ブログ個人トップ | 経営者会報 (社長ブログ)
We are Flower People の日記
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一昨日、多摩湖駅伝大会が開催されました。参加チームは250チーム、1,000名の参加者でした。インパックから1チームが参加することになり、9時スタートの2時間前に家を出てスタート地点に出かけました。
主催者の準備は既に始まっていました。早速、保育園のお一人に会いました。市役所の課長にもお会いしました。暫くするとソロプチミストのメンバーが大挙してこられ、ティッシュペーパーを配り始めました。更に市長や、市議の皆さんも来られ、次第に雰囲気が高まりました。インパックの参加メンバーもそろい、応援に業務の女性も自転車で駆けつけてくれました。開会式の司会はプロのアナウンサーが務めていました。もっともこの方は駅伝に参加する方で、走りも早くびっくりしました。
インパックの成績は40チーム中24位でした。事前にメンバー変更もあり社長が代役を務めていました。その割にはいい成績だったと思います。次の目標は2チームの参加、40分を切ることと決まりました。2.5㎞×4人のレースですので、40分切れれば山あり、谷ありのコースを考えると素晴らしいと思います。
また、多摩湖はその昔、日本で初めて女子マラソンが行われていたことでも知られています。東大和の街づくりに多摩湖を利用したマラソン、駅伝などはいいかもしれません。
2023年03月28日(火)更新
良く持ってくれました
昨日会食後、青梅街道の東伏見の交差点で信号待ちをしていました。三鷹方面に向かって桜の並木が続きますが、その最初の一本の桜が満開でした。ほぼ花びらが落ちていません。まさに満開を迎えた一本でした。何人かの人が桜に向かって暗い夜中、写真に収めていました。
さて、毎年国立の桜と九段、四谷から市ヶ谷に向かう場所にある桜は見ることにしています。しかし今年は満開が近づくころから4日も雨が続き今年はダメかなと、あきらめていましたが、週が明け昨日は夕方まで何とか待つことができました。その間に国立、市ヶ谷、九段を通り目的地まで車を走らせましたが、何処も桜はほぼ満開状態でした。特に国立の桜は駅前から続く約1㎞の間、見事な景色を見せてくれました。ここは歩道と車道との間に桜とイチョウが植えられています。広々とした桜の名所となっています。桜が終わると葉桜になり、その後新緑のきれいなイチョウが一斉に芽が吹き始めます。あっという間に春本番となります。
余計なことですが、今年は庭にあるこぼしの花芽が開く前にすべて鳥が食べてしまいました。こんなことは初めてで、今年はこぶしの花は見ることができません。
さて、毎年国立の桜と九段、四谷から市ヶ谷に向かう場所にある桜は見ることにしています。しかし今年は満開が近づくころから4日も雨が続き今年はダメかなと、あきらめていましたが、週が明け昨日は夕方まで何とか待つことができました。その間に国立、市ヶ谷、九段を通り目的地まで車を走らせましたが、何処も桜はほぼ満開状態でした。特に国立の桜は駅前から続く約1㎞の間、見事な景色を見せてくれました。ここは歩道と車道との間に桜とイチョウが植えられています。広々とした桜の名所となっています。桜が終わると葉桜になり、その後新緑のきれいなイチョウが一斉に芽が吹き始めます。あっという間に春本番となります。
余計なことですが、今年は庭にあるこぼしの花芽が開く前にすべて鳥が食べてしまいました。こんなことは初めてで、今年はこぶしの花は見ることができません。
2023年03月27日(月)更新
パレチゼーションは勝利する!
