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We are Flower People の日記
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2025年10月08日(水)更新
何が何でも!
能登のインパックは今年で15年が経ちました。昨年の地震から一年半が過ぎ、工事も初期の予定はすべて終了し、今はその後計画した自動倉庫の作り替えの準備を行い、さらにその他、当初気が付かなかったところの様々な場所の改修を行う予定になっています。さらにこれからは設備関係の拡充に向け進めるところでもあります。
工場経営は実に様々なことがあります。勿論危険と隣合わせの場所もあります。更に機械の取り換え、メンテナンスなど、いつもどこかを修復しています。工場は実に計画された場所となります。インパックにとって製造は夢の領域でした。当初購入した設備はいつどこが駄目になるかは全く分かりません。初めのころは故障が起きて初めて部品の寿命を知ることになりました。すべての設備の状況を把握できたのは何年もたってからのことです。今はベテランの社員の皆さんがそれらを理解し、ようやく事前に対処できるようになりました。これは素晴らしいことです。今の社員の皆さんは先輩のいない中で機械の性格をつかみました。更に消耗品の取り換え時期をつかみました。これらは大変なことです。仕事をしながらノウハウをつかんでいったのです。それでもまだ不十分です。社員の皆さんは懸命に、より良い製品を作るために機械と格闘しています。今は漸く後輩に教えることのできる社員が増えてきました。
さて、インパックには夢があります。今の工場は製袋機でスリーブを作っています。これからは印刷をやります。また、ラミネートもやります。28歳のころ思った一貫メーカーになる夢です。
町の包材屋が全国区の一貫メーカーになるのです。一貫メーカーの最も大きなところは大日本印刷、凸版印刷など優れたところばかりです。包材の真ん真ん中にインパックを進ませます。これはドメインの拡大を意味します。
確かに袋屋ではありますが、ずいぶん幅が広がります。本物の包材メーカーに向かっていくことになります。50年前照明器具トップのオーデリックの伊藤和夫社長から「メーカーになりなさい」と言われましたが、50年をかけて約束を守ることになりそうです。
工場経営は実に様々なことがあります。勿論危険と隣合わせの場所もあります。更に機械の取り換え、メンテナンスなど、いつもどこかを修復しています。工場は実に計画された場所となります。インパックにとって製造は夢の領域でした。当初購入した設備はいつどこが駄目になるかは全く分かりません。初めのころは故障が起きて初めて部品の寿命を知ることになりました。すべての設備の状況を把握できたのは何年もたってからのことです。今はベテランの社員の皆さんがそれらを理解し、ようやく事前に対処できるようになりました。これは素晴らしいことです。今の社員の皆さんは先輩のいない中で機械の性格をつかみました。更に消耗品の取り換え時期をつかみました。これらは大変なことです。仕事をしながらノウハウをつかんでいったのです。それでもまだ不十分です。社員の皆さんは懸命に、より良い製品を作るために機械と格闘しています。今は漸く後輩に教えることのできる社員が増えてきました。
さて、インパックには夢があります。今の工場は製袋機でスリーブを作っています。これからは印刷をやります。また、ラミネートもやります。28歳のころ思った一貫メーカーになる夢です。
町の包材屋が全国区の一貫メーカーになるのです。一貫メーカーの最も大きなところは大日本印刷、凸版印刷など優れたところばかりです。包材の真ん真ん中にインパックを進ませます。これはドメインの拡大を意味します。
確かに袋屋ではありますが、ずいぶん幅が広がります。本物の包材メーカーに向かっていくことになります。50年前照明器具トップのオーデリックの伊藤和夫社長から「メーカーになりなさい」と言われましたが、50年をかけて約束を守ることになりそうです。
2025年10月06日(月)更新
小さい方が良い!
小さい方が良い!
