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2023年07月19日(水)更新

画眉鳥のふるさと

夕方なのに遠くで画眉鳥が鳴いていました。でも変です。画眉鳥はこの付近では早朝からせいぜい午前中です。

家内がこの画眉鳥テレビの声だと言い始めました。その後何度か聞きましたが確かにテレびから聞こえてきました。テレビは上野動物園で大変人気者のシャンシャンの番組を流していました。シャンシャンは無事に中国四川省の保護地区に帰り公開される日を待っているのです。
その様子をテレビで流していました。四川省の自然豊かな保護地区で安心、安全の中で暮らしていました。日本では大事に育てられ何不自由のない生活をしていましたが、中国に戻っても基本その生活ぶりは変わりませんでした。

私が申し上げたかったのは、四川省の森の中から聞こえてきた画眉鳥の鳴き声でした。いつも聴く声と変わらず。見事な美声を聞かせてくれていました。
紛れもなく画眉鳥は中国の鳥でした。日本の画眉鳥は中国から連れてこられたとは聞いていましたが。中国の地で聞いたのはこの時が初めてでした。あまりの美声故どうしても日本に入れたい人が多くいたと聞いています。しかし画眉鳥は一日中鳴いていて今度は飼い主から疎んじられました。そして放鳥です。
彼らは日本の自然にも馴染みました。東大和周辺の画眉鳥は青梅あたりを住処にしていると聞きました。日本の森にもなじんでいますが、彼らの故郷は明らかに中国の森です。

2023年07月18日(火)更新

初の能楽堂

夏はお能の閑散期というのが通り相場でした。しかし先週能楽堂に出かけた国立能楽堂だけの番組を見て驚きました。土日は勿論、一分平日、休日もほぼ埋まっています。
これも能楽堂が昔の能舞台と違って大きな建物の中にしっかり納まり冷暖房の効いた見所で観能できるからだと思います。能楽堂主催のお能の会はいつ来ても600席ほぼ満席です。
この事実は素晴らしいことです。多くのコアのファンがいるからでしょう。

能舞台が能楽堂へと切り替わったのはいつの事でしょうか。明治14年芝公園の中に日本で初めて建物に納まった能楽堂が建てられました。きっかけとなったのは明治になり幕府や各藩からの補助を受けていた能役者たちはそれらを断たれました。衰退の一途でしたが、海外視察に出かけていた岩倉具視が能楽社を作り芝公園内に初めて能楽堂を作りました。海外のオペラに匹敵する舞台芸術はお能と定められました。海外からの賓客や昭憲皇太后はじめ多くの皇室関係者がお出ましになりました。

この能楽堂は現在靖国神社内にあります。建物の中ではなく雨ざらしの状態ですが、能舞台と橋掛かりが残っていて今でも季節に応じ能舞台で靖国神社の行事が行われています。4月には夜桜能が行われています。

この建物の近くに桜開花の規準木があり、毎年桜の開花時期建物の一部が見られますが、運がいいとテレビの画面から謡が聞こえてきたりします。そんなことから私は開花時期にテレビを見るのが楽しみになっています。
 

2023年07月14日(金)更新

ピーターラビット™フラワーズ

ピーターラビットには有名な場面が様々あります。

それらは23冊のポターが描いた絵本を始めとするピーターラビットの本にある場面です。最も有名なのは、ピーターがラディッシュをくわえて食べている場面です。木戸をくぐる姿もあります。またピーターラビット ガーデニングは小さなスコップを手にもっている姿をとてもかわいく描いています。

インパックではそれらの場面をフィギュアとして売り出しています。フィギュアの方は12、3種類ほど用意いたしました。しかしピーターラビット™フラワーズの商品はフィギュアばかりではありません。先ほど申し上げた場面をそっくり鉢がバーにしたものもあります。
今回これらの鉢カバーを単に鉢カバーとして販売するだけでなく、チャコプランツの鉢カバーとして商品化していくことにいたしました。そのほかにも様々企画を練って参ります。
販売方法としてはECと全国のデパートで行われる企画展です。そのほかプリザーブドフラワーを使用した商品もたくさんあります。これらも企画展に最適なものと考えています。
これからはピーターラビットやピーターラビット™フラワーズのお話も時々書かせていただきます。

 

2023年07月13日(木)更新

新たな部門としてスタート

多くの方にお世話になっていました入間にあるIFL(花の加工工場)で行っていた切り花の加工事業が、今月で終了することとなります。IFLで稼働していた機械類(自動スリ―ビングマシーン・ブーケマシーン・花束加工ライン)を本社近くの中央倉庫に移設し、デモを行う場所とし、本機で実験を行うことが可能となりました。
インパックの専務が陣頭指揮を執って移動を完了、ショールーム化の準備が出来上がりました。

さて、多くの花関係は全て終了いたしましたが、2点について継続することにいたしました。それはチャコボール(チャコプランツも含む)とピーターラビット™フラワーズ関連商品です。双方ともにインパックがオリジナルで開発する商品であり、ECサイトで販売をしています。また、ピーターラビットの関連グッズを全国で販売する企画展があり、そこに参加することも決まりました。
これからは、ピーターラビット™フラワーズとチャコボールの共同企画も出来るようになります。新たな商品開発を行ってまいります。
繰り返しになりますが、双方全国販売が可能となりました。ECの場合は一般消費者のお客様に直接お送りします。
更にピーターラビットの場合は全国で行われる企画展に出展いたしますので、ピーターのコアのファンの方に直接お引き渡しも可能となります。新たな形でのスタートとなります。
 

2023年07月11日(火)更新

昆虫の思い出

ある一部の地域が37度、38度ではなく昨日は東京のほぼ全域が36度以上ではなかったでしょうか。都内は勿論インパックの本社のある東大和市も会社の温度計は37度を指し。駐車場に置いた車の中は45度に達していました。
私の子供のころから見ると完全に気候が変わりました。10歳ごろですが30度を超えるとラジオや新聞で大騒ぎでした。確実に5度、6度は上がりました。

私はそのころ、夏休みに入った瞬間、裏山へ朝5時からセミをはじめ昆虫を取りに行っていました。そこは山ではありますが大きなお寺そのもので、沢山のお墓がありました。一昨日アオスジアゲハの思い出を弟から聞きましたが、このお寺にある大きな樹木の周りはその木のお陰でいつも涼しく薄暗い場所でした。アオスジアゲハはそんな環境が好きなのでしょう。いつもその周りを飛んでいました。
またその木は玉虫の巣もあるらしく、玉虫が何匹も飛んでしました。また、お寺の真裏にある太い低木はコクワガタの巣でした。ここへ来るといつもコクワガタの姿が見られました。
裏山を回り入り口に戻ると今度はドロ(オニヤンマ)が悠々と飛んでいます。ドロも涼しいところが好きらしく湧き水の流れ出る、木陰のある道路すれすれに飛び交っていました。

10歳で東京の中野に越しましたが、昆虫類はとても貧弱でした。コガネムシ(コフキコガネ)ぐらいでした。これらは近くの神社から飛んできました。

今でも虫(オオクワガタ)が大好きですが、小さい頃の影響かもしれません。
 
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