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We are Flower People の日記
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2025年01月30日(木)更新
西村龍介さん
西村龍介さんは私などが気軽に呼べる方ではありません。私が生まれた時、既にコニカ(当時小西六)の取締役をお勤めになっていました。西村龍介さんと毎月お会いするようになったのは豊田駅前の会館で西村さんと日野自工の家本相談役、当時都立科学技術短大の渡辺学長が多摩地域の中小企業の育成を目指した協会を立ち上げた時に遡ります。
協会の会長をお務めになった西村さんは毎月会員のメンバーとの懇談会に参加され、お話を伺うようになりました。地域の企業も100社以上参加され熱心な会でした。渡辺学長は地域の中小企業に門戸を開き、公開講義を年間100回開講しました。当時大学の公開講座の中でも群を抜いて多い大学として有名でした。
毎月の懇談会では西村会長に私の話をお聞きいただき、大変可愛がって頂きました。インパックにもお電話を頂き小西六の秘書課からの電話で大騒ぎしたものです。
この話はご本人から伺いました。ある時、紙焼きした写真に白い斑点があるとクレームが入りました。この時はごく少数で問題にならないくらいの事の様でした。ところが暫くした後、全国で同じクレームが一斉に発生しました。当時、写真はほぼ街の写真屋さんから受け取っていました。白い斑点は写真を撮った人にダメージを与え、小西六にとって多きな問題になりました。写真は思い出の塊です。それを取り戻すことは出来ません。その後白濁事件は原因が分かり解決することは出来ました。しかし会社は責任を明らかにしなければ世間も社員も許しません。
この時の一件でフィルムのシェアは一気に富士フィルムと逆転しました。7:3が3:7になり、元に戻りませんでした。小西六は世間から大きな制裁を受けたのです。
この時小西六の役員のとった責任は20数名いる役員の中から末席の西村さんだけを残し会長、社長以下全員お辞めになりました。西村さんは技術系の役員でありました。これからの小西六は技術で生きなければならないとの表明でした。西村さんはその象徴でもありました。フィルムのシェアは回復出来ませんでしたが、その後西村さんはカメラで挽回しました。「ピッカリコニカ」の誕生です。
最近のメディアの事件で役員がバラバラ辞めていくのを見て、西村さんから伺った話を思い出しました。
協会の会長をお務めになった西村さんは毎月会員のメンバーとの懇談会に参加され、お話を伺うようになりました。地域の企業も100社以上参加され熱心な会でした。渡辺学長は地域の中小企業に門戸を開き、公開講義を年間100回開講しました。当時大学の公開講座の中でも群を抜いて多い大学として有名でした。
毎月の懇談会では西村会長に私の話をお聞きいただき、大変可愛がって頂きました。インパックにもお電話を頂き小西六の秘書課からの電話で大騒ぎしたものです。
この話はご本人から伺いました。ある時、紙焼きした写真に白い斑点があるとクレームが入りました。この時はごく少数で問題にならないくらいの事の様でした。ところが暫くした後、全国で同じクレームが一斉に発生しました。当時、写真はほぼ街の写真屋さんから受け取っていました。白い斑点は写真を撮った人にダメージを与え、小西六にとって多きな問題になりました。写真は思い出の塊です。それを取り戻すことは出来ません。その後白濁事件は原因が分かり解決することは出来ました。しかし会社は責任を明らかにしなければ世間も社員も許しません。
この時の一件でフィルムのシェアは一気に富士フィルムと逆転しました。7:3が3:7になり、元に戻りませんでした。小西六は世間から大きな制裁を受けたのです。
この時小西六の役員のとった責任は20数名いる役員の中から末席の西村さんだけを残し会長、社長以下全員お辞めになりました。西村さんは技術系の役員でありました。これからの小西六は技術で生きなければならないとの表明でした。西村さんはその象徴でもありました。フィルムのシェアは回復出来ませんでしたが、その後西村さんはカメラで挽回しました。「ピッカリコニカ」の誕生です。
最近のメディアの事件で役員がバラバラ辞めていくのを見て、西村さんから伺った話を思い出しました。
2024年07月05日(金)更新
独立記念日
7月1日はルワンダの独立記念日でナショナルデーとなっています。来週都内のホテルでその式典が開催される事になってます。
独立年度は1962年となっていますが。このころはアフリカで独立が続きました。19世紀後半から20世紀全般にかけヨーロッパ各国により、強引にアフリカ各国の思惑とは別にヨーロッパの都合で国境線を引かれその後の植民地の道を歩み始めました。ルワンダも例外ではなく、当初ドイツに続いて戦後はベルギーがツチ族の王を通して間接統治を行っていました。
今回のルワンダの独立記念日は62年たつことになります。ただ、ルワンダの不幸は1994年のジェノサイトで頂点に達します。100日間と言う短い期間で100万人というツチ族の人が殺されました。アフリカでは現在に至るまで例のない不幸な事件です。ここに至るまで、クーデターによるツチ族の難民化、フツ族の大統領の乗った飛行機が何者かによって墜落され、大統領が死亡したことなどを受けて、フツ族によるツチ族の大量虐殺が起こりました。元々は争う関係ではなかったツチ・フツ側でしたが、ベルギーによる植民地政策などが問題ではないかと言われています。