日本は小さい方が良い、戦争で思い切り拡大し他国の領土を手にしていたがそれは余りよくないと韓国の文化庁長官の李御寧(イ・オリョン)は考えていました。日本のいいところは扇子を見ればわかる。使用するときは顔に十分風が当たるほどのサイズになるが、たたむと棒状態になる。素晴らしい発明であるがそこに日本文化を見ることができる。日本の得意技の中にもウォークマンは長い間世界を席巻していました。何事も小さくすることで世界の注目を浴びてきました。
同じようなことを戦前言い始めた人がいました。朝鮮半島、台湾を併合した時期です。更に太平洋の島々を押さえていた時にです。東洋経済の石橋湛山です。戦前から様々な場面で湛山のペンは冴えていました。最も有名な話は「小日本主義」でした。彼の話は単に小さければいいと言っているのはなく、韓国、台湾を手放したほうが日本の発展につながる、という強い意志が入っていました。確かに敗戦後の日本の経済成長を見ると石橋湛山の言う通りになりました。残念でならないのは僅か二ヶ月で退任されたことです。
私見ですが、彼こそがリベラルであり、民主主義者であったと思います。
国が違いますが李御寧(イ・オリョン)の文化論、政治の世界で実践しようとした石橋湛山は二人とも小さくすることで国を発展させるという点で共通しています。
日本は小さい方が良い、戦争で思い切り拡大し他国の領土を手にしていたがそれは余りよくないと韓国の文化庁長官の李御寧(イ・オリョン)は考えていました。日本のいいところは扇子を見ればわかる。使用するときは顔に十分風が当たるほどのサイズになるが、たたむと棒状態になる。素晴らしい発明であるがそこに日本文化を見ることができる。日本の得意技の中にもウォークマンは長い間世界を席巻していました。何事も小さくすることで世界の注目を浴びてきました。
同じようなことを戦前言い始めた人がいました。朝鮮半島、台湾を併合した時期です。更に太平洋の島々を押さえていた時にです。東洋経済の石橋湛山です。戦前から様々な場面で湛山のペンは冴えていました。最も有名な話は「小日本主義」でした。彼の話は単に小さければいいと言っているのはなく、韓国、台湾を手放したほうが日本の発展につながる、という強い意志が入っていました。確かに敗戦後の日本の経済成長を見ると石橋湛山の言う通りになりました。残念でならないのは僅か二ヶ月で退任されたことです。
私見ですが、彼こそがリベラルであり、民主主義者であったと思います。
国が違いますが李御寧(イ・オリョン)の文化論、政治の世界で実践しようとした石橋湛山は二人とも小さくすることで国を発展させるという点で共通しています。
2024年03月27日(水)更新
創業90年まであと3年
お陰様で、インパックは87年目を迎えています。戦前に横浜の保土ヶ谷で飴の製造を始めました。戦後の1945年以降は甘いモノ不足から大変な売れ行きであったようです。その後ブームも去り、横浜でも飴の製造業の多くは衰退し、今では東京の目黒に戦前から続いている会社が一社あると聞いています。
その後、仕事を大きく変えて製紙原料の回収をきっかけに包装資材の分野に入り、食品包装から生花包装へと姿を変えてきました。特に食品包装は面白く興味はありましたが、食品包装のメーカーは東洋製缶、凸版印刷、大日本印刷、藤森工業といった企業がすでに業界のすべてを抑えている状況でありました。1987年大きな転機を迎えました。専務はアメリカに行き量販店の花売り場をくまなく見てきました。副社長は当時300社以上あった国内の生花卸売市場で大手生花店の全てを把握してきました。私はオランダの花の卸売市場へ行き、市場内に200台ほどあった加工機械で花束を作り、量販店に収める現場を見てきました。その中にはアメリカへ輸出する加工メーカーもありました。会長は従来の仕事を守ってくれていました。それ以降、私たちは一気に花の業界に身を置く様になりました。当時花のセルフ売り場は一店舗もありませんでした。最初の店舗はダイエーの碑文谷店が同じ年に出来ました。
当時販売用の切り花の包装資材を作る企業は一社もなく、初めはオランダからの調達を行っていました。その後、製袋機を入れ、スリーブ(花袋)の国内生産に入り現在に至っています。販売場面での切り花の市場はこれから更に変化するものと思われます。切り花の加工メーカーは更なる自動化へ向かいます。どうしても規模が拡大します。また、鮮度保持も重要です。生産から加工までの温度管理が益々大事になります。更に店頭での新たな商品作りです。
以上の様な変化の中でインパックはそのすべてに関われる様に活動を続けて参ります。
お陰様で来期から始まる中計の最終年度が創業90年になります。
その後、仕事を大きく変えて製紙原料の回収をきっかけに包装資材の分野に入り、食品包装から生花包装へと姿を変えてきました。特に食品包装は面白く興味はありましたが、食品包装のメーカーは東洋製缶、凸版印刷、大日本印刷、藤森工業といった企業がすでに業界のすべてを抑えている状況でありました。1987年大きな転機を迎えました。専務はアメリカに行き量販店の花売り場をくまなく見てきました。副社長は当時300社以上あった国内の生花卸売市場で大手生花店の全てを把握してきました。私はオランダの花の卸売市場へ行き、市場内に200台ほどあった加工機械で花束を作り、量販店に収める現場を見てきました。その中にはアメリカへ輸出する加工メーカーもありました。会長は従来の仕事を守ってくれていました。それ以降、私たちは一気に花の業界に身を置く様になりました。当時花のセルフ売り場は一店舗もありませんでした。最初の店舗はダイエーの碑文谷店が同じ年に出来ました。
当時販売用の切り花の包装資材を作る企業は一社もなく、初めはオランダからの調達を行っていました。その後、製袋機を入れ、スリーブ(花袋)の国内生産に入り現在に至っています。販売場面での切り花の市場はこれから更に変化するものと思われます。切り花の加工メーカーは更なる自動化へ向かいます。どうしても規模が拡大します。また、鮮度保持も重要です。生産から加工までの温度管理が益々大事になります。更に店頭での新たな商品作りです。
以上の様な変化の中でインパックはそのすべてに関われる様に活動を続けて参ります。
お陰様で来期から始まる中計の最終年度が創業90年になります。
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