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2024年04月08日(月)更新

能登の復旧状況

先週末は二つある会をキャンセルいたしました。のどの痛みと咳が止まりませんでした。金曜の昼過ぎからルゴール液でのうがいを続け二日にわたり、家で寝ていた関係ですっかり良く成りました。このまま悪くなると困ったことになりましたが、昨日の夜行われた孫娘のダンスの発表会には間に合いました。

能登の話です。輪島市、珠洲市の復旧は水道が完全に戻り、被害にあった方々はきっとお風呂にも入れるようになった事でしょう。それでもまだ家に帰れない人が数多くいます。これから多くの住宅を作り一旦そこで暮らされることになります。同じ能登半島でも地域により大きな差が出てしましました。先日昔の友人から能登の畜産業はほぼ壊滅状態の話をお聞きしました。確かに小規模の方も多く、今回の地震では大きな被害を受けてしまいました。伝統産業も未だ回復していません。様々な協力体制は取られ始めましたが、本当の復旧はこれからだと思います。アッという間に3か月が過ぎました。

インパックの工場は志賀町にありますが、ここでも多くの県外の市から町役場に多くの人が手伝いに入っています。水道局の人は岡山から入り、他にも静岡などからも来られています。志賀町も3月には水道が普及し、生活が元に戻り始めましたが、住宅の復旧はこれからです。暫くの間、今の生活が続きます。

インパックは漸くシャッターの修理が始まりました。外との関係性からも1日も早い復旧をお願いしていましたが、漸く始まりました。
 

2024年03月13日(水)更新

スリーブが変わる

ペーパースリーブがいよいよ佳境に入り始めました。

現在ペーパースリーブの生産は私共インパックだけが国内生産しています。今回の能登半島地震では工場は大きな被害を受けましたが、先月の内に生産のすべては再開いたしました。確かに天井も落ち、工場のまわりも被害を受けましたが、現在は全て直し再開をしています。出荷も100%戻りました。

機械も大きな地震で動きました。3トンも4トンもある重量ですから、機械同士がぶつかり合い、壊れてしまうのではないかと一番心配していましたが、機械の間隔もしっかりとってあり、さほどの動きもなく専門の技術者に入ってもらうことで先月14日にはすべて稼働のチェックを完了しました。

この生産工場はインパックの要であります。安心いたしました。先月15日には県知事の来訪もあり、前日終了した工場を見ていただき、「ここは大丈夫」の声も聴くことが出来本当に良かったと思っています。

 

2024年03月01日(金)更新

地震から自信へ

2月14日は元旦の地震から45日が経ち、インパックの物流、製造機能が戻った日でもありました。金剛さん、仲二見さん、副社長の3名が1月2日から様々なことを考え、方針を立て、3日の役員会で復旧の方向性を聞くことが出来ました。4日からは一部の従業員の皆さんも参加し始め、45日間でここまで来ました。素晴らしいことだと感じでいます。
2月14日は県知事、復興相の政務官もお越しになりました。工場の中を見ていただき、知事は「ここは大丈夫」と小声で言っていました。確かにその夜テレビの中で近くの工場が映し出されていましたが、工場の天井は全て落ち、まだ何も出来ない状態でした。勿論、単純比較はできませんが、その時インパックは既に製袋が始まっていました。
更に協力者も現れました。同業者もいれば近くの建設会社など、復旧のため様々な会社が入ってくれました。
まずは仕事の出来る環境にする、建物などの復旧はその次といった明快な方針が功を奏しました。インパックはいち早く復興の段階に入りました。

それまで情報はいくつもあったものの、工場がどんな状態にあるのかつかめずにいましたが、元旦の真夜中、所長からの何枚もの写真でインパックの工場の様子が分かりました。現状把握がその日の内に出来たのです。その数時間後には副社長と専務は能登に向かい走っていました。昼過ぎ、所長と合流し危険の中、工場内を見て、今後の復旧に対する考え方をまとめていきました。
翌3日には臨時役員会をZOOM開催し、現地の3人と東大和の役員との間で今後の方針の確認をいたしました。現在はその時立てた方針通り進めています。

今回の事で、私はあり得ない環境を経験しましたが、一連の動きを見てインパックの対応力は素晴らしいものがあると感じました。巨大地震ではありましたが、復旧に突き進みました。出荷・製造は45日間で元に戻せました。

その元は「インパックは必ず復活する」という信念だったと思います。未だ道半ばではありますが、この信念をインパック共通の支えにしてはどうでしょう。

この後時間をかけ建物を全て直します。
 

2024年02月26日(月)更新

能登の被害状況

私は若いころ青年会議所のメンバーを続けていました。東大和の活動は勿論ですが日本青年会議所では地域産業政策を一橋大学の榊原先生のご指導の下、勉強を続けていました。更に青年会議所は業種別の活動も有り。私は30代の頃に畜産の包装資材の販売を行っていたこともあり、業種別部会の農畜産部会の一員でもあり、今でも続けています。
今朝のメールによると能登の畜産業が壊滅的な被害を受け、廃業に追い込まれているようです。現在でも復旧には程遠く、事業を続けることは不可能とのご判断が多い様です。何とか事業継続の支援を行って欲しいと思います。
更に、能登は伝統産業の被害も大きいようです。国家の余程のサポートがないと続けていくことは不可能です。一昨日の首相訪問で伝統産業の皆さんには多少の光が見えてきたようですが、まだまだの様です。
インパックは輪島の南にある志賀町にあります。ここには29社の工場が集約される能登中核工業団地があり、インパックもその中の一社です。比較的大きな工場があり、工場の建物の二倍、三倍の敷地をどこの工場も持っています。工場から出たがれきなどが積まれています。幸い建物の崩壊などの最悪の状況は免れていますが、どちらの工場も内部は大きな被害を受けたようです。
インパックも先月には物流が回復し、今月生産が戻りました。お陰様でより早い復旧が進んでいます。建物の被害は今後1年をかけ、修繕して参ります。今年いっぱい時間をかけて元に戻すつもりです。

地域により復旧の速度は異なりますが、時間がかかっても輪島市、珠洲市の復興を望みます。
 

2024年02月07日(水)更新

能登の状況(5)です。

私どもの能登事業所はスリーブ生産としての工場部門と出来上がった商品や関連する結束ゴム、容器の出荷などを行う物流部門から成り立っています。
今回の震災では、その両方の部門が被害を受けました。こちらは仕事の関係もあり、今日まで復旧に努めて参りましたが、お陰様で物流部門の復旧は順調に進み、工場も復旧の見込みが立って参りました。
しかし工場は生産の場、物流の場であると同時に生活の場でもあります。上下水道、電気、ガスなどがそれにあたります。幸い電気は切れることがありませんでした。問題は能登半島全体の話ですが水道が中々復旧しない状況にあります。更に下水も併せて復旧が待たれます。
水道であれば流し、トイレ、更にそこには下水道も同時に復旧しなければなりませんが、そう遠くないうちに解決すると考えています。
前述の通り工場は生産、物流の場ではありますが、40名近い人たちの生活の場でもあります。トイレもそうですし、調理場もそうです。多くの従業員の皆さんが上下水道の復旧を全員待っています。
幸いなことに志賀町に住む社員から水道が通じ、風呂にも入れるようになった話も聞きました。大変喜んでいました。

もうそこまで来ている様です。1日も早い復旧を望みます。
 
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