しかし現在のルワンダはルワンダの奇跡と言われるほどの復活を遂げています。美しい国土を観光資源に多くの人がルワンダを訪ねています。コーヒーも大事な輸出品です。今度はバラをそれにしようと頑張っています。
インパックは花の輸入には携わっておりませんが、お役に立つことを考えています。
独立年度は1962年となっていますが。このころはアフリカで独立が続きました。19世紀後半から20世紀全般にかけヨーロッパ各国により、強引にアフリカ各国の思惑とは別にヨーロッパの都合で国境線を引かれその後の植民地の道を歩み始めました。ルワンダも例外ではなく、当初ドイツに続いて戦後はベルギーがツチ族の王を通して間接統治を行っていました。
今回のルワンダの独立記念日は62年たつことになります。ただ、ルワンダの不幸は1994年のジェノサイトで頂点に達します。100日間と言う短い期間で100万人というツチ族の人が殺されました。アフリカでは現在に至るまで例のない不幸な事件です。ここに至るまで、クーデターによるツチ族の難民化、フツ族の大統領の乗った飛行機が何者かによって墜落され、大統領が死亡したことなどを受けて、フツ族によるツチ族の大量虐殺が起こりました。元々は争う関係ではなかったツチ・フツ側でしたが、ベルギーによる植民地政策などが問題ではないかと言われています。
しかし現在のルワンダはルワンダの奇跡と言われるほどの復活を遂げています。美しい国土を観光資源に多くの人がルワンダを訪ねています。コーヒーも大事な輸出品です。今度はバラをそれにしようと頑張っています。
インパックは花の輸入には携わっておりませんが、お役に立つことを考えています。
2024年07月02日(火)更新
古い友
昨日の午後二人のオランダ人が来社されました。そのうちのひとりはインパックの名刺を持ちオランダで活躍頂いている人です。随分仲が付き合いになりました。恐らく35年になります。初めは機械メーカーの工場長でした。退職後、用土(ピートモス)のメーカーに移り、その会社を定年で辞めた頃から直接お付き合いが始まりました。
今ではオランダから出荷される機械の確認等仕事上のいいパートナです。また、この二十年以上インパックの社員がオランダに出かける度、車を出して頂き、何処にでも出かけてくれました。
取引先は勿論、展示会ではオランダ国内は遠近案内をしてもらいました。ドイツのIPMなどはいつも車で出かけました。何時しか家族の付き合いになり、日本の着た時は会長宅に来てもらいました。我々が行くと家に案内いただきました。
元々技術者でしたのでインパックの機械についてはなんでも知っています。我々も相談します。戦争の話など微妙な話も普通に話せるようになりました。
長い付き合いの中でインパックの若い社員の多くがオランダに出かけた時、彼にお世話になった経験をもっています。昨日も旧交を温めていました。
今ではオランダから出荷される機械の確認等仕事上のいいパートナです。また、この二十年以上インパックの社員がオランダに出かける度、車を出して頂き、何処にでも出かけてくれました。
取引先は勿論、展示会ではオランダ国内は遠近案内をしてもらいました。ドイツのIPMなどはいつも車で出かけました。何時しか家族の付き合いになり、日本の着た時は会長宅に来てもらいました。我々が行くと家に案内いただきました。
元々技術者でしたのでインパックの機械についてはなんでも知っています。我々も相談します。戦争の話など微妙な話も普通に話せるようになりました。
長い付き合いの中でインパックの若い社員の多くがオランダに出かけた時、彼にお世話になった経験をもっています。昨日も旧交を温めていました。
2024年05月16日(木)更新
ブルガリア
昨日は参議院議員の石井苗子さんの会があり、ゲストとしてとしてブルガリアの大使がお見えになっていました。この日は1時間ほど大使がお話をされました。
話はブルガリアの紹介でした。話の最初はあるかとは想像していましたがはやり「明治ブルガリアヨーグルト」でした。発売され長くなりますがブルガリアと言えば我々日本人はヨーグルトです。先ごろ発売50年以上になるようです。話は大阪万博の時にさかのぼります。つい先日明治乳業とブルガリアの間でお祝いがあったと話されていました。長い歴史です。
ブルガリアはキリル文字の発案国です。キリル文字はロシアをはじめ多くの東側の国で使われています。その発祥の地がブルガリアとのことになります。恐らくキリスト教伝来と関係あるかもしれません。キリスト教はビザンチン帝国からブルガリア、ウクライナ、ロシアへと広がっていったのだと思います。ただここで言うキリスト教はオーソドックス(正教会)です。ローマのキリスト教とは一線を画しています。今から1000年ほど前にビザンチンから伝わりました。オーソドックスには聖像はありません。その代わりイコン(アイコン)があります。聖画と言われています。ロシアやギリシャの正教会へ行きますと沢山聖画があります。尤もイコンは、本当は絵ではありません。
