの中でブルガリアイコンが尤も好きなものです。線が太くダイナミックな描き方ですがイコンとして見ていて温かみを特に感じます。このお話を大使にお伝えしましたが、とても喜んでくれました。
国会議員の先生方の会は色々ありますが、石井先生の各国の大使をお呼びして毎年行われる会は実に勉強になり、よく言われるパーティーとは一線を画しています。
2024年04月11日(木)更新
日本農業賞受賞
昨日、1年ぶりでしょうかJFMA(日本フローラルマーケティング協会)のイブニングセミナーが開催され、参加してまいりました。その前には理事会やアフタヌーンセミナーがあり、午後から夜にかけ終日会議などが行われていました。私は別件があり、夜の会に参加しました。
前回の参加者数が8名と聞き、久しぶりに参加することにいたしました。14名の理事の方々が参加され、様々話し合いが出来ました。やはりここには来なくてはだめだと深く反省いたしました。この日は会長の小川先生(法政大学名誉教授)スミザースオアシスの道田社長はじめ、理事の皆さんが顔をそろえていました。中でも会津から参加の菅家博昭さんにお会いできたことはうれしい限りでした。席が少々離れお話ができませんでしたが、それでもいつものお人柄に触れることが出来ました。
日本農業賞というのがあります。優れた農業者や団体に与えられる価値のある大きな賞です。菅家さんの参加する福島県昭和村のJAよつば かすみ草部会が受賞されました。菅家さんは昭和村の昔はたばこ生産が多かった地域にかすみ草の栽培を始めました。会津若松から出かけると昭和村に入るあたりからかすみ草栽培のハウスがあちこちで見られます。菅家さんは現在かすみ草栽培を日本でも有数な産地にされました。勿論菅家さんに協力された多くの生産者の方々がおられました。
私も何度か昭和村へ参りましたが、最も印象深いのは昭和村での「かすみ草サミット」でした。国内産地、海外の種苗会社からの参加がありました。国際会議でした。この会議の運営には村内の生産者の皆さんが担当されていました。今でも思い出深いサミットでした。
前回の参加者数が8名と聞き、久しぶりに参加することにいたしました。14名の理事の方々が参加され、様々話し合いが出来ました。やはりここには来なくてはだめだと深く反省いたしました。この日は会長の小川先生(法政大学名誉教授)スミザースオアシスの道田社長はじめ、理事の皆さんが顔をそろえていました。中でも会津から参加の菅家博昭さんにお会いできたことはうれしい限りでした。席が少々離れお話ができませんでしたが、それでもいつものお人柄に触れることが出来ました。
日本農業賞というのがあります。優れた農業者や団体に与えられる価値のある大きな賞です。菅家さんの参加する福島県昭和村のJAよつば かすみ草部会が受賞されました。菅家さんは昭和村の昔はたばこ生産が多かった地域にかすみ草の栽培を始めました。会津若松から出かけると昭和村に入るあたりからかすみ草栽培のハウスがあちこちで見られます。菅家さんは現在かすみ草栽培を日本でも有数な産地にされました。勿論菅家さんに協力された多くの生産者の方々がおられました。
私も何度か昭和村へ参りましたが、最も印象深いのは昭和村での「かすみ草サミット」でした。国内産地、海外の種苗会社からの参加がありました。国際会議でした。この会議の運営には村内の生産者の皆さんが担当されていました。今でも思い出深いサミットでした。
2024年04月05日(金)更新
飯塚先生
38歳の時、私は友人に誘われ、ある経営塾に参加しました。その時の私は営業活動の真っ盛りの時でした。仕事の内容もレトルト食品の袋を大手包材メーカーに発注し、当時難しいと言われたレトルト用の袋の包装設計の様々なセミナーに参加したり、包材メーカーの研究所の人から教わったりしてすっかり分かった気になっていました。いっぱしの技術営業マン気取りでした。更にそのころ、和風の業務用レトルト包材はインパックが初めて手掛けたと言われて少しばかりいい気にもなっていました。
更に初めて参加した経営塾では先生からの質問や意見に対して話す際も、生意気な発言などをしていたと思います。先生からも元気がいいな、などと言われ益々発言を続けていました。しかしその塾には上場企業の社長やベンチャーで成功した方などがいて、翌月の塾では単に人より少しばかり余計に販売していたのではこの会(経営塾)では通用しないことが分かってきました。単に営業の話ではないのです。それだけの話であれば、当時先生はセブンイレブンにカラーコピー機を数千台販売した時でした。とでもない額です。しかし先生はそんなことを自慢したりしません。
問題はいい仕事をする心構えや従業員に対する言葉使いや、態度など更にいい会社にするには人間としての成長をいかに図るかなどを勉強する場でありました。たくさん売ったからえらいのではありません。何度も同じことを言われるうち、すっかり発言できなくなりました。今度は「すっかり元気がなくなったな」と言われる始末です。
その後、40年近く病気の時を除いて30年以上お付き合いを頂いています。今日は東京紀尾井町ロータリークラブの例会で久しぶりに先生の卓話がありました。内容は当時と全く変わらず、本質的なお話でした。「わかっただけではだめだ、やらなければ」80歳を過ぎた先生ですが、今でも本当に新鮮に聞こえてきます。素晴らしい話でした。
更に初めて参加した経営塾では先生からの質問や意見に対して話す際も、生意気な発言などをしていたと思います。先生からも元気がいいな、などと言われ益々発言を続けていました。しかしその塾には上場企業の社長やベンチャーで成功した方などがいて、翌月の塾では単に人より少しばかり余計に販売していたのではこの会(経営塾)では通用しないことが分かってきました。単に営業の話ではないのです。それだけの話であれば、当時先生はセブンイレブンにカラーコピー機を数千台販売した時でした。とでもない額です。しかし先生はそんなことを自慢したりしません。
問題はいい仕事をする心構えや従業員に対する言葉使いや、態度など更にいい会社にするには人間としての成長をいかに図るかなどを勉強する場でありました。たくさん売ったからえらいのではありません。何度も同じことを言われるうち、すっかり発言できなくなりました。今度は「すっかり元気がなくなったな」と言われる始末です。
その後、40年近く病気の時を除いて30年以上お付き合いを頂いています。今日は東京紀尾井町ロータリークラブの例会で久しぶりに先生の卓話がありました。内容は当時と全く変わらず、本質的なお話でした。「わかっただけではだめだ、やらなければ」80歳を過ぎた先生ですが、今でも本当に新鮮に聞こえてきます。素晴らしい話でした。
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