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2024年01月22日(月)更新

今日の能登事業所

今朝は金沢駅近くのホテルに副社長が5時半に迎えに来てくれることなっていました。
一階に降りると4~5名の若い男性の一団がいかにも復旧作業に向かうという出で立ちで話し合っています。副社長の車が見え外に出てみると札幌水道局の車が見えました。彼らは札幌から車を走らせてきたのでしょう。その後、雨模様の暗い能登里山自動車専用道路を走らせましたが、インパックの工場に直接向かう西山インターまでの間30分以上車の長い列がありました。西山から先は救援物資輸送の車専門になっていました。

私たちはここからインパック能登事業所迄20分ほど一般道を走ることになります。街中を通らず進みますが、見る限り大地震の後とは思えないような穏やかな景色が続いています。工場に近づいてきましたが、ガソリンスタンドも会社関係の建物も崩れているようなことはありません。いよいよ工業団地に入りましたが、外から見る限り被害がないように見えます。インパックに着きました。いきなり4m角くらいの外壁が崩れ落ち無残な姿を見せていました。
早速工場の周りを廻りましたが、他にも一カ所外壁の崩れているのが分かりました。
問題は建物の中です。初めの数日間送られてきた写真では様々な商品が棚から落ち、内壁も大きく崩れ、工場の機械も全て動き、定位置から外れていました。
どちらの工場も甚大な被害を受けているようです。

今回工場へ来て、働く従業員の皆さんの姿を拝見し、心からの感謝を申し上げました。
 

2024年01月17日(水)更新

復旧に

能登に工場と配送センターを置き長年仕事を続けて参りましたが、今回の能登地震は注意すべきものでしたが、能登から70㎞ほど離れる志賀町は能登地方とは違うと勝手に考えていました。事実少なくとも従来は能登が震度5あれば、志賀町は震度3でした。能登が6強の時は震度4ですんでいました。
しかし今回の地震でこの関係性は一変しました。能登が震度7の時、本来なら4のところ、能登と同じ震度7となりました。どうやら従来のパターンではありません。先週は珠洲震度1でありましたが、志賀町は震度6弱です。能登地震の流れに変化が起こっているのでしょうか。昨日の地震も珠洲市震度1、志賀町は震度5弱でした。
自分の街さえよければいいといった考えはありませんが、能登全体が早く落ち着いてほしいものです。

安心はできませんが、お陰様で能登事業所の皆さんは怪我もなく元気で復旧に努めていただいています。感謝ばかりです
 

2024年01月15日(月)更新

能登事業所の状況

大きな地震の後は悲惨な光景が広がります。羽咋郡志賀町にあるインパック能登事業所は町内から数キロ離れた能登中核工業団地内にあります。今回の地震はこの工業団地をも巻き込みました。志賀町は震度7の被害を受けることになりました。街中では多くの住宅も被害を受け、さらに2名の死者も出てしまいました。

インパックの能登事業所は建物、商品、原材料、リフト、生産設備に影響が出ました。本社からは副社長と専務が2日には入りました。それまで一人で頑張っていた工場長とも合流し、これまでの間、工場再建に向けての方法論を考えていました。
3日には臨時役員会を開き方向性が定まり、方針の確認と倉庫の借り受け、生産の協力依頼、更に海外商品の受け入れ準備を進めて参りました。
おかげで今週末までには一部出荷体制が整えられ、お得意先様に商品をお届け出来ることになりました。多くのお得意先様にご迷惑をおかけしますが、漸く一部発送が可能となりました。先週末には本社倉庫に本社出荷の荷物も届けられました。出荷の準備は能登、大阪、東京で実施できる運びとなりました。

能登中核工業団地での完全復活には少々時間もかかりご迷惑をおかけいたしますが、それまでの間、お借りする倉庫、東京、大阪などからの出荷を行い、より早く全ての商品出荷を行いたいと考えています。

1日から工場の状況を送ってくれた工場長、2日には現地に入った副社長、専務、その後、工場の従業員の皆さん、心から感謝申し上げます。
最後になりますが、多くの取引先様からご心配、お見舞いなどを頂戴しました。心から感謝申し上げます。ありがとうございます。
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