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2009年03月07日(土)更新

ユン先生のお人柄!

一昨日は夕方から夜中まで夢中で過ごしました。

石川県人会の理事会で前田利裕会長のお話しを伺い、表参道ではJFMA(日本フローラルマーケティング協会)のイブニングセミナー、更に日比谷で日蘭修好400年のリセプショが開かれました。その後戻るつもりでいましたが、懐かしい方から電話を頂き遅くまで先生ご夫妻と盛り上がりました。

韓国慶州農業大学のユン先生です。一昨年ソウルで「バブル崩壊後の日本の生花業界」をテーマにお話しをさせて頂いた際、通訳をしてくれた方です。韓国の大学を卒業後、京都大学の大学院を出た花き園芸一筋の方です。また人脈も広く、毎年行われているフラワーシンポジウムのコーディネーターでもあります。
互いに花き産業の話しで遅くまで盛り上がり、翌日は岐阜大学の農学部の福井先生をお尋ねするようにお勧めし、実現できたことを福井先生からお聞きし安心いたしました。

ユン先生の最も印象深い一言がありました。
「韓国から日本へ輸出が増えると日本の生産者が困ることになる」との一言です。恐らく花き生産者の気持ちを痛いほど分かっていのでしょう。
私は改めて国内における花の消費拡大を決意し、互いの志ある生産者がより発展する役割を果たしたいと改めて感じました。

2009年03月05日(木)更新

天才 テオ・ヤンセン

今日は素晴らしいお天気です。東京では5時過ぎには東の空が明るくなりかけるようになって来ました。こうなればこちらの物です。

昨晩、8時から日比谷パティオで日蘭修好400年の記念事業の一環としてオランダのテオ・ヤンセンの内覧会が行われ、大使、参事官がそろって参加されていました。招待者は50名ほどでしたのでゆっくり作品を見ることが出来ました。
遠くから見るとまるで、作品は枯れ枝で作った骨だらけの怪獣です。それだけであれば造形として面白い、程度でしたが、それらが横歩きするのはかなり驚きました。これすごいです。
本来、海岸に置かれ、作品の中に何の動力もなく、風を動力にして歩くのだそうです。

昨年日蘭修好400年の記念事業の企画に何かないかと質問され際、即座に「川原慶賀の作品展」と答えたのですが没になりました。「シーボルトの日本植物図譜」の原画です。現在、丸善から上下二巻で出版されています。その原画はサンクトペテルグルグにありますが、それの里帰り企画を申し入れたのです。最もこれらはいって出来ることでない事は承知していますが、いつか実現したいものです。

テオ・ヤンセン展
http://www.hibiya-patio.jp/theo/

2009年03月03日(火)更新

どこを向いて生きるか

どこを見ているか、それにより生き方がずいぶん異なるようです。

今日の売上げばかり考える、今月の売上げだけを気にする、どうすれば商品がもっと売れるのか本気で考える。確かにこのような事は貴重なことです。その様な社員を見ていると心から尊敬します。

それ故、会社はどこを向いてビジネスをするのか、自分のため、会社のため、地域のため、国家のためと次第に概念が大きくなってきます。長い間かかりましたが、更に上位概念に向けことを進める事が如何にに大事か次第に分かってきた気がします。

単なる物売りではなく、生活の提案(生活の潤いをお届けする)が私たちの会社のとって如何に大事か、共通認識の最中です。

2009年03月02日(月)更新

青梅の山々

一年に何度もない程の天候でした。

私の住まいは東京駅から30Km程離れた東大和市にあります。近くは東側は東村山市、北は西武球団で有名なの所沢市、南は立川市となっています。西は10Kmほどで横田基地です。更に10Km行くと青梅の山々になります。青梅市から山梨や埼玉の山が続きます。秩父連山です。

その山々が久しぶりに稜線もくっきり見る事が出来ました。1-2月でもこのような景色はめったにありません。更に山を見ようと、いつも車に入れている双眼鏡を探しましたが、今日の車は別の車でした。走る道の正面に山があることをいつもは意識する事が出来ません。天候や空気の関係でほとんど見る事ができないからです。

生活を行う上で、山や川が如何にに大事か、今日の景色を見ると改めて感じました。

2009年03月01日(日)更新

先週は渥美俊一WEEK!

先週は尊敬するペガサスクラブの渥美先生のセミナーに始まり、週末は大阪でのセミナーで終了しました。私にとっては渥美ウィークでした。

もっとも、流通業界のトップの方々に比較し50年遅れの参加です。しかし私にとっては素晴らしいセミナーへの参加でした。流通業界を今日まで50年間変わらず指導されてる姿は、今も変わりません。まさに戦いそのものです。

私は先生のお話を伺い、先生の原点は東京の焼け野原にあったということを知りました「どうにかしなくてはいけない!」という強い意志なのです。私が40歳まで在籍していた青年会議所の創始の精神も同じ動機であったと聞いています。
渥美先生が変わらず、それを今日まで続けている事に心から尊敬です。先生の精神とお教えいただく内容を私の領域である花き産業に生かし、貢献していきたい、と考えています。
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