zモノの流れには商流と物流があります。
今より50年前あたりから、物流がより前面に出てきました。松下包装研究所の所長は日本がテレビで世界を席巻できたのは物流のおかげと話していました。それまでの日本のテレビは、世界に持って行くにも家具調テレビで思うように数が海上コンテナに入りませんでした。家具調テレビはデザインから入っています。しかし松下電器は海上コンテナの内寸を図り、一分の隙もないように外装の計算をし、その段ボールケースの内寸に合わせテレビの寸法を決めていきました。
完全にコンテナリゼーションの考え方です。これによりアメリカを中心に日本テレビは世界のトップになりました。物流の勝利でした。
海外から来る花はともかく、日本国内で流通する花も今後パレチゼーションの考えを元にすることが重要です。パレット、もしくは台車の寸法に合わせ段ボールサイズを決める、切り花は様々な種類がありますが、花に合わせ段ボールの設計をするのではなく、パレットや台車に合わせ設計を行い、その中に花を入れる!
これからますます物流費が上がることを考え、物流を考えることが重要になってきました。
今より50年前あたりから、物流がより前面に出てきました。松下包装研究所の所長は日本がテレビで世界を席巻できたのは物流のおかげと話していました。それまでの日本のテレビは、世界に持って行くにも家具調テレビで思うように数が海上コンテナに入りませんでした。家具調テレビはデザインから入っています。しかし松下電器は海上コンテナの内寸を図り、一分の隙もないように外装の計算をし、その段ボールケースの内寸に合わせテレビの寸法を決めていきました。
完全にコンテナリゼーションの考え方です。これによりアメリカを中心に日本テレビは世界のトップになりました。物流の勝利でした。
海外から来る花はともかく、日本国内で流通する花も今後パレチゼーションの考えを元にすることが重要です。パレット、もしくは台車の寸法に合わせ段ボールサイズを決める、切り花は様々な種類がありますが、花に合わせ段ボールの設計をするのではなく、パレットや台車に合わせ設計を行い、その中に花を入れる!
これからますます物流費が上がることを考え、物流を考えることが重要になってきました。
2023年03月24日(金)更新
スーパーウーマン
昨日、東京紀尾井町ロータリークラブの講師の先生は宮本佳代子様でした。
驚くべき方でした。三井不動産にあっていくつかの有名な巨大プロジェクトでその中心的な役割を果たしてきました。多くの都心の再開発に直接関わってきたようです。更に企画ばかりでなく、現場に会って無理と言われたビルの移転を決めたり、不動産の営業でも30年以上トップを続けてきたと話されていました。
不動産の世界で大活躍され、それだけでも大変な実績ですが、退職後の今、10数社の顧問を務め日々活躍されています。また、資料に書かれているだけでも50社以上、更に多くの企業、団体で講演活動を続けています。
全てにわたり自信にあふれ、聞いている私たちもいつの間にか引き込まれています。嫌な仕事はしない、嫌いな人とは付き合わない、結果ストレスがたまらない。理想的な生き方を貫いておられます。久しぶりに、聞いていてあっという間に終わってしまう公演でした。
宮本様は小泉元首相の奥様でした。
驚くべき方でした。三井不動産にあっていくつかの有名な巨大プロジェクトでその中心的な役割を果たしてきました。多くの都心の再開発に直接関わってきたようです。更に企画ばかりでなく、現場に会って無理と言われたビルの移転を決めたり、不動産の営業でも30年以上トップを続けてきたと話されていました。
不動産の世界で大活躍され、それだけでも大変な実績ですが、退職後の今、10数社の顧問を務め日々活躍されています。また、資料に書かれているだけでも50社以上、更に多くの企業、団体で講演活動を続けています。
全てにわたり自信にあふれ、聞いている私たちもいつの間にか引き込まれています。嫌な仕事はしない、嫌いな人とは付き合わない、結果ストレスがたまらない。理想的な生き方を貫いておられます。久しぶりに、聞いていてあっという間に終わってしまう公演でした。
宮本様は小泉元首相の奥様でした。
2023年03月23日(木)更新
多摩湖駅伝大会