私はイコンを見るのが半ば趣味のようになっていますが、それぞれの国によってイコンの特徴があります。私は各国のイコンの中でブルガリアイコンが尤も好きなものです。線が太くダイナミックな描き方ですがイコンとして見ていて温かみを特に感じます。このお話を大使にお伝えしましたが、とても喜んでくれました。
国会議員の先生方の会は色々ありますが、石井先生の各国の大使をお呼びして毎年行われる会は実に勉強になり、よく言われるパーティーとは一線を画しています。
話はブルガリアの紹介でした。話の最初はあるかとは想像していましたがはやり「明治ブルガリアヨーグルト」でした。発売され長くなりますがブルガリアと言えば我々日本人はヨーグルトです。先ごろ発売50年以上になるようです。話は大阪万博の時にさかのぼります。つい先日明治乳業とブルガリアの間でお祝いがあったと話されていました。長い歴史です。
ブルガリアはキリル文字の発案国です。キリル文字はロシアをはじめ多くの東側の国で使われています。その発祥の地がブルガリアとのことになります。恐らくキリスト教伝来と関係あるかもしれません。キリスト教はビザンチン帝国からブルガリア、ウクライナ、ロシアへと広がっていったのだと思います。ただここで言うキリスト教はオーソドックス(正教会)です。ローマのキリスト教とは一線を画しています。今から1000年ほど前にビザンチンから伝わりました。オーソドックスには聖像はありません。その代わりイコン(アイコン)があります。聖画と言われています。ロシアやギリシャの正教会へ行きますと沢山聖画があります。尤もイコンは、本当は絵ではありません。
私はイコンを見るのが半ば趣味のようになっていますが、それぞれの国によってイコンの特徴があります。私は各国のイコンの中でブルガリアイコンが尤も好きなものです。線が太くダイナミックな描き方ですがイコンとして見ていて温かみを特に感じます。このお話を大使にお伝えしましたが、とても喜んでくれました。
国会議員の先生方の会は色々ありますが、石井先生の各国の大使をお呼びして毎年行われる会は実に勉強になり、よく言われるパーティーとは一線を画しています。
2024年04月11日(木)更新
日本農業賞受賞
昨日、1年ぶりでしょうかJFMA(日本フローラルマーケティング協会)のイブニングセミナーが開催され、参加してまいりました。その前には理事会やアフタヌーンセミナーがあり、午後から夜にかけ終日会議などが行われていました。私は別件があり、夜の会に参加しました。
前回の参加者数が8名と聞き、久しぶりに参加することにいたしました。14名の理事の方々が参加され、様々話し合いが出来ました。やはりここには来なくてはだめだと深く反省いたしました。この日は会長の小川先生(法政大学名誉教授)スミザースオアシスの道田社長はじめ、理事の皆さんが顔をそろえていました。中でも会津から参加の菅家博昭さんにお会いできたことはうれしい限りでした。席が少々離れお話ができませんでしたが、それでもいつものお人柄に触れることが出来ました。
日本農業賞というのがあります。優れた農業者や団体に与えられる価値のある大きな賞です。菅家さんの参加する福島県昭和村のJAよつば かすみ草部会が受賞されました。菅家さんは昭和村の昔はたばこ生産が多かった地域にかすみ草の栽培を始めました。会津若松から出かけると昭和村に入るあたりからかすみ草栽培のハウスがあちこちで見られます。菅家さんは現在かすみ草栽培を日本でも有数な産地にされました。勿論菅家さんに協力された多くの生産者の方々がおられました。
私も何度か昭和村へ参りましたが、最も印象深いのは昭和村での「かすみ草サミット」でした。国内産地、海外の種苗会社からの参加がありました。国際会議でした。この会議の運営には村内の生産者の皆さんが担当されていました。今でも思い出深いサミットでした。
前回の参加者数が8名と聞き、久しぶりに参加することにいたしました。14名の理事の方々が参加され、様々話し合いが出来ました。やはりここには来なくてはだめだと深く反省いたしました。この日は会長の小川先生(法政大学名誉教授)スミザースオアシスの道田社長はじめ、理事の皆さんが顔をそろえていました。中でも会津から参加の菅家博昭さんにお会いできたことはうれしい限りでした。席が少々離れお話ができませんでしたが、それでもいつものお人柄に触れることが出来ました。
日本農業賞というのがあります。優れた農業者や団体に与えられる価値のある大きな賞です。菅家さんの参加する福島県昭和村のJAよつば かすみ草部会が受賞されました。菅家さんは昭和村の昔はたばこ生産が多かった地域にかすみ草の栽培を始めました。会津若松から出かけると昭和村に入るあたりからかすみ草栽培のハウスがあちこちで見られます。菅家さんは現在かすみ草栽培を日本でも有数な産地にされました。勿論菅家さんに協力された多くの生産者の方々がおられました。
私も何度か昭和村へ参りましたが、最も印象深いのは昭和村での「かすみ草サミット」でした。国内産地、海外の種苗会社からの参加がありました。国際会議でした。この会議の運営には村内の生産者の皆さんが担当されていました。今でも思い出深いサミットでした。
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