一昨日、多摩湖駅伝大会が開催されました。参加チームは250チーム、1,000名の参加者でした。インパックから1チームが参加することになり、9時スタートの2時間前に家を出てスタート地点に出かけました。
主催者の準備は既に始まっていました。早速、保育園のお一人に会いました。市役所の課長にもお会いしました。暫くするとソロプチミストのメンバーが大挙してこられ、ティッシュペーパーを配り始めました。更に市長や、市議の皆さんも来られ、次第に雰囲気が高まりました。インパックの参加メンバーもそろい、応援に業務の女性も自転車で駆けつけてくれました。開会式の司会はプロのアナウンサーが務めていました。もっともこの方は駅伝に参加する方で、走りも早くびっくりしました。
インパックの成績は40チーム中24位でした。事前にメンバー変更もあり社長が代役を務めていました。その割にはいい成績だったと思います。次の目標は2チームの参加、40分を切ることと決まりました。2.5㎞×4人のレースですので、40分切れれば山あり、谷ありのコースを考えると素晴らしいと思います。
また、多摩湖はその昔、日本で初めて女子マラソンが行われていたことでも知られています。東大和の街づくりに多摩湖を利用したマラソン、駅伝などはいいかもしれません。
2023年03月20日(月)更新
もっと良い国へ
もっと良い国へ
40年前のある日、埼玉のHONDAの工場を副社長と尋ねたことがありました。担当の方をお待ちしていると、よく知る方と偶然お会いしました。20歳の時亡くなった最も親しい友人のお父上でした。自動車の部品メーカーに勤めHONDAと商談で来られていました。その日まで勤め先を知らずにいましたので本当に驚きました。
その時伺った話です。日本の自動車産業とアメリカの自動車産業との技術の差は3か月になったもう少しでアメリカに追いつく!と夢のような話を伺いました。本当にそうだろうか、不思議な気持ちで聞いていました。先端を行く人と一般の人との間にはずいぶん差があると思いました。
似た話はそれから15年前にも経験しました。私が18歳の時、先輩の話を聞いたことがありました。その時伺ったのはあとわずかで日本は先進国の一員になるという話でした。
日本は1960年にGDP一人当たり1万ドルを超えるところまで来ていました。今でも思い出すことができますが、友人のお父上や先輩が本当に熱心に世界トップになる!世界の仲間入りをする!ことを熱心に語ってくれました。その後の日本の経済発展は世界で奇跡のように取り扱われました。
それから40年、50年が過ぎた今、賃金は世界で30番目あたりです。物価も世界から見るととても安い国になっています。これからは経済の事ばかりでなく、生活環境を含め、もう一度ギアを入れなおし、より暮らしやすい国にしていくことが重要となります。
40年前のある日、埼玉のHONDAの工場を副社長と尋ねたことがありました。担当の方をお待ちしていると、よく知る方と偶然お会いしました。20歳の時亡くなった最も親しい友人のお父上でした。自動車の部品メーカーに勤めHONDAと商談で来られていました。その日まで勤め先を知らずにいましたので本当に驚きました。
その時伺った話です。日本の自動車産業とアメリカの自動車産業との技術の差は3か月になったもう少しでアメリカに追いつく!と夢のような話を伺いました。本当にそうだろうか、不思議な気持ちで聞いていました。先端を行く人と一般の人との間にはずいぶん差があると思いました。
似た話はそれから15年前にも経験しました。私が18歳の時、先輩の話を聞いたことがありました。その時伺ったのはあとわずかで日本は先進国の一員になるという話でした。
日本は1960年にGDP一人当たり1万ドルを超えるところまで来ていました。今でも思い出すことができますが、友人のお父上や先輩が本当に熱心に世界トップになる!世界の仲間入りをする!ことを熱心に語ってくれました。その後の日本の経済発展は世界で奇跡のように取り扱われました。
それから40年、50年が過ぎた今、賃金は世界で30番目あたりです。物価も世界から見るととても安い国になっています。これからは経済の事ばかりでなく、生活環境を含め、もう一度ギアを入れなおし、より暮らしやすい国にしていくことが重要となります。
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